もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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好きな言葉だ。
子どもの頃は、ボールが一つあれば、後は簡単、周囲にいる子どもの全てが仲間になった。 その際、お前も仲間に入れよ!と僕も言ったし言われてきた。 何というか、多少歳を重ねても、本質はここら辺りにあるんじゃないかなと思う。 お前も来いよ!とか、一緒にやろうぜ!とか、なんかそういうことだよね。結局、人が嬉しと感じることは。 子どもの頃と、何ら変わることなんてないんだ。多少見た目が変わるだけで。 まぁそりゃ色々あるし、色々出てくるし、色々言えなかったりもすんだけど、やっぱり僕は、こう言いたい。 (まぁ細かいことはひとまず置いといて)一緒にサッカーしようぜと。 別にサッカーじゃなくて良いんだけど、何だろう、そういう所を起点にしたいということ。 子どものやることは真理に近い気がする。 いやいや、まぁ、つらつらとバカなことをふと思っただけ。 PR
当たり前なことのようだが、これを技術として実践出来るようになるには、かなりの訓練と自己対話が必要になろう。
僕は良い加減、感情になし崩しにされるのが心底嫌なので、この辺りをきちんと昇華させて、地に足を着けて前に進んでいきたい。 感情に好き勝手蹂躙される己で良いのか?良くないだろ。
この技法を我流でも荒っぽくても良いから、採用することにした。
問題の「解決方法」を少しでも伸ばして拡げていくのだ。問題の除去に焦点をあてる(問題志向アプローチ)のではなく。 上記、解決志向アプローチの考え方の方が、合理的だし無理がない。 問題志向アプローチは、かなり荒治療だし、何より、ごまかしが効かないから、それは諸刃の剣となるシーンも多々。 除去なんてしなくて良い。解決に繋がる力や「気付き」を多面的に育てるのだ。 焦っちゃダメだ。早く楽になりたいという気持ちは傲慢だ。
誰に憚ることなかれ。
誰に遠慮することなかれ。 贖罪気取りが、一体全体、誰の、そして何の役に立つというのか。 てか、せめてもの罪滅ぼしをしたいならむしろ、具体的な形でもって実践することだ。 自分のこころの内を出ないものは、無いものに等しい。 とにかく、外に出せ。 一切を見える形の何かに変換しろ。 そして、今を変えたいと思うなら、とにかく良さげなことは全部試すことだ。 どうせ意味ないじゃんとか、多分またこのパターンだろうとか、やる前から思っても始まらない。 せめて試した上で嘆け。 絶望するには、まだまだ無数の選択肢が在り過ぎる。 完璧な幸福が無いように、完璧な絶望もまた無いんだろ? 折に触れて思い出せ。この事実は十分希望足る。
それが賢い。感情に振り回されて一喜一憂するなんて愚かしい。
しかし、感情を捨て去ることなどまず不可能なんだから、やはり試行錯誤しながら、なるべく感情と上手に付き合う方法を探っていく他ない。 出来得るなら、なるべく実践的で役に立つ方法を多数持つことだ。 当たり前だが、風向きはいつか変わるし、弱っていても、しばらく休めば治る。 つまり、自分を取り巻く状況は必ず好転する時期がくるわけで、肝心なことは、その時期がくるまでに、いかに弱っている自分を、自分で応急処置出来るかにある。 つまり、感情の招く一切に対するケアだ。 ここをテクニカルにやりたい。 また、せめてこういう部分だけでもテクニカルにしないと、ただただ僕達は感情の奴隷ではないか。 それでは悔しいし、何も建設的なことが為せない。 |
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