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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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小学校3年生の冬休み、僕は車に跳ねられた。

せいぜい時速40km/h程度のスピードで走る軽自動車に跳ねられたのだが、僕は跳ねられた瞬間を今も鮮やかに思い出せる。

車が自分に衝突した刹那、僕の視界は黒と白の二色になった。

宙に浮かび上がった、たかだか数秒間がスローモーションのように流れ、基本的には黒一色の視界の中、人やモノは白く型取られ、そして、人の表情や例えば、電柱に貼ってあった中古物件の価格や間取りなんかは、かなりはっきりと見えた。

僕の世界に色彩が戻ったのは、それからさらに数秒後。自分に何が起きたのか理解するには、さらに数秒を要した。

僕が跳ねられた一部始終を、不幸にも見てしまった当時の同級生は、河野が死んだと泣き叫びながら家に帰り、気がつけば僕は、救急車に乗せられていた。

そして、僕はこの事故の後、自律神経が狂った。

床が斜めに感じられるようになったり、地面がゼリーみたいにグニャリと感じられる症状に見舞われた。

そして、これが一番大事なことだと思うのだけど、何故、僕はまだ生きているんだろうという根本的な疑問を抱くようになった。

その年、阪神淡路大震災が起きたこともあり、倒壊した家屋や、歪んだ高速道路、燃え盛る街並みがブラウン管越しに僕の目に焼き付くうちに、その思いは 日増しに増強された。

しかし、そんなことはいつしか忘れていた。

自律神経の乱れも、阪神淡路大震災から一年後に越した北海道での生活を通じ、すっかり改善し、また、思春期の入り口に足を踏み入れたこともあり、好きな子やモテるにはいかにすべきか、みたいなことばかりに関心の大半が占拠され、すっかり何もかもが無かったことのように感じられた。

×××××

そして、あれから十数年、僕はまだ生きていて、そして、死ぬことは意外と呆気ないんだって気持ちも変わらない。

何故なら、恐らくその瞬間は、痛くも痒くも無いんだから(笑)

視界は白黒になり、何の痛みも無く、ただゆっくりと時が流れ、そして、肉体が受忍する限界を超えていた場合、そのまま世界は黒に占拠され、偶然この世に生を受けた「自分」が、終わるに過ぎないのだから。

よって、死、そのものに怖れは案外無い。

ただ、死につきまとう周囲への影響は払拭出来ない。むしろ、そちらが怖い。

まぁ、色々あったが家族は悲しむ。友達も多分何らかの影響に晒される。そして、僕を知る全ての人に、少なからず死についての何らかのイメージを与えてしまう。

それが怖い。

しかし、僕はまだ生きていて、僕は死んでいない。

例えば、取るに足らない昨日や今日を、やっぱり慈しんで、死後の周囲への影響等のノイズを、生という最強のノイズで打ち消すしかない。

二十代最後のクリスマス、そんなことを思いました。

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