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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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気付けば4月。

2ヶ月近く、ただひたすらに、引きこもってESを書きまくり、あと気が滅入ったりしているうちに、春休みが終わった。

明日からまた学校…

あー鬱甚だしいが、どうせ頑張っちゃうもんね。

3年後期で、上限の単位を修めたため、残りは僅かに16単位。

長かったけど、頑張ってきたじゃないか。

あと半期、石にもすがりついて、やり抜こうじゃないか。

俺みたいなどうしようもない奴が、何とか軌道修正して、大学卒業までこぎつけれたことは、後々の人生にとって、とてつもないプラスと自信になるはず。

4年前の自分では想像出来なかった所まで辿り着けたんだから、投げずにやるよ。

就活近況。

公文、ESを経て一次試験をこれから受験。

凸版印刷、4月下旬にGD。
駒はたったの二つ。

何としてでも、公文に行きたい。

教育関連では、公文を落としたら、大手はほぼ全滅になるし…

まぁ、それがダメなら通信制高校教諭や、NPOなど、まだまだ選択肢があるんだから、まぁ、悲観せず、とにかく歩みを止めず、頑張ってやろうじゃない。

あと決めたこと。

就活終わったら留学します。

資金面は何とかなりそうなので。

今の自分に強い閉塞感を感じる。

そして、成長欲求が、またムクムクと沸き起こってきた。

環境を変えて、そして、自分を変えたい。

最低限、英語は身に付けてから社会に出たい。

転職する際にも便利だろうし、選択肢も広がるはず。
とまぁ、さっさと就活終わらせて単位取って学校に蹴りつけて、俺は世界に飛び出すぞ!

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今更ながら焦り始めた。 僕は社会に出なくてはならないのだ。 僕の就職活動は実にお粗末であった。 稚拙ながら、形式上は流れに乗った。 本が好きだから、出版社を受けた。 ビールが好きだからビール会社を受けた。 タバコが好きだから、JTを受けた。 教育に関心があるから、教育関連の企業を受けた。

商品のイメージだけでニコンを受けた。

本が好きだから、関連業務の印刷を受けた。

情報系の学部に通っているからという安易な理由でSEを受けた。

お粗末にも程がある。

自分が「何をしたくて」、「何が出来るのか」。

そのことを突き詰め切れなかった。

どこか他人事だったように思う。

周りの流れに乗り、アホみたいに人気企業にESを出して、それだけで満足していた。

しかし、現実は甘くなかった。

ES通過率20%を僅かに上回ったに過ぎなかった。

考えてみれば当たり前でもある。

人気企業は筆記試験でかなり高いハードルを設けていることを承知していながら、僕はSPIやらGABやらの勉強をほとんどやらなかった。

そういうのを一生懸命やっている奴はバカだと思っていた。

「よくもまぁ、疑問も抱かずに、あんな厚顔無恥な筆記試験の対策なんか出来るもんだ」と、周りを冷ややかな目で見ていた。

そして、自分は人と違うから大丈夫、という根拠のかけらもない自信があった。
だから、何もしなくても内定は自ずと取れるもんだという、極めて幼稚な自己分析でお茶を濁していた。

そして、毎日くだらないことに悩み、いたずらに日々を浪費していた。

彼女と遊び惚けていた。

そして、就職活動とは別に、メンタルフレンドや大学の授業に精を出した。

それが正しいと思っていた。

大学生なんだから、学校の勉強を最優先することは当然であり、メンタルフレンドのバイトをすることにより、自己肯定を促進させると同時に、人のために役立っている自分に酔っていた。

確かに、何が正解、不正解、ということではなかろう。

僕は現に、何も間違ったことはしていないと思うし、もう一回時間を巻き戻されても、多分、同じことを思い、同じ行為を取ると思う。

しかし、自分の気持ちと現実とを上手く融合させれていない今の現状には後悔している。

ホントは気付いていたからだ。

僕はサラリーマンなんかにはなりたくないことに。

保守的な組織の中に溶け込みたくなんてなかった。

「自分」が活かせ、使命感を感じられる仕事、もっと言えば、そういう生き方にしか価値を感じられないことに、ずいぶん前から気付いていた。

勿論、やってみなくては何事も分からぬ。

知らぬ上でモノを言うてるに過ぎない。

しかし、「自分の気持ち」はもうはっきりと結論を示している。

俺は不登校からは逃れられない。

関わりたい、何とかしたい、ためになりたい、俺がやらなきゃ。

そういう風に自然に思える。

嘘はないと思うし、イメージもある。そういう仕事をする想像が出来るのだ。

しかし、メーカーや何となく受けた企業にはそれがなかった。

どうしてもその企業じゃなきゃ出来ない、どうしてもその企業に入りたい、そういう気持ちにはならなかった。

漠然と、「まぁ、そういう未来も悪くないかな」と思っていた程度に過ぎない。
だから、落ちたんだと思う。

勿論、時代背景、景気動向、年齢の問題、学歴フィルター、筆記試験フィルターとか、目には見えないが、恐らく明確に存在するであろう基準に引っ掛かって、単に結果が出ないだけなのかもしれない。

