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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今シーズンはまだ一回も釣りに行っていない。激しく行きたいんだけど、やることが多々あったりで、気がつけばgwかという有様。

きっと、今日なんかはウンザリする位道は混んでいて、いざ入渓したら先行者だらけだと思うので、前向きに我慢…

gwを通して、荒れまくった川が少し沈静化してから今年は解禁しよう。

しかし、勝手にホーム川扱いしている名栗川だが、相変わらず今年もしょっぱいんだろうなと思うと、何でこんなC級渓を愛してやまない自分がいるのか、本当に不思議な気持ちになる。

これだけ釣り人が来るにも関わらず、雀の涙程度にしか放流しないケチ漁協。結構良い値段を取る割に、稚鮎テープや稚鮎保護の笹がガッチリ入れられているクソ河川…それでも何故か嫌いになれない不思議な渓、それが名栗。大体はハエしか釣れない名栗。でも時に天然イワナが釣れる名栗。

そんな安定感の無さが魅力なのかもしれない。
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それが何よりの誠実さであろう。

まずは自分に対して真摯に誠実に在らねば、決して他者へのリスペクトなど生まれるはずがない。

僕は今、結構良い感じで脱皮出来て且つ、次の段階に進めている実感がある。

この調子。

It is sincerity above all.

if it is nothing,there are not be birthing to feel of respect against every persons.

now I'm feeling good realization.because I I can success to break my shell and to advance next stage.

so just keep on going!

昨年に入ったあたりから、平野啓一郎が唱えた「分人主義」にハマり、結構色んなことが腑に落ちて、何となく良い感じだったのだが、最近、すっかりその概念を忘れて生きていたなと反省…

人の数だけ自分がいる。彼ないし彼女を前にした時に、快活になる自分もいれば暗くなる自分もいる。

まぁ、当たり前と言えば当たり前なんだけど。

ただ、自分の中で今年に入ってくらいから強く意識していることがあって、それは、分人主義+誠実さや礼節を欠いてはいけないということだ。

相手がどんな人であろうとも最低限のリスペクトを持ち、きちんと接すること。

それで散々バカを見てきたけれど、お天道様は見てくれているから別に構わない。
give and takeが理想だが、目先のtakeに捕らわれないこと。

ただ与えて、倫理的に自分が「無いな」と思うことをしなければ良いだけ。

突き詰めたら、別に豚肉食べなくても死なないよねとか、単なる人間の娯楽のために意図的な交配を繰り返し作られる「競走馬」についてお前はいったいどう思う?とかまで詰められたら頭がおかしくなるので、少なくとも小さな自分の持つコミュニティの範囲内で、ひとまずはしっかりしていこうという「言い訳」である。

しかし、僕は同時に、自分の持つコミュニティすら大切に出来ない奴には何も出来ないと思う。まずは足元をしっかりとってことだ。

その上での分人主義。

最期に笑えたらそれで良い。損して得とれ。あの世で爆笑したい。
相変わらず生きることと、走ることは継続中。

アホみたいだけど、走ることで得られる僅かな効用を頼りに、日々せっせと勤しんでいる。

大体6,5Kmくらいを日々走っているんだけど、その過程がなんというか「人生の縮図」みたいに思える。

シンプルに、しんどい時はしんどく、ランナーズハイな時は楽しい。暑さや寒さは自分ではコントロール出来ず、幾人のランナーを抜くと同時に、同じくらいの数のランナー達に抜かれる。

日々走る効用として、四季に敏感にもなる。

もう随分前から春の到来を知っていたし(梅の花が蕾を付ける頃は、まだ世間一般では冬だ)、既に夏草が日々成長している。

とりわけ、この時期は良い。

日本に四季があって良かったと本当に思う。

満開の桜並木を走れる幸せ、桜の絨毯の上を走れる幸せ、葉桜を愛でながら走れる幸せ。

越冬したあらゆる生物達の息吹が感じられる春。自分だって、たまたま越冬に今年も成功した一生物に過ぎないという実感も沸く。

春は嬉しい。思う所は多々あれど、今年もまた桜が見られることにまず感謝して生きないと。

タイトルに付したことは、使い古された「意識高い系発言」な気もするが、何だかんだで多分実際、その通りだ(と思う)。

ボヤボヤしていても人間、変化はしていくものだが(とりあえず歳は取るよね)、どうせ一度しかない今生なら、「意識的に変化していく人生」を選びたい。

何だかどこぞの新興宗教っぽいが、去年くらいから「徳を積むこと」を意識して日々生きている。

日本には唯一神がいない。つまり、人間を超越する何かがいないということだ。そして、そのことは人々を不安にさせるから、拠るべき所として、結局、日本人は人間社会に帰着し、人の目なり空気なりが「審級の基準」になるんだと思う。

でも、僕はそんなんはやっぱりつまらない。

僕も日本人だから、勿論、人の目は気にするし、世間体なる謎観念に縛られたりもする。というか、しまくっている。

しかし、僕は「人」を拠るべく最後の手段にはしていない。

唯一神のいないこの日本に於いて、どうすれば自分のレベルが向上するのかを考えた時、結局は、各人による「神の自作」しかないんじゃないかという暫定的な結論に達した。

その神は、今現在、この世に生きている人以外なら誰でも何でも良いんじゃないかなと。

僕はベタだが、「お天道様は見ているぞ」という価値観に行き着いた。

一昔前の日本人的な感じ。

結局、何でも良いのだ、神なんて。

ただ、人間社会だけに絶対な何かを見出すことには何か限界がある気がして、やっぱり審級の目は人以外に求めたいし、多分、そうしなきゃ自分が潰れる。

人に評価されなくてもサボらないとかズルしない。真摯に事や人にあたる。

勿論、時に窮屈だけど、こと僕に関して言えば、お天道様は見てくれているとも言えるから、安心でもあるし、同時に誤魔化しも利かない。

もう何か人の世の色々ごちゃごちゃは面倒臭い。

だから、僕はお天道様に恥じないよう、淡々と(粛々とではないから注意)、自分の徳を高めていこう。

最後に笑えたら良い。死ぬ間際に、「生まれてきて良かったな」と思えたらもう充分。

そして、その為には、やはり人の目的なことに価値を置くのではなく、お天道様を意識して日々生きること。んで、お天道様主義で今生を生きれたら、まだ分からないけど、きっと俺は幸せに逝ける。

まぁ、一与太話だな。



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