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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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巷間には様々な娯楽がある。

しかし、本当に自分を満たしてくれるような娯楽は少ないと最近思う。

つまり、結局作られた娯楽の中にいるうちは、やっぱりあんまり面白くないのだ。

例えば、僕は本を読むことが好きだけど、作者の想定している枠組みに、全面的ではないにしろ、部分的には確実に取り込まれるという点で、やはり、所詮は作者の掌の上にある娯楽なように思え、ふとした折にバカらしい気持ちにもなる。

また、メディアの影響も多分にあって、例えば、何か本を選ぶ際に、本屋大賞受賞作だとか、芥川賞直木賞受賞作品であるか否かは嫌でも判断のプロセスに組み込まれてしまう。

つまり、主体的に選らんでいるようで、結局は、「これが今面白いんですよ!」という恣意的操作に導かれて、それを選ばさせられているんじゃないかと思うと一気に興醒めしてしまう。

まぁ、もっとも、本屋大賞にしても何でも、その道にどっぷり浸かっている人間が仕事で選らんでいるということから、割に参考にすることはやはり賢くて、(無数の新刊や旧作から、遍く面白いものを見つけ出すことは単なる徒労だと思うし…)ついついそういった安易な判断をしてしまう。

また、音楽にしてもそうかもしれない。「今コレがカッケー!」というモノを選んでいるようでやはり、選ばさせられている気がしてならない。

夏フェスなんかも同様かも。こういうのが楽しいだろという作為性の元に僕らは高額なチケットを買うハメになり、いわゆる「自由で開放的なthe夏」を主催者側の意図の範囲内で享受させて頂くのだ。

本物のロックンローラーなら、んな商業的な場所にノコノコ来るなよと思うし、また、本当にロックが好きなら、んな馬鹿な場所に行くなよとも思う。(まぁ、行くんだけどさ、俺もバカだから)

何だろうか、例えば、僕らは作られた太宰が好きなのではなく、自分を切り売りして七転八倒している太宰が好きなのだから。毎日9時から17時まで執筆をし、17時以降は健康のためにランニングをし、夕食を家族団欒しながら取って、月を見ながら酒をほんの少し嗜み21時には床に着く太宰など、多分、面白くもなんともない。命をあんなにも不器用で不様に燃やし続けて最期には入水自殺なんていうこの世の苦痛の、上から数えた方が早いような方法で己を消滅させた太宰は、だから太宰で最高にロックな人なのだ。

少し脱線してしまったが、そう、結局は作られた娯楽では真に満たされないということだ。

パチンコを始め、ギャンブルの類は本当に論外で、胴元が必ず儲かる仕組みになっているバカげた自明性があるにも関わらず、やれ○○円勝ったの負けただの言っている連中を見ると、こういう奴らとは生涯分かり合えないんだろうなといつだって思う。何故、そこまでの空虚さに己を浸せるのかが本当に理解出来ない。

仮想狩猟採集的な要素は理解出来るが、それなら、実際に狩猟採集をする方が健全というか理に適っていないだろうか…

まぁ、好き好きだ。俺には全く意味不明なんだが。

さて、グダグダ言ってきたが、やはり、作られた娯楽は所詮誰かの掌の上で、それを甘受出来ないならば、やはり自ら創造する他なく、突き詰めれば、自分の人生を娯楽にしないとやっぱり満たされないんじゃないかと思う。

決められたルーティンと決められた余暇、想定されうる楽しみや娯楽の定義に則って「ホント最高!」だなんてやっぱり嘘だから言えなくて、こうしみじみ突き詰めてしまうと、何から何まで管理されているように思えてゲンナリしてしまう。

俺は去勢された動物園の猿にはなりたくない。せめて人の手が入らない場所にいる猿になりたい。

まぁ、だから何だって話だが。




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どうせ全部無理!

だから、考えて悩んで止まることを前提に物事を想定しないと、それは人間が処理出来ない次元の何かになる。

しかし、考えて悩んで止まるこの毎秒毎秒を死へのカウントダウンだと捉えたら、やはり、時間はムダには出来ないと思う。

いずれにしろ、命はきちんと燃やしたいものだ。独善的だろうが一人よがりだろうが何でも。
一昨日から昨日にかけて、名栗の白岩渓流キャンプ場に行って来ました。



入間川の最上流にあり、いわゆる、渓流の相を極力残してあるキャンプ場で、個人的にとても気に入っているキャンプ場の一つ。

渓相溢れる河原がテン場となり、空いているスペースを任意で選択出来る。

昨日は、夕方までは雨模様であったため、一応念のため、雨避けになるシェードとして大きな木のあるあるテン場を選んだ。

割と夕刻に到着し、日が落ちるまで実質30分くらいの状況の中、光速でテントを設営し、薪を拾い集め、火を起こした。

そして、19時あたりから肉を焼きつつ酒を飲み始め、人心地着いたところで、最近のキャンプではお馴染みのレシピである魚介ベース(鱈、海老、ホタテ)に鶏肉+沢山の野菜を投入する鍋をを作成した。

一昨日は少し涼しかったため、鍋は正解であった。そして、やっぱりこの鍋はウマい。〆にマルタイを投入すると、俺でもラーメン屋が開業出来るのではと思うくらい絶品な深みのある味わいが出る。同じような具材を使っても、毎回味が微妙に異なり、再現性があるようで無い所も魅力だ。

