もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今日は引くくらい勉強した。12時間くらい。
勿論、相も変わらず、自責の念のせいで何もかもどうでも良いとも思うし、私は本当に恥の多い人生を送ってきましたなどと、「太宰的葛藤」に苛まれて、自分イタ過ぎて死にたくもなるけど、頑張ってやり過ごしてる感じ。気分はまるで、綱渡りのeveryday。良い曲だ。 まあ、戯れ言はさておき、本当にギリギリ、一日に何百回も鞭打って、何とか延命出来てる状態。 苦しくて仕方ないよ。 でもね…結局、ヤケクソの先に救済なんてないだろう。 今日、明日、それが出来たら明後日。とにかく、生き延びることを至上命題にして、何とかやり過ごそう。 辛いけど、いつか笑える日がくるよね、また。 そのためには、とにかく1ミリでも先に進むことしか突破口はない。 堕落は容易いけど、結果的に、一番辛くなる未来になる確信がある。 とにかく、頑張ってるよ。頑張ってやるさ。死にたくないよ。助けてくれとはもはや一切思わない。 自分で作り上げていかなきゃ。 主体的な自己をね。 疲れで麻痺させるのは逃げかもしれない。 でもね、今の自分を変える突破口は、とにかく頑張って延命するしかなさそうだ。 ああ、相変わらずクソ野郎だな。 ははは。まぁね、最後に笑えて、皆と肩を組める日がくることを信じてる。 そして、全てを許し許されて、涙を流しながら、美味しい酒に酔いしれたい。 アホみたいだろ? でも本心なんだ。 PR
昨日は酔っ払いつつ、タチの悪い記事を投稿してしまった。要反省だ。
しかしまぁ、溜め込むことは不健康であるから、たまにはブログ上で暴言を吐くのもアリだろう。そのお蔭か、私は公衆の面前では、まず暴言を吐いたりしないからね。 あらゆる関係や自分を取り巻く状況は、薄氷が如し。 絶妙なバランスで、腹の内を隠したり探ったりしながら、皆生きているんだ。 そういうモンだからね。割り切れば、良い意味で諦観出来る。 所詮は薄氷なんだから、少しのことでヒビが入ったり、あるいは貫通して破綻することは仕方ない。 どうせなら、ザクザク氷上を歩き回って、いらない薄氷は、「さら」の状態に戻しちゃえ。 不自然に凍結しているモノを溶かして、停滞している「流れ」を取り戻そう。 そして、その水脈を別の何かに充てていこう。 それがきっと、淀みなく生きていく秘訣だ。 まぁ、理想論だな。 しかし、理想のないところに、良い結果はそもそも存在しない。 自分のイメージが、自分の未来のサイズだろ。 そのギャップが大きくて苦しいけど、きっと努力で埋められる。 努力してもダメなことや、そもそもコントロール出来ないことに関しては、思い切って手放そう。
人間は、所詮、気分屋且つご都合主義な存在だ。
まぁ愚痴は嫌いだから詳細はしないけれど、私を散々罵ったX君が、いきなり和解しようムードを出し始めて辟易している。 彼を取り巻く状況が好転したから、気持ちに余裕ができたのでしょう。そして、私を許してやっても良いという心境に至ったのですかね。分かりませんが。 私はここに宣言したい。 私は長いモノには巻かれたくないし、ご都合主義も否定する。 俺が正しいと思うことを信じるし、信じたい人を信じるよ。例えしっぺ返しを食らってもね。 よくいるじゃない。組織やグループに於いて、リーダー格の奴に、とりあえず取り巻いてる奴とか。 俺はそういうのはゴメンだね。 例え一人になっても、俺は俺の価値判断に基づく選択をしたい。 何故かと言うと、自分の中にも、長いモノに巻かれたら楽だから精神とか、強い奴に従いたい気持ちも実はあるからだ。 でも、時代はもはや、原始時代ではない。 自分のモノサシで生きることが可能な時代だ。 俺はそれを信じる。 愚痴っぽいな~俺。 でも、俺は絶対に屈服だけはしない。 愛想笑いや媚へつらいに、一体どれだけの価値があるのか。 もはや…価値なんてないだろう。 俺は自分を信じる。
頭で処理するから良くないんだと思う。
