もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今日は起きて愕然とした。
理想と現実があまりに解離していることから、やっぱり逃れることなんて出来ないやって思ったからだ。 昨日寝る前に、「桃源郷」のような記事を書いた。 だからであろう。 朝目覚めた瞬間からの「現実の重さ」が対比感覚となり、そのギャップに耐えられなかった。 とりあえず、タバコを吸いながら、ひとしきり絶望してみたが、10を数えてやめた。 春樹が何かの小説の中で、主人公にやらせていたことだ。 「10、9・・0。はいおしまい」ってね。 僕もそれに倣い、「現実的な僕」に今日も転身する。 世を嘆きながら、アイロンがけや、入念にウォシュレットを使うことは出来ないのだから。 今日は予備校へ。 民法。 終わった後、一風堂でラーメンを食べて帰宅。 今日も、昨日同様に予備校の授業込みで10セット。 ようやくスイッチが切れる。 束の間の「ホントの私」。 そして、「ホントの私」だなんて決めつけている「私」を客観視している「私」。 よく分からないが、とにかく、スイッチは切っても良い時間だとは思う。 スイッチが切れたら、やっぱり「桃源郷」を夢想したくもなるよ。 そりゃそうだろ? 俺は今日も無味乾燥なミクロ経済の問題を解き、数的処理をヒーヒー言いながらやり、憲法の遠回し的な言葉使いに辟易し、そして、ワケも分からないけど、朝起きて、髪型までセットして出掛け、帰りは満員電車に揺られ、オッサンに挟まれながら、汗だくで帰宅したのだ。何で生きてるのかも分からないのに。 健気な奴だ。 だからこそ、スイッチが切れたら、僕は夢想する。 でも分かってるよ。 それは言わないでくれ。 本質的な解放は、現実の堆積の中にしか、恐らく見出だせないモンだと思う。 だから、明日も生きよう。 堆積の体積が、ある段階まできたら、僕は救われる。 なんてね。 くだらないけど、的を射ている気もする。 要は明日も生きなきゃねってことだ。 スイッチを入れてさ。 その時間の堆積が、「スイッチの入っていない自分」をいつか救う、と思い込んでいる「自分」。 主体はどこにある。 そして、主体が主体たる根拠はどこにある。 そりゃ、言うまでもなく、「今、そう思う僕」だ。 それ以上でも以下でもない。 でも、そいつを疑わないといけないことは、前にも書いた。 だから、僕は生きて探さなきゃいけない。 こんなことを思わなくて済む「自分」を。 あるいは、その到来を。 PR ![]() ![]() |
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