もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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結局、最期の姿は皆似たり寄ったりで、必ず誰かの世話になる。どういう認知症を発症するかにもよるが、ボケる前の振る舞いや自律度とでも言ったら良いのか、そういうのは割と残る感じの印象。
子どもや兄弟、友達との関係が良好だった人は、面会者が絶えないが、そうではない人は誰からの便りもなくまさに姥捨山状態。例えば、同じ市内に子どもがいるにも関わらず、用が無い限り面会に来てもらえない者もいれば、ベトナムだかに駐在している娘が、時間を作っては、せっせと親に会いに来たりする。まぁそんなもんか。 一概には言えないが、結局積み上げてきたもの、あるいは目を背けたり上手くやれなかったものが最期に露呈するのが老後な気がする。 しかし、それ以上に思うことは、更に突き詰めた最期は皆一緒ってこと。 無い頭でも使えるうちに使わなきゃだし、脚が動いて転倒の心配が無いことが、どれだけ自由で貴重で、あらゆる可能性があることなのかを、もっとありがたがるべきだ。 しかし、ある種の美しさも老後にはある。 そりゃ自分も含めて不完全で取るに足らない人間が、80年だかそれ以上生き切った事実は、もうそれだけで美しくもある。 だから、結局生きるしかないし、生き切ることが全てか。その中で自分らしくもがいて天命を待って最後は死ぬだけさ。 PR ![]() ![]() |
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