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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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ここ何日か、思考が良い感じで具体的なフォーカスに向いている。

結局、「やらなきゃいけないこと」に身を委ねてしまえば、細々した雑念は、何となく小さく出来る。

それが棚上げでも、別に良いじゃん。

僕達は別に、真理を探究したり、不正や矛盾なく生きなきゃいけないワケでもないのだから…と、なるべく麻痺させて頑張ってます。
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都庁記述対策。完全に私的忘備録。

特別権力関係理論とは、特別の公法上の原因によって成立する公権力と国民との関係についての理論である。

随分と難しい話な感があるが、噛み砕いて見てみよう。

まず、世の中には、好むと好まざるとに関わらず、通常の一般国民とは異なる国家との関係で、特別の法律関係にある者、あるいは、なる者がいる。

例えば、公務員や在監者がそれだ。

公務員は、公権力側の国民であり、国や地方公共団体に属しているので、特別な立場にあると言える。また、在監者も、やはり、一般国民とは特別な立場にある。

このように、特別の公法上の原因によって成立する公権力と国民との関係についての理論を、「特別権力関係理論」と言い、このような関係に入った者が、一般の国民の場合より、基本的人権を制限されることを正当化するものである。

では、特別権力関係理論の内容に入っていくが、その内容は①法治主義の排除②国家による包括的支配(限りない人権制限…)③司法審査の排除(人権救済してもらえない!)などが挙げられる。

もっとも、このような制限は、明治憲法下での話である。では、今日の日本国憲法と特別権力関係理論との関係を見ていく。日本国憲法は、「法の支配」を採用している。「基本的人権の尊重」という基本原理があり、法律の根拠なく人権を制限することなどが認められるものではない。

以上のことから、特別権力関係理論は、日本国憲法下では妥当しうるものではない。

よって、今日において、特別権力関係理論は否定するが、公務員や在監者というような特別の法律関係に入った者につき、それぞれの法律関係において、いかなる人権が、いかなる根拠から、どの程度制約されるのかを、個別・具体的に考えていこうという考え方が採用されている。

嗚呼ややこし。
都庁記述対策。完全に私的忘備録。

特別権力関係理論とは、特別の公法上の原因によって成立する公権力と国民との関係についての理論である。

随分と難しい話な感があるが、噛み砕いて見てみよう。

まず、世の中には、好むと好まざるとに関わらず、通常の一般国民とは異なる国家との関係で、特別の法律関係にある者、あるいは、なる者がいる。

例えば、公務員や在監者がそれだ。

公務員は、公権力側の国民であり、国や地方公共団体に属しているので、特別な立場にあると言える。また、在監者も、やはり、一般国民とは特別な立場にある。

このように、特別の公法上の原因によって成立する公権力と国民との関係についての理論を、「特別権力関係理論」と言い、このような関係に入った者が、一般の国民の場合より、基本的人権を制限されることを正当化するものである。

では、特別権力関係理論の内容に入っていくが、その内容は①法治主義の排除②国家による包括的支配(限りない人権制限…)③司法審査の排除(人権救済してもらえない!)などが挙げられる。

もっとも、このような制限は、明治憲法下での話である。では、今日の日本国憲法と特別権力関係理論との関係を見ていく。日本国憲法は、「法の支配」を採用している。「基本的人権の尊重」という基本原理があり、法律の根拠なく人権を制限することなどが認められるものではない。

以上のことから、特別権力関係理論は、日本国憲法下では妥当しうるものではない。

よって、今日において、特別権力関係理論は否定するが、公務員や在監者というような特別の法律関係に入った者につき、それぞれの法律関係において、いかなる人権が、いかなる根拠から、どの程度制約されるのかを、個別・具体的に考えていこうという考え方が採用されている。

ボタンの掛け違えを放置するから、生き方はぎこちなくなるばかり。

掛け違えにこだわらないタイプの人は、それでも楽しく今を生きれるのかもしれないが、僕のようにこだわりが強いタイプの人間は、どうもなかなか、上手に修正することが出来ない。

しかし、まぁ、①自らボタンの掛け違え②こだわりが強い、という問題点は把握しているので、それは渦中に於いて、唯一の救い。

まったくの五里霧中の状態ではないのだ(と思う)。

そして、①ボタンの掛け違えをしたからこそ、また違った角度から物事なり自らを俯瞰出来たこと、あと、傲慢を承知で言うが、社会的な弱者視点も、少しだけ理解出来た。何より、生きることの困難さを痛感したことは、きっと大きな財産になると思う。

あやふやな「薄氷」の上を、何の疑問も感じず、肩で風を切りながら闊歩していた、かつての自分は、実のところ、「強そうに見えるが、相当に脆い存在だった」のだから。

闇を知らないと、本当の光のありがたみなんて分からない。

それに気付けたんだから、挫折して良かったと言える。

「浴びる光の価値」がかつてとは重みが全然違うのだから。

そして、②こだわりの強さだって、今はマイナスに作用しているから苦しいのであって、プラスに転じたら、それはもう恐ろしいことが出来るだろうと、自分に期待も出来る。要は、この偏屈さも、今は掛け違えたボタン状態にあるから、本領を発揮出来ていないのだと思う。

問題点には気付けてる。渦中にあるけど、全く絶望する要素ばかりじゃない。人生は脆いもの。たかだか一つのボタンの掛け違えで、好転も悪転もするものだ。
そして、今の自分にとって…出来る自信はないけれど、「ボタンの掛け違えをした自分を認める」ことが出来たら、ホントは一番良いんだけど。本当の意味で次の段階に進むには、きっとここは、避けては通れないだろう。「ボタンの掛け違え地点に戻ってやり直す」ことは出来るはずもないんだから…間違った自分を許すこと。そして、そこから始まる、また新しい自分の人生。はっきり言って、予測もつかないけれど、そういう救われた日が来ることを祈る。そのためには、生き続けること。タフだしタイトだけど。それしか途はない。
今日は引くくらい勉強した。12時間くらい。

勿論、相も変わらず、自責の念のせいで何もかもどうでも良いとも思うし、私は本当に恥の多い人生を送ってきましたなどと、「太宰的葛藤」に苛まれて、自分イタ過ぎて死にたくもなるけど、頑張ってやり過ごしてる感じ。気分はまるで、綱渡りのeveryday。良い曲だ。

まあ、戯れ言はさておき、本当にギリギリ、一日に何百回も鞭打って、何とか延命出来てる状態。

苦しくて仕方ないよ。

でもね…結局、ヤケクソの先に救済なんてないだろう。

今日、明日、それが出来たら明後日。とにかく、生き延びることを至上命題にして、何とかやり過ごそう。
辛いけど、いつか笑える日がくるよね、また。

そのためには、とにかく1ミリでも先に進むことしか突破口はない。

堕落は容易いけど、結果的に、一番辛くなる未来になる確信がある。

とにかく、頑張ってるよ。頑張ってやるさ。死にたくないよ。助けてくれとはもはや一切思わない。

自分で作り上げていかなきゃ。

主体的な自己をね。

疲れで麻痺させるのは逃げかもしれない。

でもね、今の自分を変える突破口は、とにかく頑張って延命するしかなさそうだ。

ああ、相変わらずクソ野郎だな。

ははは。まぁね、最後に笑えて、皆と肩を組める日がくることを信じてる。

そして、全てを許し許されて、涙を流しながら、美味しい酒に酔いしれたい。

アホみたいだろ?

でも本心なんだ。


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