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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今日は成人式。

振り袖や袴を身に纏った若い子達を見ていると、自分の成人式を思い出す。

まず真っ先に蘇るのが、当時、成人式に行くか行かないか散々迷った挙句、結局、行かないと決め、明け方のコンビニで弁当とビールを買い、1人寂しくそれらを食べて寝た。

翌日、式を済ませた部活の友達数人が、気を利かせてか、ウチまで来てくれ、一応準備をしておいた新品のスーツに袖を通し、記念撮影をした。その後、ファミレスか何かに行った気がするが、そこで何を食べたのか、何を話したのかは全く記憶にない。

当時、浪人真っ只中と言えば聞こえは良いが、実態は、ひきこもりが多少マシになった程度のもので、日中や同級生の多そうな所には相変わらず近寄れず、基本的には夜中に行動していた。

長い夜は、大抵本を読んで過ごしていた。

物語の世界に逃げ込むことで、このろくでもない現実から目を逸らしてした。

しかし、目を背ける限り、結局はどこにも行き着かないことは何となく分かっていた。

時折、発作的に勉強をし、やっぱりこんなことをしてもムダだ、今までの生き方がそもそも間違っていたんだから、もう手遅れだ(?)と思っては勉強を放棄し、また本を手にし、それにも飽きた頃合に、また突然発作的に勉強をしてみる、みたいな日々だった。

あの頃、僕は一体何がしたかったのだろうか。若い体躯を持ち、感受性は豊かで、エネルギーもあった。

本当は皆んなと同じように年相応のことがしたかった。生きることや人生について、語り合う仲間が欲しかった。

後に、紆余曲折を経て、二十歳の自分が望んでいたことの大半は手に入れたが、失ったものも大きい。

あの頃の自分に掛けてあげたい言葉などを探すも意外と思い付かず、ただただ下手くそでも不器用でも生きてみろとでも言う他ない。

結局、なるようにしかならないし、大きく停滞していた物事が動き出すきっかけは、誰にも分からないのだから。

ただ、死んでしまっては物事は悪転しない代わりに好転もしないのだから、まずはやっぱり生きること。

そして、どんな状態にあっても、新成人の皆んな、成人おめでとう。誰にもおめでとうを言われない奴や、おめでたいと思えない奴もいっぱいいるだろうから、代わりに俺が言ってやる。

今の自分がどんな自分でも、君はまだ若く可能性の塊だ。成人おめでとう。

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別に何だって本当は良いんだろうけど、なりたい自分や在りたい自分があるのなら、やっぱりそれを目指さなくては。

ありのままの自分を無条件で愛せる奴なんて実際いるのか。

俺はこんなに弱くてクソみたいな自分が大嫌いです。受け入れられるものか。

この前、たまたまテレビを見ていたら、オリラジのあっちゃんがこんなことを言っていて妙に納得したのだが、一度しくじった奴は下方修正した夢を口にする。そして、そんなんはダメだと。しくじった自分を受け入れて、それでも夢を見て大口を叩けと。

細かいニュアンスは忘れたが、こんな感じの趣旨。

こりゃその通りだ。

これで良かったなんてまだ言いたくない。

クソみたいな所から、俺は逃げずにずっと努力してきた。誰のコネも力も使わず、己の実力と存在価値を自分で高めてきたつもりだ。

こんなクソみたいな世界。でも、クソに負けるほど虚しいこともまた無いだろ。

どうせクソなら、俺はそれでも足掻きたい。

目標を見失うことはしんどい。

目標があったから努力する張り合いがあったし、こんなクソみたいな日々にも意義を感じられていた。

しかし、それがすっかり無くなってしまってから、何をやっても張り合いが無いし、そもそもやる気が全く起きない。

このままじゃマズイということは十分承知だが、どうしても現実に向き合えない。

こんなクソみたいな自分が、それでも頑張れたのはゴールが見えていたから。

そして今、ゴール無き自分が目指す行く末が全く分からない。

悔しいとか辛いとかは通り過ぎ、ただただ努力してきたことが、本当に何にもならず、単なる徒労に過ぎなかった現実が、ただ体を重くする。

俺は何のために生きているのか。

分かってる。最初から意味なんてなかったことくらい。

でも、俺は腐りたくはない。もう十分、これまでの人生で引きこもったりなんなりしてきたから。

原点に立ち返れ。

うっひょー、カッコ良いぜ!

