もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
無気力だ。
昨日は二子玉川の、シンガポール料理屋で海南鶏飯を食べた。 本場とは随分かけ離れたクオリティだったが、久しぶりに海南鶏飯が食べれて良かった。 その後、多摩川土手を散歩した。 見知らぬバアさんに、 「これからアヒルにパンやるから、アンタも手伝いなさい」と言われ、見ず知らずのバアさんとアヒルにパンを与えるという、シュールな体験をした。 このバアさんの指示がやたら細かく、 「食パンの耳の部分を見せたら食べないから、白い部分をまず見せるのよ」とかいうマニアックなレクチャーを受け、鳥にエサを与えた。 パンをそそくさと与えたバアさんは、ものの5分もしないうちに帰った。 帰り際に、 「お兄さん、まだまだ若いんだから、何でも出来て良いじゃない、頑張りなさいよ」と言われた。 俺からは、そんなに陰気なオーラが出ているのだろうか。でも、何か嬉しかった。 その後、メンタルフレンド。 お子さんが、またも直前逃亡を企て、仕方ないので、お母様と二時間程あれこれ話す。毎度毎度、勉強になるし、何かもう半分、カウンセリング受けに行ってるようなもんだ。 金までもらえて、良いのかなと思う。 帰って来て、就活のエントリーやらしようと思ったけど、バカらしいからやらなかった。ただ無為に、ダラダラしてビール飲んで寝た。 満たされない。 多分、夢がないのだ。 熱くないよ。熱中出来る何かが欲しい。 今の俺には、世界一周以外の夢はない。 しかし、果たしてそんなことが何の役に立つというのだ?という疑問も頭によぎる。 どうせ、俺のことだから、半年そこら、特に何をするワケでもなく、1日中ゲストハウスにいて、朝からビール飲んで、本読んで、昼寝して、夜になったら致し方なく安い飯屋にでも出掛け、そそくさとホテルに帰り、またビールでも飲んで寝るのが関の山な気もする。 まぁ、それも一興だが、価値なんてあるのかな? でも、日本にいてもつまらないし、海外かな、やっぱ。 就活とテストとバイトとSPIの勉強に追われ、本当に参ってる。 そんな時の息抜きに、もう秩父や名栗や奥多摩に行くのも飽きた。国内だと満たされない。 苦労が少ない分、感動も薄いのだ。言葉も通じるし、快適極まりない車で行けるし、ケータイだって繋がる。自販機やコンビニも何だかんだあるし… どうすりゃ良いんだろ。 彼女とも順調だ。友達も多分元気っぽい。 でも、満たされない。 相変わらず抗鬱剤と安定剤がないと外出も出来ない。 タバコばっか吸ってる。 学校の奴らとも積極的に絡みたいとは思わない。 急に25になってから、溝を改めて感じるようになった。 今までやっぱり、無理はしてた。 同じ次元でコミットは出来ないよ、やっぱ。 疎外感を感じて寂しい。 マイノリティは辛い。 俺は俺なりに頑張ってきたけど、もう限界。 無邪気に馬鹿騒ぎできねーもん。キャーキャー、ワーワー。アノイを誘う。 25だぜ。 もっとしっかりしろよ。 はい、そうですね。 嗚呼、相変わらずの私です。 PR
旅が私を呼んでいる。
去年の今頃は、ベトナムやラオスに行く準備をしていたことを懐かしく思い出す。 心は刺激を求めている。 毎日は平坦で退屈だ。 心持ち一つで、そんな日常は変わるのかもしれんが、私の魂は旅を求めている。 世界を歩きたい。 ただ歩きたい。 俺はどこにも帰属も執着もしたくない。 いつだって、荷物一つで旅立てる。 それを忘れちゃいけない。 私の毎日は拘束的で義務的だが、それは自分で勝手にそうしているだけだ。 捨てれば軽い。本当は。 固執するから重くなり、世界はどんどん狭くなり、生きているのがイヤになる。 まぁ、そりゃね、もう何もかも捨てられない現実も分かってるよ。 でもね、いつだって、心の片隅に置いておきたい。 本当は何だって出来るし、どこにだって行けるという事実を。
久しぶりの日記?でもないか。
