もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
補足。
ミスチルの『名もなき詩』の歌詞に、極めて示唆深い一節がある。 ~誰かを思いやりゃ仇になり、自分の胸に突き刺さる。だけど…~ この、『だけど』の部分以降が、まさに僕らは、『人間』でしかないんだということが示唆されている。 つまり、どんだけ痛い目にあったり、人を信じてバカを見たりしたところで、人は完全には希望を捨てることなんて出来ないのだ。 すぐに忘れて、あるいは、次こそは…なんて淡い期待が頭をもたげるから、また同じ過ちを繰り返すのだ。 でも、それで良いんじゃないかと思う。 バカを見たり、人を信じて裏切られたりしても、それが人間なんだから。そういうもんだから。 具体的に日常生活に当てはめてみよう。 どれだけ彼女を(私なりに)、大事に思い、心をこめて思いやったところで、それが届かないことなんて往々にしてある。 もっと低俗な次元だと、人は常に文句ばっかり言う。 合コンを開いてやったにも関わらず、「今日は不細工ばっかだったから、時間を無駄にしたよ」とか言う奴。気を使って誘ってやったのに、謝辞の一言もない。 誰にでも穏やかに公平に接してると、必ずノータリンやら小心者やらが、図に乗って、調子に乗った態度を取る。 徹底的に論破して、泣かしてやるくらいのことは、あまりに容易いのだが、勿論、そんなことはしない。 何故か?それは、彼もまた人だからである。 俺も人だ。彼も人だ。 似たような性質がみんな絶対あるんだと思ってるから、受け入れる。 でも、卑近な怒りや悲しみは残る。 だから最近は、そういう目にあったり、過去のやり過ごせないことを思い出す度に、俺は走ることにしている。そして、筋肉を酷使する。 つまり、自分に怒りなり何なりをぶつけて、より成長しようと思うのだ。 愚痴はつまらない。周りも不快な気持ちになる。 だから、自分を酷使する。 家でやけ酒やけタバコなんかしても、余計に荒むだけだ。 嫌な目にあったのに、さらに自分を貶める必要はない。 自分を高めよう。 春樹は言った。 嫌なことやカチンとくることがあったら、当然良い気はしない。だから、僕は走るのだと。自分に負の感情を向けて、それを運動で発散するのだと。 僕もこの考えには大いに賛同できる。 世を嘆き、悲嘆に暮れる人生なんか悪夢じゃないか。 だから、僕も走るよ。 でも勿論、俺も人間だからさ。愚痴を滅多に言わないけど、言うこともあるし、(現に、今この文章は間違いなく愚痴だ)、どうしてもやり過ごせないことに負けてしまう日や瞬間も多い。 だから、訓練が必要だ。 自分なりに、そういったマイナス感情を処理できる、自分なりのスタイルが。 走ることは悪くはない選択だと考える。 まぁ、何が言いたいのかまとまりがつかなくなってきたが、そういうことだよ。 それに、理解者は必ず現れると信じてる。 俺は嘘は嫌いだ。てか、ごまかせないんだよね。 愚直でみっともないし、要領も悪いけど、100人いたら、1人に分かってくれるくらいの感覚でいいやと思っている。 逆もまた同じ。100人に1人くらいは、分かりたいと思える人がいると思う。 まぁ、要はズルしても良いことなんてないんだよ。 人は分かるからさ。 こいつ胡散臭いとか、信用出来なそうとか、腹黒いとか、いざという時、力になってくんねえだろうとかさ。 だから、恥じない人間になりたい。 愚直でも良い。バカで結構。 性格的に、それをやり続けていくしかなさそうだし、まぁ、一喜十憂くらいしながら、俺は生きていけば良いじゃんか。 PR ![]() ![]() |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新記事
(12/06)
(07/03)
(06/15)
(05/09)
(04/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
|