もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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改めて、ようやく今日から夏休みである。
まぁ、やることは勉強だけなんだが。 ホントに偶然なんだけど、今日は大学生活3,5年間を総括するような夢を見た。 色々とホントにあったな。 ただ、学ぶことや改めて気付いたこともある。 まず、俺はやっぱりプライド高いわ(笑) 良きにせよ悪しきにせよ。 社会から逸脱しても、孤独に耐え、きちんと軌道修正してきたことが誇りになってる。 ただ、それがあまりに強過ぎるが故に、変に突っ張ったり、上から目線なところもある。 それも認める。 そして、俺はやっぱりナメられんの好きじゃねえ(笑) 敷居を下げまくってきた大学生活。 それはそれで楽しい部分も沢山あったけれど、いかんせんやり過ぎた。 「馬鹿を演じる」、そう、演じてる時点で、俺は人のこと欺いてるもんな。 だんだん馬鹿演じるのにも歪みがきて、最近は元の鞘に収まりつつある感じかな。 全てに同調したり、受け入れられようとしたりすることは事実上不可能だし、仮にそんなことが出来ても、自分がキツいとか居心地が悪いとか思ってるようなら本末転倒だ。 本来の自分は、色んなモンにツンツンしながら、そして、家で本読んで、やかましい音楽を聴いたりするのが性に合ってて、そして、何をするにも、自分なりの行動指針や基準が合って、それに沿わないことはやりたくないと思う人間だ。 大学生活は、その真逆をいってた部分も多かったな。 まぁ、とりあえず、試した上で、元の所に還ってきたんだから、これは意味があったといっても良いと思う。 あと、勿論、馬鹿なことをすんのが好きな自分という側面も、皆無なワケではないから、これからは、その辺りのバランスを上手く取っていきたい。過ぎたるは及ばざるが如しである。 そして何より、己を信じて、きちんと日々貫くこと。 今の己は信じられるか。 もう今なら断言出来る。 信じて良い。 だから、迷わず進めば良い。 挫けそうな日や、崩れ落ちそうな日、信じたのに、やっぱ違ってたんじゃないかって足が止まる日も、きっと、これから沢山あるだろう、そうは言ってもさ。 だから、ここにも過去の反省を採用しなくてはいけない。 白か黒じゃなく、時には灰色があっても良いということを。 そして、自分をとことん追い詰め過ぎて、疲れを溜めるのも注意だ。 ダメな日も勿論あっても良いんだ。 朝から酒飲んで昼寝したり、1日中ゲームやったり、唐突にどっか行ったりしても全然良いんだ。 完璧な人間なんていないんだからさ。 そういう所に十分配慮しながらも、基本的には真っ直ぐ進んでいこう。 PR
今日から勉強を本格始動。
と言っても、まだまだ慣らし走行。5時間。 当初の目安は、とりあえず最低限5時間でいこう。 慣れてきたら1時間、2時間と増やしていけば良い。ランニングや筋トレと同じ要領でやっていこう。 あとは、なるべく人のいる場所で勉強しよう。予備校の自習室や図書館など。 夜は、哲平と上野で飲んだ。 いつもの昇龍。餃子とビール。 その後、HUBに移動。本日も、横にいた女の子二人組と「お友達になる」作戦に見事成功(笑) 良い年して何だかなぁと思うんだけど、惰性でついついやってしまう。 まぁ、彼女もいないし、仕方ないかね… 地元に戻って、石井と普段通りの地元絡み。今帰宅。 閑話休題。何だか最近、閑話を休題してばっかりだ。 何だろうな、こう、目先の小さいこととか、小さなズルとか、小さな利益を得ようとして、小ズルく生きてると、結局は、言葉で説明出来ないけど、「本当に大事なモノ」を掴むことは出来ないだろう。要は器の問題か?よく分からんけど。 要領よく立ち回ったり、上手いこと誤魔化したりって、確かに目先の利益にはなるし、一時的な快楽や称賛や優越感なんかをもたらす。 でもさ、やっぱ、そんなことして掴んだモンは偽物なんだよ。 瓦解は一瞬だろうし、本当に大事な時に、そういうモンって、自分を救ってくれたり、支えてくれたりしないだろう。 俺は、やっぱそういうのはイヤだ。 自分を誤魔化したくない。 やっぱ、俺はクソ弱いし、セコイ部分も勿論ある。 だから、自戒しなくてはならない。 傷も痛みも、全部丸ごと自分で引き受けたい。 その結果が散々だったとしても、俺はそれで良いや。 上手く立ち回って得たモンなんかいらねえよ。