とりあえず、熱心に就活を始めました。かなりの後発部隊だけどね。 土日は、マイナビ主催の合同説明会に行ってきました。 NHK、博報堂、日版、東洋経済新報、講談社と、めぼしい企業を回って、モチベーションが少し上がりました。 NHKのディレクター職良いな~。 民放と違って、広告収入に頼ってないから、民放と比較したら、割合と自由に番組作れるみたいだし、何より、ADすっ飛ばして、いきなりディレクターとして働ける環境も魅力的。 講談社もあとは良かったかな。 出版不況言えど、自分の問題意識を本に出来るのは魅力的。 媒体の過渡期には確かにあると思う。 もう、「本」という絶対的な存在感なんて、確かにないからね。 Amazonのkindleの出現で、もはや書籍はデータと化し、携帯小説の爆発的なヒットなんかも顧みても、もはや本の時代は終焉を迎えているのは自明だ。 情報をPDFファイルにしてPCに送りつけた方が早いし、コストもかからない。 しかし、羊皮紙から紙、紙からネットという媒体の変遷は、ある意味では避けられないことだ。 物心ついた時から、携帯やネット環境が既に当たり前だった、「デジタル・ネイティブ」世代が、これからどんどん購買層となっていくワケだ。 変遷していくものは変遷していかなければ仕方がない。 「やっぱり本にしかない魅力がある!」と俺も思うけど、時代が要請しないのであれば、それは淘汰されるのはやむを得ないのだ。多分。 さて、閑話休題。 今日は北海道時代の友達と久々に飲んできた。新年会。 やっぱり、幼なじみって良いよね。 久々に楽しく飲めた。 やはり、同い年だと気遣わなくていいからね、楽。 普段は、4つ下だから、どうしても一歩引いちゃうし、少し多目に払っちゃうしで、心底、完全にコミット出来ないから寂しいっちゃ寂しいからね。 今日は良かった。 さて、今日はこれから須永、石井とラーメン。 今日は25歳の会だ。1984バンザイ!ジョージ・オーエル!
今日したことは、ニンニクのチューブを買いに行っただけ。
それだけ。 まるで役に立たない害虫みたいな一日だ。 でもまぁ、何かを生産したり、能動的に生きる者にのみ価値が付与される社会は変だ。 非生産的で受動的でも、価値は等しい(はず)。 資本主義の原理を人に当てはめてはならぬ。 しかし、資本主義にどっぷり浸かっている者に、資本主義を語る権利なんてないし、選択肢もない。 洪水や台風なんかと一緒。 自分では抗うことの出来ない、圧倒的な力の前で、ただ呆然とするばかり。 それしか出来ない。 その中で、今日も明日も生きていくしかない僕たち。 せめて自覚は持ちたい。 抗えないという自覚を。 全身麻痺は避けよう。 誰だっけな?サリンジャーかな? 忘れちゃったけど、無自覚より罪なことはないんだってさ。 自覚すれば、せめて、全身麻痺は避けられるんだと。 俺もそう思う。 呆然と無為自然に、ただ一切を眺めよう。 諦観。 そんな格好良くは生きれないだろう。 泥臭く、今日のご飯のことや、月々の公共料金、子どもの学費や住宅ローンに辟易としながら、生きていくんだろう、多分。 がめつく目の前の利益を優先し、排他的で狡猾に、自己中心的なご都合主義で生きるんだろ? うんざりしちゃうね。
全てを脳内で完結しようとするから袋小路だ
その思い上がりを良い加減よしたらどうだい? 雨の日と晴れの日の気分は違うだろ? もっと委ねても良いんだよ、自然とか、もっとでっかいものにさ お前はそんな小さいことを相変わらず気に病んで、うじうじしたりしているようだけどさ まぁ、所詮、有限な僕達の命 笑える時間を増やそうよ。眉間に皺ばっか寄せてないでさ。 俺は君のことなんてよく分からないよ。君だってそうだろ? でも、君のことを、もっと知りたいって思えることが、愛なんじゃないかって思うんだ 矛盾はつきものだよ。僕達の人生はオセロじゃないんだからさ。 灰色の気持ちを引きずって、それでも今日を生きる俺の何が悪い。 皆そうさ。 仮にね、白黒はっきりした人生だったら、俺はその冷酷さに耐えられないよ。 もっと皆優しさを持てよ。 自分の保身ばっかり考えて、何が楽しい? お前をもっと活かせよ。 優しさをもっと使えよ。 俺も今、その練習中さ。 優しさをうんざりするくらい振りまいて、俺は死にたい。 優しさや思いやりに勝るものなんてない。 |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新記事
(12/06)
(07/03)
(06/15)
(05/09)
(04/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
|