もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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随分久しぶりにブログを書いてみようと思う。
一時期、もう何を言っても嘘くさいから、納豆評論家にでもなろうかと思っていたが、そんな中途半端な気持ちでは、納豆評論家の方々に失礼だ。 だから、やっぱり稚拙でも、俺は俺を表現するしかないし、やっぱりそうしたい。 こんなクソみたいな現状や現実に屈したくない。 自分に出来ること、やるべきことは無数にある。 後付けでもなんでも、熱くなれることがあるならやれ。 もういつまでもこんな場所にいたくない。 愛想笑いとかも、いくらでも出来るけど、もうしねーから。マジで。 やっぱり自分は、不誠実な奴は大嫌いだ。そして、身内のちっさい、本当に小さいコミュニティの中で悪口言い合うのも好かん。 卒業の時期だ。俺は俺を信じる。まぁ、雑魚どもはお茶を濁して、Facebookでもしてろよw 本当はクソなの分かりきっているクセに、安易にさみしさを埋め合わせようとする奴らとは、俺はやっぱり相容れん。 俺はもう嫌なんだ。本物以外いらねーよ。 PR
大学受験に際し、使用していた英単語帳に、タイトルのような一文がある。
意訳すると、 「納豆ちょークッセーけど、マジうますぎワロタwww」みたいな感じか。 こういうことって割と日常茶飯事だよね。 何か合わないと思いきや、話してみたら、なんじゃ、こいつ、めっちゃ良い奴やんけ!とか、コレ、めっちゃダサいとか皆んなが言うから俺もダサいと思って敬遠していたけど、いざ、それを読んだり(聞いたり、見たり、行ったり)してみたら、めっちゃ良いやんか!みたいな。 納豆は多分臭い。というか臭い。 しかも、奇妙な糸を引き、カラーだってお世辞にも美味しそうには見えない。 しかし、好みの差はあれど、日本人は基本的に納豆好きが多い。 僕達が意識しない、「納豆的な何か」は、きっと巷に溢れているし、解釈一つだろう。 僕は思考停止せず、「まだ見ぬ納豆的なサムシング」を追求し続けたい。 そりゃ、イタリアンだのフレンチみたいにラベリングされているモノは、やっぱり格好良いような気がする。 しかし、そこには冒険が無いというか、あらかじめ規定されている「効用」を、ただ、なぞらされている気がする。 自分なりの、「納豆ちょークッセーけど、マジうま過ぎワロタwww」を死ぬまで追い求めよう。誰が何を言おうと。 臭いモノに蓋的な諺が存在する我が国だが(日本発か…?知らんけど)、臭いモノこそチャンスなんじゃないのかな。 そんなことを、明日の朝餉の納豆を思いながら書いてみた。 ちなみに、関西人は納豆嫌いみたいな風潮あるが、ウチの親戚や両親の実家に(大阪、兵庫、京都、岡山)関わる人間は、皆んなふつうに納豆食べているから、この風潮も形骸化している。改めて、先入観に囚われてはならぬ。もっと言うと、一番つまらないことを言うのは、大阪の親戚であるwオチを付ける会話するのがうんちゃらなんてウソっぱちやで道頓堀。 納豆にタレならびに辛子を入れるタイミングは、日本人なら誰しも、こだわりの一つがあるはず。人によってマチマチであろうが、僕は後入れ派である。 その理由は、本当にしょうもない記憶が根拠で、中学生くらいの時に読んだ「美味しんぼ」の中で、山岡が富井副部長の納豆の食べ方(タレは先入れ等)に、これでもかという位イチャモンを付け、フルボッコにする回のインパクトが強烈で、以来、何故かそれに倣って後入れ派ある。(てか、山岡よ。納豆くらい好きに食わせろやハゲ) そして、これまたどうしようもない理由なのだが、納豆をかき混ぜる回数に関しても、15年程前に深夜番組で、山川恵里佳が「もしもし亀よ」の歌に合わせてかき混ぜると塩梅がちょうど良いという、「根拠の無い謎情報」に基づき、自分もそれに倣っている。 そう考えれば、納豆をいかに食べるかという取るに足らないことでさえ、我々は、いかに根拠の無い情報や動機に基づき意思決定し、それが無意識の習慣になるのだから、非常に恐ろしいと思うのは私だけであろうか。 まぁ、そうは言っても明日もまた、私は「もしもし亀よ」に合わせ、タレは後入れというスタイルを崩す気は皆無だが。
もう語るべきことは何もない。納豆について語るブログにでもするかな。
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