長い昼寝から目覚め、気付けば夜中。
とりあえずシャワーを浴びて、音楽を聴きながら外の景色を眺める。 こんな時間なのに、もう空は僅かに白みかけてんだなー。 HIATUSのAntibioticを聴きながら、ウィスキーを舐める。 俺が今まで手にしてきたモノや、無くしてしまったモノに思いを馳せる。 ついてしまった嘘や、無邪気な真実に揺さ振られる。 それは消えないんだから。 ただ、この瞬間、全てをひっくるめて、僕はアルコールと音楽に救われている。 それが良いか悪いかはともかく、やり過ごすことは、僕にはまだ山積してるよ。 あと最近、何故か明け方に鬼束ちひろをよく聴く。 やや昔日の感があるが、大人になった(少なくともあの頃よりは…)今聞き返すと、その歌詞の秀逸さに魅了される。明け方のテンションにも合うしね。 音楽は僕を確実に救ってくれている。 僕は、音楽だけは信じられる気がする。
今日でテストが全て終了。
今日を待ち焦がれて反面、いざ今日を迎えてみると、寂寥感でいっぱいになった。 テストが終わり、ガランとした喫煙所で独り、雨に打たれながらタバコを吸っていると、今日までのあれこれが回顧された。 いつも、何気なく顔を合わせていた友達とも、もう大学内で会うことはなくなるのだ。 喫煙所に行けば、いつも誰かがいた。ロビーに行けば、そこにも誰かがいた。何かしらの授業を取れば、そこにも誰かしらはいた。 そういう何気ないモノが、今日から無いのだ。 そんなことを思い、独り、悲しみに暮れてしまいました。 帰りに、今日も一風堂に寄って、独りでラーメン食ったけど、全然旨くも何ともなかった。 皆と食べる飯が、やっぱり旨いよ。 明日からは、この独食を繰り返す生活になるんだろうな… とまぁ、独り勝手にしみじみとしてしまったが、悲嘆に暮れているヒマはない。 帰宅後、邪念を追い払うように家事雑務。 明日からは、みっちり予備校生活。 とりあえず、紆余曲折の曲折を経て、何とか前期は乗り切れた。ひとまず良くやったと評価しよう。
テスト論述用忘備録3
【戦後、自民党一党独裁体制が、細川内閣時まで敷かれたが、それを可能にした要素を以下の三点に抽出した。①国際政治としての力学②選挙体制による力学③経済成長による社会文化としての力学である。以上を踏まえて、何故、戦後、自民党は一党独裁体制を構築出来たのかを述べよ。そして、細川内閣以降、政局の中心にいた人物が取った政治行動を、①いかなる政治的思想で、②具体的に何をなしたのか、という二点を踏まえて論述しなさい。】 1955年、時の鳩山一郎内閣時より築かれた55年体制は、細川連立政権を持って、崩壊する。崩壊の契機となったのは、時の小沢氏による「中選挙区制撤廃」を掲げた提言であったと認識されている。以下、設問通りに論を展開していく。 まず、設問①の、国際政治的力学についてであるが、これは端的に言ってしまえば、米国の影響である。 戦後、米国は、朝鮮戦争を皮切りに、ベトナム戦争に加え、ソビエトと冷戦を行うなど、いわゆる、「社会主義・共産主義」の駆逐に傾注していたわけである。 その意味で、米国にとって、日本は、立地的に、「赤の防波堤」として利用されたのだ。 つまり、米国が日本に民主主義を提唱(強要?)したのは、そういった、いわゆる「赤対策」としての戦略であったと言える。 つまり、まとめると、国際政治的力学とは、端的に、米国の都合でしかないのだ。 さて、②の選挙体制による力学、であるが、これはつまり、中選挙区制の功罪であると言えよう。 今日採用されている、小選挙区制と異なり、当時は、各都道府県から、二名の候補者を選出する、などといった方式が取られていた。 これが、いわゆる中選挙区制である。 