もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
全く仕事に意味もやり甲斐も見出せない。
誰かがやらなきゃいけないことを誰かがこさえたルールの中でやるだけの日々。 毎月振り込まれる一定額の紙切れを見て、ああこれでアレも買えるなコレを食べようとしばしニヤニヤ、されど刹那。しばらくは自分を救うが、そんな快楽は長続きしない。 人は合わせ鏡的な教訓に倣うと、俺がクソなだけな話。こんな繰り返しをあと1万日もしなきゃならないとか本当に萎える。 余暇に尻尾を振り振り。お暇を頂きました!なんと、8日もお暇ですよ! いゃあ、おまんま食べられてお暇まで頂けて有難いんだけど、俺はもう生きてないようなものだ、実際。 明日はお盆だナンマンダご先祖様。 俺は仕事だけど、すごくダルいけど、じいちゃんばあちゃん俺は頑張るぜ。 そうなんだよね、じいちゃんばあちゃんの顔が浮かぶから明日は行かなきゃだな。 PR
人は見てる。天も見ている。
恐れるな。自分の「正しい」は遍く正しくなんてないんだけれど、それでも言い切れる。その正しさを信じれなくてお前さんに何が出来るんだいと。 同期とパスタを食べながら、そんなことを改めて思った週末。
今日は誕生日だ。
幼少期は誕生日が嬉しかった。 それは純粋に、大人にまた一歩近づける喜びみたいなものも内包していたし、周りの大人が祝ってくれたことが大きい。 自分は誕生日が夏休みにかかるので、大抵夏休みは岡山の祖父母宅にいた。 両親親戚が揃って岡山にいるので、毎年誕生日は盛大に祝ってもらった記憶しかない。ただ歳を無邪気に重ねただけで、周りの大人はこれでもかと喜んでくれる。つまり、ただそこに居てOK、自分は自分でありさえすれば十分なんだとこの上ない自己肯定感を育ませてもらった。 今何となくボンヤリ書いてるが、幼少期の誕生日とかって、実はその後の人生に大きな影響があるなと思う。 閑話休題、何だかんだでまた誕生日。 32回目の自分はどうする。 あの頃祝ってくれた大人の3分の1くらいは既に亡くなり、両親ももうすぐ立派な初老だ。 今の自分を鑑みると別に不満はない。 曲がりなりにも安定した職を得、食うには困らない。多分、結婚も子育ても家を買うことも、経済的には可能だ。色々思うことはあるが、人間関係なんてどこで働こうが付き物だと思うので、少なくとも今の身分が保証される限りは文句言うのは贅沢であると思う。 数は少ないながらも友達いるし、彼女もいるこの現状に文句を付ける気持ちは1ミリも無い。 しかし、人間は強欲である。 例えば、去年の今頃、切に願っていたものが手に入ると、次はまた何か違うものを欲する。これさえあればもう他に何も要らないとか一時的にせよ思ったにも関わらず。 欲望は止まることを知らず。しかし、それは人間が社会的な存在である以上逃れられない業なのかと思ったり。 さて、何を書いているのかサッパリ分からなくなってきたが、こうやって育ってきて32回目。 何か命というか自分を、もうちょっと有効に使いたい。勿論、今の仕事に何となく従事するだけでも、結果的には誰かの役には立つと思うことは思うが、そんな毎日はやっぱりどこか実体がない。 望んで歯車になったのだからあれこれ言うなやという話なんだが、歯車は歯車で辛い。特に自分が就いた業種は、ミスをしたら怒られこそすれ、ミスをしなかったとしても褒めらもしない。そして、多分だが、比較的誰にでも出来るし、誰にでも出来なきゃダメなように既に仕組みが整えられている。 まぁこれで良いやとは思うけど、自分は今どう感じる。世間体を抜きにすれば、自分なんか無に等しい。 あんなに愛された幼少時代の自分のなれの果てがこんな姿だなんて、実際どうなんだ。 32回目の自分もなかなか前途多難である。 納得感が本当に感じられないと、どうにも自分は自分であるという実感を感じられないらしい。まぁ、皆んなと同じってことだね、多分。
そう思えば楽になる。今日は夏休みなのだが、特に何をするワケでもなく、髪を切りに行く予定をこなすだけでもう疲れてしまい、とてもどこかに行く気にもならない。
しかし、僕は元来こういう人間だったと思う。 基本的にはモノグサで、人や社会には受け身、特に主張したいことも無いし、文句も不満も実は無い。勿論、仔細に点検すればフラストレーションだらけではあるが、何だかそれについて悩むのももう面倒臭い。結局、全てに当事者意識なんてないからだと思う。寂しい限りだが、僕は割と何と言うか…別にどうでも良い。どうにもならなくなったら人はやるし、また、そういう状況にでもならなきゃ、人はやらんと思うし。だから、特に何も無いんだったら、何も無いことに実は飽き飽きしながらもそれを享受するみたいなスタンス。いや、スタンスなんて格好良さげなソレではなくて、単純に面倒なだけ。モノグサの帰結。 家でこうやって本を買い込み、安いワインを飲みながらダラダラ読書するだけで十分楽しい。 原点がこういうところにある気がするので、何だか落ち着く。色んな考え方やアプローチがあるが、僕は自分の性分に抗ってはイカンと思ってるので、まぁ抗わずにのんびり生きようと思う。 大体にして、今の社会はスピード感だの情報量だのをやたらに求めてくるが、そんなんは別にどうでも良いよと心底思う。
もう色々ウンザリして早くも仕事に何の希望も持てず、とりあえず行けばOKというスタンスに。
職場では一切話さず、昼休みも基本はクルマで過ごしてる。車内でそそくさとメシ食って、あとはひたすら読書か昼寝。 最近は資産運用系の本しか読んでない。 月々決まった給料が振り込まれるのは有難い話だが、それにしがみつくだけの人生には、多分自分は耐えられないと思う。 汗水たらして稼ぐカネ。しかし、不労所得で得たカネもまたカネ。 最近は毎日金持ち父さん貧乏父さんを繰り返し読んでいる。 自分のためにお金を働かせて、本当に社会に役に立つことをしたいし、そういう自分を目指したい。 やれやれ、あと少しで32回目の夏がくる。 人生の手持ち時間はあまりにも短い。 いまのところ、僕は社会的に何一つ還元出来ていないし、別に楽しくもない。全部誰かが作ったルールや土俵に則ったり上がったりしてるだけ。 自分を生きたい。なら、やるしかない。 |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新記事
(12/06)
(07/03)
(06/15)
(05/09)
(04/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
|