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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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夜風が秋のそれとは異なり、すっかり冬らしくなってきた今日この頃。また12月がやってくる。

昨年のこの時期は、僕はもう、色んなこと(進路のことや彼女絡みで発生したトラブル、さらには、地にまで堕ちていた自尊感情が招いた、過去の罪悪感やら自責の念やら、それはもうあらゆること)に、すっかり疲弊してしまい、逃げるようにして、とりあえず四国に向かった。

四国に向かった理由は特に無い。

強いていうならば、何となくその時期にやっていた「龍馬伝」などが、意識のどこかに引っ掛かっていたくらいのモノであろう。

要するに、どこでも良かったのだ。場所なんて。

四国は確かに好きな土地の一つではある。

大学に受かって直ぐに、僕は地元の友人と四国を旅行した。

もうかれこれ、5年も昔のこと。

ただ、ひたすらに無邪気な若さに身を任せ、四国を巡った日々が懐かしい。

以後、年に一度のペースで、四国には訪れている。近年は、ただうどんを食すためだけに、香川県のみ訪れるなど、いささか偏狭にはなりつつあるが、場所なんてどこでも良いと思っている最中でも、ひとまず漂着してしまう土地なので、前言撤回、やはり、何か自分にとっては、特別な場所なのかもしれない。

四国のあらゆる場所で、遍路をしている数多の人に行き交う。

その行き交う人、一人一人に、よんどころない事情なり、まぁ、それぞれの人生があるワケであり、何というか、そういった人達に溢れるこの土地は、やっぱり何か特別な場所だと感じる。

四国遍路とはもともと、死者となって(格好がまさに、死に装束)、「死国」(四国)の八十八ヵ所を巡り、そして、再度生まれ替わる「擬死再生」をすることである。

「擬死再生」…

僕は、特にこれと言って、札所にも空海にも思い入れはないけれど、この「擬死再生」という考え方は好きだ。

自分は、生まれ替わりたかったのだろうか。また、生まれ替わりたいのか。

分からない。もう一回自分をやっても良いと思う反面、まっぴら御免だとも正直思う。

しかし、そういった愚問を超えて、遍路には生き直しの意味合いがあるそうな。
そして、そんな教義をプロデュースする四国という土地には、やはり、特別な感情を抱いてしまう。

大学生の頃、琴平のコンビニで、遍路をしている中年男性と話す機会があった。

僕は煙草を吸いながら、暮れゆく金比羅山など眺めていた。

そこへ、件の中年男性がやってきて、一本もらえますかと言った。

僕は煙草を差し出し、火を点けてあげた。

彼は、手刀を切りながら、目を細め、上手そうに煙草を吸った。

「大学生?」

と聞かれた。

「はい、そうです」

と僕は答えた。

彼は、

「良いね、大学生か」

と言った。

そこで、しばし沈黙。

僕は沈黙に耐えられる程、大人ではないので、つまらないおしゃべりを始める。
「お遍路さんですか?(見りゃ分かるだろ)」

「移動手段は徒歩のみですか?(別に何だって良いではないか)」

等々。彼は、その一つ一つに丁寧に答えてくれた。

そして、質問事項も枯渇し、再度の沈黙。。。

それでもまだ、つまらない質問をしようと、頭を捻らせていた刹那、彼は唐突にこんなことを言った。

「私にも、何でお遍路なのかは分からないのです。」
「ただ、許されたり、生きなおせる方法があるのなら、ひとまずは、それを試してからにしようと思っています」と。

僕は、何をどう言い返したら良いのかは分からなかった。当時は、許すことや、生き直すという発想すら、抱いたことは無かった。また仮に、考えていたとしても、自分の言葉ではない、一般論の域を出ない程度の、底の浅いものであった。
僕はひとまず、

「もう一本、(煙草)吸います?」

と彼に声を掛けたが、彼は微笑みながら固辞し、

「ご馳走様でした。では。」
みたいなこと言い残し、その場を去って行った。

悪いことをしたと、今では思うが、まぁ、そんなものだろう、人と人との出会いなど。

彼は今、許されたり生き直せたりしたのだろうか。

多分、そんなに簡単にはいかないであろうことは、何となく予感するが、あの頃の彼の苦しみが、(何を抱えているのかは分からないが)少しでも緩和していたら良いなとぼんやりと思う。