必要・不必要、有意義・無意義、善・悪、真実・嘘、and stuff… ぐるぐると余計なことばかり考えると、深みにハマる。 自分がしたいこと(とりあえず目先のことでも何でも)をシンプルにやれば良い。 そうすれば、自ずと人生は好転する気がする。 不要なモノは淘汰され(言葉が悪いな)、と言うか、自然と意識しなくなると思う。 ネガティブなスパイラルに陥る機会も減りそうだし、仮に陥ったとしても、能動的かつ主体的に選択したものなら、受け入れられるはず。 とにかく、頭ばっか使うのは不健康だ。 どうせ使うなら、こころを使おう。 頭とこころは、やっぱり別モノだ。 頭で考えたことには、理性による「調整」、「適応」、「最適化」なんかが含まれている。 つまり、本心を細工して、現状にフィットさせてしまう働きを持つ。 こころが発したことは、出来るだけ、こころのままにありたい。 こころを抑圧することほど、不健康なことはないよ。 こころの声は、言うなれば私そのものだ。 そして、こころの声を、理性というフィルターに一度通してしまったモノは、私そのものから、解離していく。 では、解離した結果は、一体、誰のモノ? 勿論、万人がこころの赴くままに行動したら、社会は破綻する。 だから、道徳により「良心」なるものを育み、法律で個々人を規制をし、社会の混乱や破綻を防ぐ。 それが良いとか悪いではなく、暫定的に、そうせざるを得ないのだ。 ある程度、物質的に恵まれて育った僕達の世代は、良くも悪くも怒れない。 社会に対する細々とした不満はあるけれど、デモを起こそうなどとは、決して思わない。 何故なら、そこまでの理由がないからだ。 そして、やり場のない小さなフラストレーションの欠片達は、僕らを確実に蝕んでいることであろう。 しかし、僕達は麻痺している。 とりあえず平和だから、とりあえず飢え死にはしないから、僕達には、差し迫った動機なんて持てない。 だから、頭を使うのはよせよ。 法律は僕を縛りつける代わりに、僕に言論の自由をもたらしているのだ。 逆説的だが、制約があるからこその、自由だ。 しかし、それは与えられた自由に過ぎない。 「ある部分」は抑圧されている自由だ。 しかし、その「ある部分」には、なかなか人は気付けない。 抑圧されていることにすら無意識だから。私達が意識しないまた違った自由が本来はあるのかもしれないが、端から抑圧されているのだから、それに気付きようがない。 しかし、無意識は抑圧に気付いているのだ。 その無意識を軽んじてはいけない。 より良く生きるためのヒントが、実は、その無意識の中に隠されているようでならない。 だから、理性よりもこころの機微に耳を澄ませよう。 それが多分答え。
2010年は、負の年であった。
いくつかのことが積み重なって、物事は悪い方へ悪い方へと進んでいった。 打開しようとそれでも何とか足掻いてみたけど、持ち前の切り替えの下手くそさそ、繊細さ(笑)に足を取られて、なかなか思うようには好転しなかった。 本当に、これまでの人生で最低の一年だった気がする。 ただ、良い契機になったことは確か。 悩みの底にある、自我の問題についても掘り下げられたし、改めて点検する良い機会にもなった。今まで気が付かなかったことにも、気付けたりした。 地に足が着いていなかった自分。熱に浮かされたような大学生活を過ごしていたので、一回、地面に叩きつけられる必要性はあったのかもしれない。 勿論、そんな目には極力あいたくないが、必要悪とでも言おうか、長い目で見たら、決して悪いことではなかったと思える日がきっとくるはず。 2010年は、些細なことを引き金に、加速度的に自信を喪失していった。 今まで自信になっていたことが、ことごとく瓦解した。 それまでの自分が自信にしていた、虚像のベールが剥がれてしまい、僕は無防備になった。 無防備は弱い。 益々、些細なことが僕を追い詰めた。そして、色んなことに傷ついた。 そんな一年であった。 しかし、きっとそれは、変化のための「サナギ」の段階にいたから。 サナギは無防備で弱い。 しかし、幼虫だった自分が、次の段階に進んだということだ。 成長は痛みを伴うもの。 渦中にいる時は、その痛みにばかり気を取られ、痛みの意味や価値などは、勿論、タイムリーには感じられない。 しかし、渦中をくぐり抜け、後々振り返った時に、その痛みや価値の持つ本当の意味に、はじめて気が付くのだ。 今までもそうだったし、きっとこれからもそうだ。てか、人間、皆そうか。 今が最低、最悪でも、それは次の段階に進むために必要な痛みだと思う。 だから、焦らず、ヤケクソにならず、ただ目を閉じて、嵐が去るのをひたすら待つしかない。 次の晴れた日には、きっと、もっと強くなった自分と出会えるだろう。 些細なことでマイナスに向いてしまった自分の長所なりエネルギーを、次のステージでは是非、プラスに転化したい。 頑張れ、自分。 |
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