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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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などと、アホなことをつらつらと考えてみるのだが、あながち的外れではないような気がしてならない。

結局、僕達がこれまで生きてきた「すべてのこと」は、「確実に」自分の中の「どこかしら」には残っている。
僕の好きな作家である大崎善生は、『パイロットフィッシュ』の中で、こんなことを述べている。

「人間の記憶力を侮ってはいけない。若い頃は、歳を経るごとに、自らが発した言葉なり言動なりは風化していくものだと思い込んでいるが、実際はそうではない。」

と。細かい所は違うかもしらんが、大体上記のような趣旨のことを「森本」なる人物に語らせている。

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確かに、そうかもしれない。どれだけ足掻いて抗っても、過去は変えられない。
辛辣に誰かをdisったり、とても残酷なやり方で誰かを傷付けた「過去」は、決して風化などしない。

その逆も同じ。

例えば、イジメられっ子がどれだけ頑張って、「弱さ」を克服したように見えても、傷付いたインナーチャイルドは消えない。

時折、そういう「かつて弱かった自分→今は(自称)強い」みたいなことを言う人に出会うが(特に、不登校経験者と接することの多い自分は、そういう機会によく遭遇する)、実際、僕は彼(彼女達)の中に潜む、弱さが痛いくらい透けて見えて悲しくなる。

つまり、もう一回経験してしまい、損なわれてしまった何かは、決して戻らないのだ。

しかし、悲観する必要はない。

問題は、そんな消えない過去を、どう相手にするのかということだから。

真剣に対峙するのも勿論ありだが、どうせ過去は変わらないんだし、そんな過去も含めた今現在の自分が「自分」なんだから、大人しく受け入れて、弱さを認めた方が早い。あるいは、過ちを。

僕は克服なんか出来ないし、しなくても良いと考えている。

ただ「認める」のだ。

それが「自分」なんだから。
だから、僕は真剣になればなるほどに、こと過去との戦に関しては、どうしても不毛な結末を招かざるをえないと思ってしまう。

無理すんなよ。マジで。

君が(つうか俺が)、自分を強い存在に変えようと頑張ってきたことは認めるけれど、多分、本当はそんなことしなくても良かったんだ。

なのに、強くなろう、生まれ変わろうと頑張ってしまった。

本当に必要だったことは、きっとそんな相対的進歩ではなく、その時泣いていた自分を抱き締めることだったのだ。

悲しいね。多くの人は、本当に後になってからじゃないと、このことに気づけない。

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まぁ、そんなモンかね。「無限の可能性」なるチケットが手元にあったのに、それを疑って破って捨ててしまった。

そして、セコく現実なんかの計算を始める。

消去法と妥協の末に見出した後付けの未来に、一体どれだけの価値があるのだろうか。

僕はもうコソコソも、肝心なことからも逃げたくない。

結局、どこか逃げている姿勢のある奴は、それらしい外形を作り出していても、多分、信用されない。要の所で逃げてんだから、そりゃ見透かされるわなと。

僕なんて偽者の典型例も良いトコだから、苦しい。

何故、肝心な部分にだけ嘘を付くのか。

肝心な部分とは、ありのままの自分の気持ちだ。

選ばされる人生には、本当にもう懲り懲り。

しかし、もう後戻りが出来ない現実と、後付けでも、一応、夢もある。

そういうモンだろ。

まずは、抗いながらも、スゲー籠の中鳥になろう。籠の中にいるのに、スゲー鳥に。

飛び方を忘れないようにしよう。てか、飛ぶ力をむしろ蓄える。いつか来る、籠の中から出られるチャンスに備えて。

まぁ、俺はそれで良いや。結局は、現状、俺は籠の中にまだ居たいみたいだし。

today's tune

suga shikao/progress

やはり、狭い所でじっとしていては、特に若い頃は勿体ないなぁと。

ある程度歳を経て、意識的に「珍潜」するのとは別だからね。

とにかく、人にぶつかったり揉まれたり、色んな価値観や人生に触れてみる。

そういう機会が、どれだけ若い感受性に有効なことか。意固地になったりビビらずに、やっぱり勇気を持って、ワンチャン、一歩を踏み出して欲しいと思う。

繊細で壊れやすいけれども、感受性の豊かな若い頃のうちに。

結局、そういった時期に「ビビっと」きたり、救われたモノが、その人の礎になるのだから。

だったら、なるべく触れることだ。人でも場所でも本でも音楽でも何でも。

しかし、少し歳を経た今思うこと、出来得るなら…やっぱり、生きた人に会う方が圧倒的に良いと思う。やっぱり、同じ時系列にいる生身の人間の方が「効く」。
繋がりが可視化されるし、何より相手が生きた人間だからだ。

やっぱり、人って良いと思う。良くも悪くも。
「適当」が悟りの境地なんじゃなかろうかと、アホなことを思ってみる。

「適当」とは、①いい加減という意味もあるが、②目的などに、程よく当てはまること、という意味もあるからね。

つまり、自分が「適当」であるとは、目的に最適化するということでもあるし、なかなか良い塩梅を保つということでもあるね。

人生、なかなか良い塩梅、などという状態でいられたら、それこそハッピーである。

まぁ、悩みまくったり何なりした挙げ句、最後は疲れ果てて、良くも悪くも「適当化」されていくのだろう。

以前は、僕はこの状態を思考停止だと思っていたけれど、最近はそうは思わないようになってきた。

何故なら、生きる限り、(脳死状態とかボケやらは除く)思考など停止させられるわけがないのだから。

つまり、最適化されたとしても、思考は続くのだ。

個人的に好きなアーティストの曲。金井氏は、まぁ何だか色々難儀な事を多々抱えてるようにも見受けられたりもして、実際心配なんだが(余計なお世話は百も承知だがw)、それでも彼は何か違う。言葉の紡ぎ方や感受性の独特さがとても格好いい。

まぁ、ゴールデンリングっすよ。

一応、ご多分に漏れず早起きして観察。

きっと、死に際の走馬灯に現れるんじゃないかと思った。幻想的だね。



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