まぁ、てなわけで、やっぱり頑張るしかないから頑張らないといけないけど、頑張ったから何って話だけど、俺はまた頑張りたいから頑張るぜってことだから、どうか腐らずに頑張ってほしいというか、きっとそうするだろう。
(やりたいこと、望むこと)

素直になること
背伸びをしないこと
自分を大きく見せようとする自分を受け入れて愛すること
極力嘘はつかないこと
過ちは認めること
好きとか心地よいと思う感覚を大切にすること

嘘で固めた履歴書を片手に、今日も初めて行く街について語るこの茶番。

帰り道、もうこんな人生はあんまりだと改めて思ったが、結局はこんな人生を、それでも愛して生きていくしか他に、方法なんて無いんだよなとやっぱり冷たく悟った。

椅子取りゲームは明日も明後日も続く。

まぁ仕方ない。自分の椅子を作る覚悟が無かった奴は、定数のある椅子取りゲームに参戦せざるを得ないんだから、多分。

水も獲物も木材も、そこら辺に転がってるのにね。それでも何故か、僕は椅子を目指す。まぁ見栄と保身だわな。突き詰めたら。

自分の人生に対して、最近、こう思うことが多い。

大学を選ぶ時も、自分が何をしたいか、何に興味があるかというよりも、「この大学に通っている自分は、人からどう見られるか」といった「他者からの眼差し」にのみフォーカスを当て、積極的に受動的な選択をしていた気がする。つまり、大事なことは他者任せである。

実際、第一志望でな無かったが、世間的には「それなりな大学」では多分あったため、大学の頃は、「眼差し」からは比較的、逃れることに成功していた気がする。しかし、中身はあるようでないというか、どこかしっくりこないものがあった。

就活をして、ふつうに生きていくことに、どこかしっくりこなかった自分は、結局、いわゆる新卒カードという、最初で最後のプラチナチケットをクシャクシャに丸めて破棄し、大学を卒業した。

不登校やひきこもりの子を支援するNPOに携わりながら、「自分の生きる道はこういう所にこそあるのだ」という正直な気持ちを自覚しながらも、「眼差し」からはどこか逃れられずにいて、結局、「この職業に就いたら、自分はどう見られるだろうか」といった基準で、また意思決定を人任せにして、僕は結局、公務員試験をずるずると受けるハメになり、今年あたりから、筆記はある程度は受かるようにはなってきたものの、面接では、どこか本気ではないことが見透かさるのか、今のところ、結果を得ることが出来ずにいる。

ひとまず、そうは言っても選んだことと選んできたこと、そして、それに費やした時間や思いを否定したくない。そんなことをしたら、自己崩壊する。

しかし、僕は本当にこれで良いのだろうか。眼差しなんて、本当は存在しないのに。いや、存在はするが、それは突き詰めたら「自分」ということではないだろうか。

人からどう思われか、見られるか、そりゃ確かに分かるけれど、そんな所にいつまでも執着して、自分を損なっている自分が悲しい。

歩いてきた道のりを振り返ると、僕は全然楽しくなんか無かった。自分が無かったから。主体的な選択をしてきたつもりではいたが、動機が他者ありきの「ご機嫌うかがい」みたいなもので、ある程度までは頑張れるけど、結局、本心は、そんな薄っぺらい自分を見透かしており、いつも何だか虚しかった。自信になったと思い込まないと得られない程度にしか、自尊感情は回復しなかった。

かたや、自発的に好きで取り組んできたことは、自信に繋がっている謎。

例えばランニング。もう5年は続けている。最初の動機こそ不健全なものであったが、肥満の方がよほど不健全ではないかと思い、ただひたすらに走るうちに、いつしかそれは習慣になり、今となっては、自分の軸にすらなっている。

肥満はダサいというような、他者からの眼差しから始めたランニングではあるが、いつしか、眼差しなどどこか彼方に消え、気が付けば、それが自分だと思えるようなアクティビティーになったランニング。

受験とか公務員試験のためにした勉強と、一体、何が違うのだろうか。

僕は勉強をする過程で、これが自分だなどといった境地になったことなど、ただの一度もない。むしろ、自分を捨てて我慢した先にある「報酬」のことくらいしかイメージ出来ず、基本的には、ただただ辛いだけだった。

確かに、知識は増えた。ベタベタなド王道な知識が。しかし、そんなものは、一カ月もテキストを開かなければ、あっと言う間に水泡に帰すものでしかない。

自信と主体的な選択をしたい。

僕は多分、意思決定を誤っていた。

自分の人生を切り開いてきたとか、自分の生き方に誇りを持つみたいなことを、自信を持って言える所からは、まるで対極にいる。

僕は一体何だったんだ、そもそも、自分とは一体何なんだろうという根本的な問いかけは容赦なく、現実もまた現実として存在し、僕はこの乖離にどう折り合いを付けて生きていくのだろうか。

まぁ、人生は多分、これからが本当の勝負。

自分をきちんと生きられるのか、あるいは、そうはしないのか。

ひとまず、全然楽しくない自分、ここが最大の問題な気がするので、やはり手間だが、では楽しくなるにはいかにを突き詰めていくしかない。

こんな人生、自分に誇れるかね。そうだよな、よく分かってはいるんだよね、本当は。

眼差しからの脱却、そして、主体的な選択と努力。

まだまだ先は長そうだ。



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