しかし、思いは中途半端極まりなかった。

ES読んだら、本気じゃないことも即座にバレるクオリティであった。

熱がないのだ。情熱が。

やはり俺には教育がしっくりくる。やりたい。

自己分析を深めたら、自ずと求めるものが浮き彫りになる。

俺は地位も名誉も給料も欲しいことは認めるけど、そんなことより、まず、好きなことをしたい。自分が価値を感じられる仕事がしたい。

俺の核はそこだよ。

大手企業や人気企業には、俺の核を満たしてくれる要素はないよ。逆も然り。
企業も俺の核を、多分求めてはいない。

大手企業が求める人材は、基礎学力があり、一定以上の学歴があり、コミュニケーション能力があり、TOEICやら何やら、目に見えて且つ実践的な資格を持っている人間が欲しいのだ。

今の僕には、そのどれもがない。

そりゃ落ちるわな。

俺は俺のやり方や生き方があるよ。

何のための遠回りだったんだ?

ここで、流されて、何となく良い感じの企業にようやく引っ掛かって、ホッと一息、「まともな」社会復帰にトオチャン、カアチャンが泣いて喜び、僕も涙…嗚呼、回り道したけれど、俺は社会復帰したよ!どうだい!ってのは、何か根本的に間違いな気がする。

俺はそんなもんでは満たされない。

多少貧乏、先も良く見えない感じかもしれないけど、やっぱり教育がやりたい。
回り道の価値は、僕が回り道を堂々と生き様として漂わせ、渦中にいる子ども達に、何となく安心感を与えられた時、始めて生まれるものなんじゃないのか?

「こんなバカでも、大学に入れたし、嫌なこともあったけど基本的には楽しかったし、今こうやって、楽しく仕事してるよ」ってのを感じてもらうことが、僭越だけど、僕の存在価値だ。
一般企業にこんなことを売り込んでも一蹴されるのは必須だろう。

ただのブランク、回り道じゃねえか。回ったくせに、大した大学でもないし、学力も低いし、資格もない。はい、不合格となる流れは必然だろう。

お門違いも甚だしかった。
ホント何かすみません。

しかし、そういうお門違いな世界にも、未練はある。
受験と一緒で、求められる最低限の能力(筆記試験好成績、英語話せます、時事に精通してます)さえ、もう一度身に付けたら、そういう舞台で十分やっていくことは可能だと。

自信はある。

しかし、いかんせん気付くのが遅過ぎた。

そして、この仮定もあやふやだ。

何となく、内定取った瞬間に燃え尽きそう。

先のビジョンが見えてこないから。

つまり、ネームバリューに踊らされているに過ぎないってことだから。多分、要するに。

心の声を聞こう。

俺は、俺の価値、信念に基づき、生きていきたい。

どうせなら。

そして、必要だと思う能力を、飽くなきことなく身につけ続けていたい。

そういう人生は多分、概ねはハッピーなはず。

少なくとも、流されて入れちゃった大手企業での人生よりかはマシだと思える。
さぁ、改めて就活をやり直そう。

手始めは公文だ。

公文にエントリーだ。

公文がダメなら、また次の教育機関を探して受ける。
それを繰返そう。
相も変わらずな精神状態だけど、頑張って就活やってます。

アサヒビール、JT落ちました。

もう超大手は受けないことに決定。

年齢フィルターどうせあるんだろ。

そんな保守的な企業は知らん!

もう二度とスーパードライみたいな怪しいビールは飲まねえ!そして、JTのタバコなんか二度と吸わねえ!
男はやっぱり洋モクっすよね。舶来モノが好きなバカ民族ですから、所詮。

さて、ガッツリ落ちまくっているワケだが、凸版印刷は一次通過。

印刷業界自体が激務薄給だと聞くが、ひとまず、通過したことは素直に嬉しい。
電車の中でメール見たんだけど、泣きそうになった。
最近、俺は本当に自分に自信がクソもなかったから。
是非、このチャンスを離さない意気込みで。

後は、やはり中小企業を探して受けまくろう。

中小なら、周りも結構ES通ってるみたいだし。

腐りたいけど、就活が終わるまでは、負けないよ。

学校も鬱極まりないが、前期を全速力で駆け抜け、単位を完璧に取って、秋卒業にしたい。

ゼミには…もう行かない。卒論は個人的に書いて出して、さっさと終わろう。

壊れた心に鞭を打ち、日々、就活の流れに何とかついていってます。

手ひどい失恋、現実からの淘汰、落ち続ける就活…

最近僕は、誰からも何からも認められず、排除されているようにしか思えません。

自分の価値は、どこにも無い。

と、ここで、認知療法を用いたらこうなる↓

手ひどい失恋?→確かにそうかもしれないが、俺にも落ち度はあったのは確か。
現実からの淘汰?→嘘つくなよ。友達いるじゃん。完全に淘汰されてはいない。一部の話を誇張し過ぎ。

