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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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などと、アホなことをつらつらと考えてみるのだが、あながち的外れではないような気がしてならない。

結局、僕達がこれまで生きてきた「すべてのこと」は、「確実に」自分の中の「どこかしら」には残っている。
僕の好きな作家である大崎善生は、『パイロットフィッシュ』の中で、こんなことを述べている。

「人間の記憶力を侮ってはいけない。若い頃は、歳を経るごとに、自らが発した言葉なり言動なりは風化していくものだと思い込んでいるが、実際はそうではない。」

と。細かい所は違うかもしらんが、大体上記のような趣旨のことを「森本」なる人物に語らせている。

××××××××××××
確かに、そうかもしれない。どれだけ足掻いて抗っても、過去は変えられない。
辛辣に誰かをdisったり、とても残酷なやり方で誰かを傷付けた「過去」は、決して風化などしない。

その逆も同じ。

例えば、イジメられっ子がどれだけ頑張って、「弱さ」を克服したように見えても、傷付いたインナーチャイルドは消えない。

時折、そういう「かつて弱かった自分→今は(自称)強い」みたいなことを言う人に出会うが(特に、不登校経験者と接することの多い自分は、そういう機会によく遭遇する)、実際、僕は彼(彼女達)の中に潜む、弱さが痛いくらい透けて見えて悲しくなる。

つまり、もう一回経験してしまい、損なわれてしまった何かは、決して戻らないのだ。

しかし、悲観する必要はない。

問題は、そんな消えない過去を、どう相手にするのかということだから。

真剣に対峙するのも勿論ありだが、どうせ過去は変わらないんだし、そんな過去も含めた今現在の自分が「自分」なんだから、大人しく受け入れて、弱さを認めた方が早い。あるいは、過ちを。

僕は克服なんか出来ないし、しなくても良いと考えている。

ただ「認める」のだ。

それが「自分」なんだから。
だから、僕は真剣になればなるほどに、こと過去との戦に関しては、どうしても不毛な結末を招かざるをえないと思ってしまう。

無理すんなよ。マジで。

君が(つうか俺が)、自分を強い存在に変えようと頑張ってきたことは認めるけれど、多分、本当はそんなことしなくても良かったんだ。

なのに、強くなろう、生まれ変わろうと頑張ってしまった。

本当に必要だったことは、きっとそんな相対的進歩ではなく、その時泣いていた自分を抱き締めることだったのだ。

悲しいね。多くの人は、本当に後になってからじゃないと、このことに気づけない。

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