当然、数で勝る自民党が優位なのは言わずもがなで、大量の自民党系列候補者を送り込めば、野党の入る余地など皆無といって等しい。 このように、当時の自民党は、その選挙システムの利点(カラクリ?)を最大限に利用することで、独裁体制を築き上げてきたのである。 さて、③の、経済成長による社会的力学についてであるが、これは、時の池田勇人の掲げた、「所得倍増計画」など、マニュフェストそのものが、極めて、当時の国民にとって、魅力的であったからである。 戦後、焼け野原から再スタートせざるを得なかった日本は、大多数の国民が貧困を強いられていた。 よって、より良い暮らし、より良い物質的な豊かさを希求することは、極めて必然的な要求で、この要求を逆手に取って、時の首相が、国民をコントロールしていた節がある。 つまり、国民の目の前にニンジンをぶら下げたのである。 国民は、まんまと(言葉は悪いが)、時の為政者に乗せられたのである。 ニンジンで国民の指示を取り付けた自民党は、ますます、幅を利かしていく。そして、国民も、自民党の政策ならびに、その他為政行為を、盲目的に指示した構図があったのである。 これが、経済成長に伴う社会文化の背景である。 さて、細川連立政権以後の政局トップの人間についてであるが、個人的には、小泉純一郎政権までの内閣は、基本的には評価に値しないと思っている。 羽田元は、おそばが好きで、スーツの袖を切ったくらいの印象しかない。 村山富市は、阪神淡路大震災で、その危機管理能力のなさを露呈しただけであり、橋本氏は、とにかく慰安婦問題やら、大東亜戦争の謝罪(根拠がないにも関わらず!)をして回ったという認識しかない。オバサマには人気があったようだが、特筆すべきことは皆無といって良いだろう。 小渕は、「冷めたピザ」などと揶揄されていたが、国旗・国家法、通信傍受法など、一見通りにくそうな法律を次々と可決させたことは、評価には値する。 森氏は、とにかく、失言の多さが仇となった悲運の首相であった。印象に残っていることは、中央省庁の再編で、多少、内閣組織がスリム化したくらいか。 さて、ここからが本題である。 小泉純一郎内閣は、2001年4月に自民党から首相になった。 彼は、かの有名な、「聖域なき構造改革」を軸に、次々と改革を断行していく。同じ党内勢力からの反発も上手くかわし、次々に「タブー」に切り込んでいく。 やはり、まず挙げられるのが、郵政民営化推進であろう。 これは、賛否両論あろうが、私は個人的に、非常に評価している。 何故なら、当時の公務員・及び、順公務員の総数は約700万~800万人もいて、最も問題であったのが、公務員に支払われる過剰人件費総額が、年額20~35兆円もあったのだ。 これは当時の国家予算の4分の1以上を占める額で、はっきり言えば、無駄金である。無駄は言い過ぎにしても、スリム化の必要は必ずあった。 今まで誰もメスを入れなかった、公務員改革を断行し、(一部だが)官縮に成功した小泉は、実に評価に値する。 そして、小泉と言えば、何と言っても、拉致問題に、具体的に着手したことだ。 それまで、首相をはじめ、外務省も、明らかな拉致行為を容認しつつも、「ないもの」てして、問題を先送りにしていた。つまり、腫れ物扱いだったのだ。 しかし、小泉はその禁忌を破った。実に鮮やかに。 そして、拉致被害者全てにないにしろ、数名かの拉致被害者を、現に日本に連れ戻すことに成功している。 さて、統括すると、私が小泉を評価するポイントは、①筋を通したこと②具体的に行動に移したこと が挙げられる。 勿論、賛否両論はあろう。 しかし、小泉は、あえてタブーに切り込んでいき、己の筋を貫徹したのだ。 これは、近年の首相にはなかった要素である。 卑近だが、安倍氏や、鳩山由を見ても、小泉との差は一目瞭然。 安部氏や鳩山由は、筋がなかった上に、結局、丸投げして退陣している。 一国の首相としては、極めて幼稚であるとしか言い様がない。 その辺りのことを踏まえても、小泉は、どう考えても、他とは一線を画す首相であったと、私個人は評価している。 |
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