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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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これはあらゆるに言える。

つまり、寄り添う気持ちと余裕が大事。

色んなことを合理的に、ただただ理性で片付けてしまったら、後々、色んな所で歪みが出ることだろう(てか、もう出てるか)。

昨日僕は、「仕組み」で「孤立」は、ある程度解消出来ると言及した。

そのことは間違いないと思う。

しかし、「孤独」の解消、というか緩和に切り込むためには、タイトルに付したようなアプローチにしか可能性がないように思う。

つまり、ベタだが、「思い遣り」のことである。

僕はどれだけ他人を「思い遣れている」だろうか。

少し思いを馳せただけで、もう答えは自明。

とどのつまり、僕は自分のことだけしか考えていない。何だかんだと言ったところで、やっぱり他人のことなど思い遣れてなどいない。

そりゃね、傍目には自分は「良い奴」だと思う。とても。

誰に対しても「対等」且つ「平等」に接するように心掛けている。

しかし、それはあくまで「体裁を整えている」に過ぎず、僕は本当のことを言ってしまえば、自分本位でしか物事を考えていないし、何より、僕はよく分からない。何故、家族の絆が大事なのか説明しろと言われても分からないし、友達の必要性も本当は全く分からない。

よって、思い遣りの説明も本当はよく分かっていないのだが、感覚的に、それが大事というか不可欠だと、何と無く思っているだけだ。もしかしたら、「抗生物質的なモノ」で満たされるのかもしれない。まぁ、どうせ遺伝子の乗り物が今生。意味など追い求めるのもほどほどに。むしろ、女の尻を追え。

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「孤立」という現象は、かなりの部分、「仕組み」でもって解消していけると個人的には思っている。

しかし一方、「孤独」については「仕組み」で解消することは難しいだろう。

前者がフィジカルな問題だとしたら、後者はメタフィジカルな問題だからだ。

つまり、「孤立」には「目に見える形」でアプローチする方法があるのに対し、「孤独」には「目に見える形」でアプローチする方法が見当たらないのだ。

「孤立」という現象は、システムの中で起こる。よって、その内部でその都度調整をしていけば、ある程度の部分は解消していける。

しかし、「孤独」については、人がこの世に生まれ落ちた瞬間から背負わされている業みたいなもので、そして何より、「孤独」はシステムをいじろうが何をしようが、根本的に無くすことが出来ない。それは多分、己という存在に課せられた「生きること税」みたいなものだと思う。つまり、生きてる限りは、「孤独」からは逃れられないのだ。

でも、だからといって、諦めない。「孤立」と「孤独」を混同して思考を放棄するなかれ。

つまり、「孤立」がシステムをいじることで解消出来るなら、少なくとも「孤立」は減らせるのだ。だったら、アタマを使って、日本のみならず、この世に遍在する「孤立」の解消に向けて汗を流そう。結構単純な話で、人は誰かと物理的に繋がれていたり、触れ合えていたら、「それなりに満たされる」ように作られているのだから。だったら、そうしようぜってことだ。そして、「孤独」が「生存税」だとするならば、そこにフォーカスしても意味がない。「孤独」からの解放は死ぬ時だ。つまり、死んで初めて「孤独」という十字架から降りれるのだ。

だったら、生きているうちは、「孤独」を解消しようとか思わずに、自明のものとして引き受けるしかない。そして、少なくとも人が「孤立」していない状態というのは人為的に作れるし、且つ、その状態で人がまぁまぁ、救われるのだから、やっぱり注力すべきは「孤立」だ。




ひたすら過ぎ去るのを待つしかない。

コントロールしようとせず、ただ「凌ぐ」。

実際、そうやって生きていくしかないんだから。

だから、ここ連日の大気の不安定さにも抗わず、ただただそれが通り過ぎるのを待つしかない。

雨も降る。雷もどっかしらには落ちる日もある。晴れの日もあれば、雪の日も強風の日もある。

しかし、ただそれだけの話だ。

抗えない事柄に対し、無駄な抵抗をして疲弊するくらいなら、抵抗をする余地と価値のある間隙を探し、そこにエネルギーを注がないと。

よって、僕は感情をコントロールしようなどという、無茶苦茶な思い込みからはいい加減卒業して、「ただ生きよう」と思う。

所詮、自分に生まれてしまったことが、もうそれだけで生きる意味であり理由である。

下手クソでも何でも、死ぬまではきちんと生きよう。

喜怒哀楽も春夏秋冬も踏まえ、それでも生きる。命をしっかり使い切る。


ミミズで流したい。

何でも、息が出来なくなるとの理由でミミズが地上に出現→しかし、その大半は流されるとのことなので、渓魚はそれを知ってか知らずかは不明だが、とにかく大雨→ミミズの流れは鉄板らしい。

マス類も、大雨前には上流に上がらんとする本能があるみたいだしね。

やはり、竿を出したい四流釣り師。
当たり前の話だ。

だから、逆説的だが、そう簡単に満たされるはずがないだろと。しっかり努力しないと手に入らないモノや世界を求めてるんだから。

インスタントに満たされることは容易い。


誰にでもおべんちゃらを使いまくり、SNS上でイイね!ボタンを押しまくり、安酒を暇そうな奴と一緒に飲めば、もう世界はこんなもの、これで良いじゃないかとか思ってしまえるからね。

でも、もうそんなんじゃ嫌だ、絶対に満たされないって分かってんだから、だったらやっぱり、孤独や空虚さをきちんと引き受けて、自分が目指す場所まで行く努力をするしかない。

だから、僕は平素、こころの底からは全く笑えないけれど、面白くないのに笑う必要はないと思っているし、それで良いと思います。そうやって愛想笑いを一つする度に、自分が損なわれてしまう気がするから。


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