もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今週の主なtweet等。
ついに66キロ台に突入。記録によると、昨年10月23日以来。今年の4月は72キロだったので、4ヶ月弱で-6キロ。この調子で65キロまで落とし、キープしていきたい。 【速報】スネ毛を全剃りしたのは、やっぱり間違いだった 爽やかに今日も朝ランナー気取り。6.3kmをキロ5分で。腹筋220回。地元の高校の陸上部の子達にガシガシ抜かれながら。認めたくないが、もう本当に30代の方が近い。 近所の子ども達が、シャボン玉をやっていて、それが風に舞う光景はなかなか乙。まぁ、僕達の人生も、シャボン玉みたいなモンだからね。色んなことを自分の意思で選んでいるように見えるけど、実際、かなり怪しいもんだ。偶発的な物事に揺さ振られながら、宙を舞うシャボン。それが人間。 だから、「こころ」や「精神」といったメタフィジカルな観念を、独立した存在として扱ってはならないと思う。尊重はしても良いんだけど、絶対視はダメだと思う。あくまで、「こころ」や「精神」の源泉は脳にあること。その事実を忘れてはいけない。つまり、我々は科学によって証明可能な有機体に過ぎぬ 身体と精神は、二項対立的に見なされるとする文脈によく出会うが、あくまで精神も身体の一部。つまり、風邪を引くことと鬱病になることは、本当に同義ではないかと思う。同義であるなら…風邪を薬で治療出来るように、鬱病も薬で治せる。また、風邪を自然治癒出来るように、鬱もまた自然治癒出来るはず また、薬で治療可能な範囲が限られる身体的疾病があるように、鬱病にだって、薬効による限度はあるであろう。それは、科学が単に追いついていないだけの話。いづれ、克服可能な領域であると考える。 そう考えたら、悩んだり、落ち込んだりするのが馬鹿馬鹿しくなる反面、仕方ないとも思えるのでは。風邪を引いた時に、我々は、ひとまず病が去るのを待つ。同様に、ちょっと「こころ」やら「精神」の具合が悪い時も、ある程度病に委ねても良いと思う。免疫力と抵抗力があれば、病はいずれ去るのだから。 テスト受けて、大学の友達と飲んで帰宅。双方貧困層なので、一軒目1500円、二軒目350円で済ませるプロレタリアっぷり。金がないクセに、河岸を変えたがる志向だけはブルジョアジー。私の近未来の目標は「現在の会計総額」を気にしないで酒を飲むこと(笑)某市最終面接、俺の分まで頑張れ! 久々、クラスの友達連中と。何故か途中で石井参加(笑)ライオン、笑笑、HUBとトリプルヘッダー。なんだかんだで久しぶりで嬉しかったな。 PR ![]() ![]() |
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