もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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テスト論述用忘備録3
【戦後、自民党一党独裁体制が、細川内閣時まで敷かれたが、それを可能にした要素を以下の三点に抽出した。①国際政治としての力学②選挙体制による力学③経済成長による社会文化としての力学である。以上を踏まえて、何故、戦後、自民党は一党独裁体制を構築出来たのかを述べよ。そして、細川内閣以降、政局の中心にいた人物が取った政治行動を、①いかなる政治的思想で、②具体的に何をなしたのか、という二点を踏まえて論述しなさい。】 1955年、時の鳩山一郎内閣時より築かれた55年体制は、細川連立政権を持って、崩壊する。崩壊の契機となったのは、時の小沢氏による「中選挙区制撤廃」を掲げた提言であったと認識されている。以下、設問通りに論を展開していく。 まず、設問①の、国際政治的力学についてであるが、これは端的に言ってしまえば、米国の影響である。 戦後、米国は、朝鮮戦争を皮切りに、ベトナム戦争に加え、ソビエトと冷戦を行うなど、いわゆる、「社会主義・共産主義」の駆逐に傾注していたわけである。 その意味で、米国にとって、日本は、立地的に、「赤の防波堤」として利用されたのだ。 つまり、米国が日本に民主主義を提唱(強要?)したのは、そういった、いわゆる「赤対策」としての戦略であったと言える。 つまり、まとめると、国際政治的力学とは、端的に、米国の都合でしかないのだ。 さて、②の選挙体制による力学、であるが、これはつまり、中選挙区制の功罪であると言えよう。 今日採用されている、小選挙区制と異なり、当時は、各都道府県から、二名の候補者を選出する、などといった方式が取られていた。 これが、いわゆる中選挙区制である。 当然、数で勝る自民党が優位なのは言わずもがなで、大量の自民党系列候補者を送り込めば、野党の入る余地など皆無といって等しい。 このように、当時の自民党は、その選挙システムの利点(カラクリ?)を最大限に利用することで、独裁体制を築き上げてきたのである。 さて、③の、経済成長による社会的力学についてであるが、これは、時の池田勇人の掲げた、「所得倍増計画」など、マニュフェストそのものが、極めて、当時の国民にとって、魅力的であったからである。 戦後、焼け野原から再スタートせざるを得なかった日本は、大多数の国民が貧困を強いられていた。 よって、より良い暮らし、より良い物質的な豊かさを希求することは、極めて必然的な要求で、この要求を逆手に取って、時の首相が、国民をコントロールしていた節がある。 つまり、国民の目の前にニンジンをぶら下げたのである。 国民は、まんまと(言葉は悪いが)、時の為政者に乗せられたのである。 ニンジンで国民の指示を取り付けた自民党は、ますます、幅を利かしていく。そして、国民も、自民党の政策ならびに、その他為政行為を、盲目的に指示した構図があったのである。 これが、経済成長に伴う社会文化の背景である。 さて、細川連立政権以後の政局トップの人間についてであるが、個人的には、小泉純一郎政権までの内閣は、基本的には評価に値しないと思っている。 羽田元は、おそばが好きで、スーツの袖を切ったくらいの印象しかない。 村山富市は、阪神淡路大震災で、その危機管理能力のなさを露呈しただけであり、橋本氏は、とにかく慰安婦問題やら、大東亜戦争の謝罪(根拠がないにも関わらず!)をして回ったという認識しかない。オバサマには人気があったようだが、特筆すべきことは皆無といって良いだろう。 小渕は、「冷めたピザ」などと揶揄されていたが、国旗・国家法、通信傍受法など、一見通りにくそうな法律を次々と可決させたことは、評価には値する。 森氏は、とにかく、失言の多さが仇となった悲運の首相であった。印象に残っていることは、中央省庁の再編で、多少、内閣組織がスリム化したくらいか。 さて、ここからが本題である。 小泉純一郎内閣は、2001年4月に自民党から首相になった。 彼は、かの有名な、「聖域なき構造改革」を軸に、次々と改革を断行していく。同じ党内勢力からの反発も上手くかわし、次々に「タブー」に切り込んでいく。 やはり、まず挙げられるのが、郵政民営化推進であろう。 これは、賛否両論あろうが、私は個人的に、非常に評価している。 何故なら、当時の公務員・及び、順公務員の総数は約700万~800万人もいて、最も問題であったのが、公務員に支払われる過剰人件費総額が、年額20~35兆円もあったのだ。 これは当時の国家予算の4分の1以上を占める額で、はっきり言えば、無駄金である。無駄は言い過ぎにしても、スリム化の必要は必ずあった。 今まで誰もメスを入れなかった、公務員改革を断行し、(一部だが)官縮に成功した小泉は、実に評価に値する。 そして、小泉と言えば、何と言っても、拉致問題に、具体的に着手したことだ。 それまで、首相をはじめ、外務省も、明らかな拉致行為を容認しつつも、「ないもの」てして、問題を先送りにしていた。つまり、腫れ物扱いだったのだ。 しかし、小泉はその禁忌を破った。実に鮮やかに。 そして、拉致被害者全てにないにしろ、数名かの拉致被害者を、現に日本に連れ戻すことに成功している。 さて、統括すると、私が小泉を評価するポイントは、①筋を通したこと②具体的に行動に移したこと が挙げられる。 勿論、賛否両論はあろう。 しかし、小泉は、あえてタブーに切り込んでいき、己の筋を貫徹したのだ。 これは、近年の首相にはなかった要素である。 卑近だが、安倍氏や、鳩山由を見ても、小泉との差は一目瞭然。 安部氏や鳩山由は、筋がなかった上に、結局、丸投げして退陣している。 一国の首相としては、極めて幼稚であるとしか言い様がない。 その辺りのことを踏まえても、小泉は、どう考えても、他とは一線を画す首相であったと、私個人は評価している。 PR ![]() ![]() |
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