もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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まぁ、意固地になっている部分もあるだろうけれど、やっぱり、多感な時期に触れたことや、考えたり思ったりしたこと、そういうものが結局一番しっくりくる。
「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」と、アインシュタインは言ったけれど、まさにその通りだ。 狭い部屋、狭い世界。社会から切り離されている自分。惨めな思いと多数派への羨望。そして、羨望を打ち消すための多数派否定という自己防衛。 よって、マイノリティなモノしか染み込んでこなかった。反発心からマイノリティなことしか出来なかった。 本心は多数派の中に身を置いて、無邪気にヘラヘラしていたかったけれど、本心とは裏腹に、僕が選んできたものは、当時の自分を肯定してくれるマイノリティなモノばかりだった。 本心に背いているから、当然、楽しくはない。 しかし、楽しくはないながらも、その中で何かしら楽しみを見出だしていった。 その結果、「まぁそんなモンだ」という低位安定の悟りらしきものが開けた。 一人はイヤだけど、まぁ仕方ない。皆と違うのは辛いけど、それもまぁ仕方ない。楽しくはないけれど、無益でもないだろうから、まぁ悪くない。 そんな感じ。とても冷めていた。 どう考えても偏屈な読書をし、偏屈な音楽を聴き、偏屈な生活を送り、僕は18歳になった。 そりゃ屈折するわ。 その後の人生で歪みを直そうと頑張ったりもしたけれど、あの多感な時期に身に付けたあらゆるは、早々簡単には戻らない。(そもそも、「戻る」ってどういうことだろう。) そして、一番肝心なことは、別に全てを修正したりする必要はないということ。それがどんなものであれ、自分が生きてきた軌跡なんだから。 その時の自分を支えてくれた支柱を今さら悪者扱いしてどうすんだ。 「今の自分」があるのも、そういった支柱のお陰じゃない。その柱がどんな種類のものであれ。 だから、僕はやっぱり根本的にはこのスタンスを変えなくて良いし、何より、変えられない。 てなワケでこれからも偏屈に生き延びていってやろうと思います。これが自分なんだから。 PR ![]() ![]() |
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