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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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自殺願望、無価値感、罪悪感、一日中絶えず続く自責の念と周囲に対する申し訳なさ。

様々な人がこんなクソ野郎を様々なイベントやら遊びに誘ってくれる。

そのこと事態は嬉しいが、心が全くついていかない。行きたいという気になれないし、話もしたくないと思ってしまう。

そして、この?%E:426%#ヤは、実はもう相当長期間(恐らく、16歳~現在)まで続いており、人と会う時はいつも、『その約束をこなす』という感覚でしか、僕は人と関わって来れなかった。
不幸なことだと思う。

そんな感覚でしか人づきあい出来ない原因は、まずは不登校をした期間に作られた歪な自我にあると考えられる。

『ふつう』の?%E:426%#ヤから隔絶されてしまった僕は、自分のアイデンティティを守る為に、切望してやまなかった『ふつう』の?%E:426%#ヤに身を置けない自分を正当化する為に、『ふつう』を否定する。『ふつう』に生きている奴は問題意識の無いバカばっかりだとか、考える力が欠如しているから、奴らは『ふつう』にしていられるんだとか。 

こうして僕は、精神的に孤立を深めていくことになる。
変に外ヅラだけはよくしたいというプライド(=弱い所は見せたくない)のせいで、僕は苦しい精神?%E:426%#ヤを周囲に告白出来なかった。何故なら、周囲の人間には到底理解してもらえないだろうという諦めがあったからだ。それに何より、彼らの無邪気な『おしゃべり』に付き合うのは苦痛で仕方なかった。いつだって早く一人になりたいと思ってたし、解放されたら心底ホッとした。

この悪循環は年々加速していった。

僕は、孤独に苦悶しながらも、自分だけの世界(膨大な読書、古今東西邦洋問わない音楽を聴くこと)を構築していき、ますます、彼らとの心の距離は遠くなった。

しかし、今になって思うのは、俺はもっと人を信じて頼りにするべきだったってこと。

『ふつう』にしている奴らにだって、悩みや苦しみは多かれ少なかれあったろう。共有出来るチャンスがあったのだ。
なのに俺は、一方的に自分を守る為に、彼らを愚かしいバカだと決めつけ、自分を守った。

本当に愚かだったのは、他でもない俺だ。

何をそんなに隠す必要があったんだ。完璧な自分じゃなくたって良かったのに。大体にして、人は完璧な奴なんて嫌いなんだよ。ちょっと欠点があるとか、弱みがある奴の方がみんな好きなんだよ。何故なら、みんなの中にも同じような葛藤があるからなんだよ。

俺は本当にバカだった。

そして、極め付けは、周りをアッと言わせて、人生ひっくり返してやろう(また、ある意味では、優秀だと言われ続けてきた以前の自分に戻る)と画策した、『高学歴化を達成することによる過去の清算計画』である。

しかし、メンタルの不具合を置き去りにして、勉強したところで能率なんて上がるワケもない。精神的に孤立している人間が、無味乾燥な勉強地獄に耐えられるワケがない。

だから、人より時間がかかった。

しかし、結果は一応出た。
この事実だけ見ると良かったことのように映る。

しかし、僕がその間に犠牲にしたことや、精神の不具合を無視し、精神的に孤立して過ごした時間は、確実に僕を修復不可能な程蝕んでいた。

大学に入り直した。当初は楽しかった。忌避しつつも、(実は)切望していた『ふつう』の生活に戻れたのだから。毎日が天国みたいな日々だった。

しかし、長年染み付いた、『ふつう』をバカにする価値観は僕の中に深く根を張っていた。だから、僕は本当の意味での人間関係は構築できていない気がする。
そして、立場的には『ふつう』に戻ったということは、自分が忌み嫌っていた?%E:426%#ヤになるということを意味する。つまり、アイデンティティの危機を迎えたワケである。

また、年齢の問題を意識する余り、周囲に迎合する為に、躁?%E:426%#ヤを維持した結果、躁鬱になる始末…

そして最近は、躁をやる気力が限りなくゼロになってしまい、鬱だけが残った。そしてそれは、修復不可能なレベルにまで損なわれていた。

人とまともに向き合わなかった天罰が下ったんだ。自業自得だ。

書いててバカらしくなってきた。こんなん書いて一体何になるっていうんだよ。
過去は変えられないけど、未来は変えられる。

俺は本当に俺が嫌で嫌で仕方ない。カスだと本気で思う。

まずは鬱病を完治させること。長期の精神的孤立が及ぼした自我形成や、歪は想像以上に根が深いだろう。
でも、なってしまったものは仕方ないのだ。

いつの日か、僕は飾らない自分でいられる日が来れば良いなと思う。ありのままで話せて、ありのままで付き合えて。鬱だとか躁だとかは消え、等身大の自分で世界と繋がりたい。何より、楽しいという感情を取り戻したい。でも、もう戦うのにも疲れ果てた自分がいるのも確か。冒頭に戻るが、限界を感じている。これ以上現世で苦しむくらいなら消えたいとも思う。

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