鍋を食べながら、相変わらずの四方山話に花を咲かせ、お酒も進んだ。

デタッチメントからコミットメントに春樹が最近移行してるのは単なる加齢によるものなのかみたいな話をしながらも、取るに足らない下衆話をしてみたり、マインドアイズという視点から読み解くシェイクスピアとか、I love youを「月が綺麗ですね」と訳した漱石の感受性について語ったりしてとても楽しかった。

僕にとって、今回一緒に行った友達は、ほとんどのことを何でも話せる大切な友達なので、そんな彼と丸一日ああでもないこうでもない出来て、本当に幸せだと思った。

だって、最近、何に問題意識ある?とか、自己顕示欲と自己肯定の差異って何なんかね?とか所詮我々は、今ある数多のあらゆる捨てて、なるべく軽くなることこそ得ることに他ならいんだと最近思ってるんだけど、どう思う?とか面倒臭さ極まりない話を振っても、彼はきちんと考えてレスポンスをくれる。

だから、本当にリラックス出来た。普段は、思っててもそんな面倒臭いことを人に話さないし話せないじゃない。

良い友達に巡り合わせてくれて、本当にありがたいと思った夜。

そして朝は、早起きをして軽く入渓。竿を出してみる。

すると、第一投で、20cm前後のニジマスがヒット。



その友達がニジマスと言うか、渓魚を食べたことが無いと言うから、ニンニク、オリーブ、ハーブを駆使してムニエルを作って食べさせてあげたら本当に喜んでくれて嬉しかった。

やはり、取れたてに勝るモノはない。

そして何より釣れて一安心(笑)

そして午前中は、椅子だけを残し、コーヒーを飲みながら各々本を読み、気が向いたら話し、自由に過ごした。チーズとワインなんかがあればもっと良いのにねーとか愚痴りながらも、ひとまず空気が美味しいから、もうそれだけで満たされてもまたいた。

また秋に開催する約束をして別れ、僕らは日常にまた還っていく。

いやはや、秋にもなれば、また違った趣があるんだろうな。(蛇と熊が怖くなる時期だけど…)

火のありがたみに感動したり、シーズンラストまでサバイブしてきた渓魚とのやり取りも魅力だし、何より、鍋がまた一段と染み入る季節だよね。

感謝しなきゃな。いただきますの意味を、毎回キャンプに行く度に思い出すし(普段は勿論、思う余裕がない…)、やはり、火を囲み話せる友達がいるということをね。



良いリフレッシュになりました。明日からまた現実が待っています。でも、ハレとケは、これくらいの塩梅だからこそ、きっとちょうど良いのだろう。

明日は休みが取れた大学時代の友達とキャンプかましてきます。

先週に引き続きの二週連続のキャンプ。そして、同じ場所…テン場は多少異なるが、方面は全く一緒。

先週は、子連れもいたりオナゴもいたりで、いわゆるファミキャンに徹頭徹尾終始したが(まぁ、それもそれで楽しいんだが)明日は普段通り、なるべく自然と一体化するスタンスの、カジュアルなキャンプをしてきます。

雨も降ったし、緑の香はきっと強いだろう。そして、蚊もいるだろう…そして、実際渓流のすぐ傍にテントを張る感じだから、水量は平気なのか懸念もある。しかし、大水が出てれば、もうエサはミミズで入れ食いも期待出来る。

まぁ、リフレッシュしてこよう。

火を囲んで星を見て、大学中さながらの対話をしながら酒を飲み、これからの正義の話などした後に、やっぱりオツムが少しアレだから、最終的には明治の校歌でも歌いながら、川にダイブして笑い転げたい。

楽しみだ。大切な友達とこうやってまた時間をシェア出来る喜びは無上だ。

楽しみだー。

それはやっぱり強みだなと改めて思えた夜。

逆に言えば、そこをアイデンティティの拠り所にしている部分もあるんだけれども、まぁ、そこは別に良いじゃない。だって、それが意味があるんだってスッと思える自分がいるんだから。

色んなモノは移ろい、そして色褪せ、刹那的な楽しみは、確かに思い出の1ページだけれども、もうそういった所では到底満足出来ない自分も知っている。

形を変えてでも、最終的にはそこに行きたい(いや、いるであろう)自分の姿は限りなくクリアーで、とても腑に落ちる。いつだって、その姿を追っている。現状は現状で確かにあるけれど、それを甘受してもなお、僕のベクトルはいつもその方向に向いている。

まずは地に足を付け、余暇を使ってスキルアップしたい。通信の大学で心理学を学び直し、いつかは大学院まで行きたい。そして、その時のシチュエーションにもよるが、自分のバリューが出せる部分で、今いるNPOや、類似のNPO、ボランティア、任意団体のお手伝いをしたい。もしそれがお金なら、少額かもしれないが、ずっと寄付し続けたい。勉強を教えることが役目なら、それをしても良い。話くらいならいくらでも聞ける。

そう、やっぱり俺はきちんと見えてる。自分のビジョンに自信を持て。

そして、実は理解されにくい価値観を共有出来る仲間がいることを当たり前だと思ってはいけない。

特別な関係だ。

感謝しかない。


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