まぁ、ダメならまた、「死国」(四国)を歩けば良いのだ。今度会ったら、少しは気の利いた相槌くらいなら、打てるかもしれない。

四国の思い出。
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リスクを取らないと何も始まらない。

しかし、リスクさえきちんと取れたら、もう9割は成功しているのではないかと思う。

退路を絶てば、道は一つになる。だから、集中出来る。迷いもない。


今現在の自分は、退路が腐る程ある。無数の選択肢がある。恐らく、本当にその気になれば、大抵の望みはまだ叶うであろう。

しかし、その退路に甘んじているから、先に進めない今の自分があるんじゃないのか。

結局、お前は何がしたいんだって話だ。
結局、望む境地が変わらないんなら、そこを目指す方向にエネルギーを注ごう。人生は短い。誤魔化して生きるも一生、正直に生きるも一生だ。一回しかない人生なら、俺はどっちを選ぶ。

とりあえず、誤魔化せる範囲を減らしたい。素直な領域をなるべく多く残しておきたい。「ありのまま」なんて桃源郷かもしれないけど、限りなく「ありのまま」になら、きっと努力すれば近付ける。

嗚呼、僕は今気付いたけど、「ありのまま」で世界と交わりたいんだな。そうか、僕は「ありのまま」を曝して生きていたいんだ。そして、それを強く希求するということは、僕の現在やこれまでは、全然「ありのまま」からかけ離れているということだな。

嘘は付いても良いけど、自分が大事だな、と思う所に関してだけは嘘なくありたい。

誰かを傷付けてしまうことも仕方ないけど、その人を決定的に傷付けてしまうようなことは避けたい。

自分がこれまで受けてきた愛を、他の誰かに還元していくことが、多分大切なこと。

青臭い、馬鹿らしいかもしれない。

ただ、僕は、愛がお金やモノと決定的に異なるのは、「数量化出来ない部分」であると思う。そして、「視覚化」も出来ない。気持ちのこもっていない千羽鶴や御祝儀なんて、嬉しくないもんね。むしろ、余計に絶望してしまうかも、何かそういうの。

金なんかいらないから、友からの励みや祝福の言葉だ。金じゃ買えないからね、愛は。

結局、僕は何が言いたいのか収拾がつかなくなってきたが、とにかく、愛は大事だってことだな。

形に表さなくても、大切に思っていたり、気にかけてあげるだけでも良いと思う。

伝わらなくちゃ意味ないじゃんと思うかもしれないけれど、表出しない愛だって、「念」となり、必ず相手には届くのではないかと思っている。馬鹿みたいだけど。

ちょっと吹っ切れた部分もあるな。

「自分がただ在るだけ」で多分良いんだと思うし、逆を言えば、それ以上のことは出来ない。

そもそも、誰かを救おうとか、何とかしてやろうと思うこと自体が、根本的に間違っているというか、おこがましいのかもしれない。
しかし、僕は不完全だから、それでも何とかしてやろうとか、困ってる奴がいたら何か力になってあげれないかとか考えてしまう。その関係が、もしかしたらいわゆる、共依存的な関係だと分かっていても。

完全な人なんかいないから、完全な関係など多分ない。不完全な人だらけだから、不完全な関係を、試行錯誤しながらも、とりあえず頑張って続けていくことが大切なんだと思う。

色んな考え方があると思うけど、僕はやっぱり、僕の暫定的意思決定を続けていくように思う。

別にそれが、何かに結びつかなくても良いじゃないか。スベっても外しても、別に構わないではないか。

結果を求めるから卑しくなる。他者を誘導しようとか思ってしまう欲が出てくる。

思い通りにいかないことが常なんだから、思い通りにいかない世界を受け入れよう。

その中で、縁あるものなら、自然と繋がりが生まれるもんでしょ。不完全なことをコントロールしようとする、浅はかな自分を恥じなきゃ。本当に。
気分を一新するために、今日は髪をガッツリ切った。
すげーアタマが軽くなった。

相乗効果か知らんが、普段走っているランニングコースに於ける自己ベストを更新した(笑)6,5キロ、28分。

あれこれここ数日は、何だかダウナーだった。

でも、結局、僕の人生は僕しか全うできないもの。

色々そりゃあ皆あるさ。

もう一度顔を上げよう。


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