落ち続ける就活?→まだ、たかだか10社いくかいかないか程度しか落ちてないじゃん。しかも、大手ばっか受けたんだから、落ちるのは納得。

てな具合になる。

こういう思考方法をしましょうね、っていうのが認知療法なのだが、まぁ、続ければ価値はあるのかな。

少なくとも、自動思考に苦しめられ、日常生活に支障が出たり、似たような袋小路に陥ることは防げる可能性はある。

だから、信じて続けてみようとは思う。

投薬で心をしばき、認知療法で自分の思考をいじくる。

そうまでして、生き続けなきゃいけない意味なんてどこにあるんだい?

と、早速思うが、これが俺に染み付いている自動思考。

→投薬で、最悪な状況を、何とか乗り切ることも大切。認知療法も、真偽の程はさておき、何もしないよりかはマシだろう。それに、生きていれば、良いこともある。悪いことばかりが続くわけがないし、まだ25年しか生きていないのに、人生を総括するのは早計。

傷は必ずふさがる。

未来を信じて、生き続けなきゃ。
今日もESとWEB受験に追われて1日が終わった。

凸版印刷とニコンにエントリーした。

どちらも、特段、思い入れがあるわけではない。

ただ単に、嫌いじゃないと思ったからエントリーしたに過ぎない。

しかし、志望動機なんか、その程度のもので良い気も最近する。

僕は、目の前に仕事があれば、それがどんなものであれ、真面目に取り組むし、工夫も凝らすし、何らかの遣り甲斐を見出だせる自信がある。

バイトと比較するのもなんだが、僕は割と色んなバイトをしてきたが、その全てのバイトに対して、遣り甲斐と意義を見出だせたし、それなりに真剣に取り組んだ。

だから、その延長線上に、正社員としての仕事があるとして、きっと自分は、うまくやれると思う。

要は、何だって良いのだ。
僕は最近、自分の傲慢さを冷めた目で客観視している。

努力すれば何でも叶うという傲慢さ。

運や状況、環境を無視した自己中心さ。

今まではそれで何とかなったのかもしれないが、それは多分、運が良かっただけだ。

それに、少しくらい結果が不満でも、僕は意味付けをすることで、自己を正当化してきた。

つまり、物事は思うようにならないことを、実は理解していたくせに、見ないフリをしていたのだ。

多分、信じたかったのだと思う。

努力すれば何とかなる、何でも叶う世界を。

しかし、その考えは、運や環境左右され、暗転すれば、たちどころに破綻する。
僕は何か甘えていた気がする。

全てを諦観するところから始めたい。

我々の人生は、不確定であやふやな要素に十二分に左右されるものでしかないということを。

しかし、その前提の上で、悪あがきをする美徳ならば、僕は認める。

あとは、逆差別という問題を考えてみた。

人間は差別をするし、異質なモノを排除する。

それは、僕を含めて、皆そうだろう。

結局、皆怖いんだ。

異質なモノは、自分を侵害するんじゃないかと。

僕は、それも認める。

大学でも、たかだか多少の回り道をした人間でさえ、逆差別、排除の対象となる。

皆、怖いんだろう。

だから、僕は線を引くことにした。

周囲に気を遣わせることは罪悪だ。

つまり、僕の存在そのものが逆差別の対象となるのだ。

だとしたら、僕がいくら下らないと叫んだところで、何の意味もないのだ。

受け入れて、僕は努めて、存在を消そうと思う。

また、就活に際してもそうだ。

変な経歴の人間は危ない、怖いと思われるのかな。

僕は、自分がそういう風に扱われるくらいなら、そんな企業に無理していきたくなんかない。

不愉快だ。

しかし、これも逆差別の対象となろう。

だから、僕は受け入れる。
社会は僕を恐れているのだ。

僕のことなど、抹殺したい、関わりたくないのだ。

それで結構。

僕はひとしきり就活はするが、ダメだったら、もう何か思うように生きてみようと思う。

抑圧ばっかして生きてきたのだから、もうそろそろ、好きにしても良い気がする。

大学行ったのも、僕は、自分のためというよりも、僕の中に潜む、「常識的な批判者としての僕」のためだったと思う。

「常識的な批判者としての僕」を、ぶっ殺さないと、俺はいつまでたっても、籠の中の鳥だろう。

まぁ、就職が決まったら決まったで良いのだが。

全てを諦観ベースに。

諦観は否定的な意味ではない。

僕は、諦観することにより初めて、見えてくる肯定的な世界があると言いたいだけだ。

暗くなって申し訳ないが、僕は、僕のやり方でしか、上手く呼吸さえも出来ないのだ。


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