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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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そう、円高はむしろ喜ばしい。

チリワインが298円で飲めるし、ミディアムボディのワインも、探せば498円くらいで飲める。

なので、最近はビールを買うのをやめて、ワインばかり飲んでいる。何となく、得した気分になれるしね。
また、海外旅行をするなら絶対今しかない。

特にヨーロッパは今だね。円高ユーロ安なんて5年前位には考えられなかった話だし。

移動はLCCをフル活用すれば、航空機運賃もセーブ出来るし、行くなら本当に今しかない。

ひとまず、、試験が終わった瞬間にバンコクに飛んで、シンハーでも飲みながら、そこからどこに行くのかを考える旅をしたい。。
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だと強く思わないと、支配されて流されて、あっという間に死んじゃうよ。

世界を変えるとかバカなことを思うんじゃなく、自分を変える。

こっちの方が現実的だし、きっと楽しい。

良いんだよ。行きたい所に行けば。これ以上我慢しなくて良いんだよ、自分が感じることに対して。

誰もが自分以外の人の「生」に対して無責任である以上、逆説的だが、責任を取れる人もまた自分しかいないのだから。

さすれば、何も恐れることはあるまい。自分の声を無視して生きる方がよほど恐ろしい。自身に対して責任感ある主体たれ。


結局、人は外圧が無いと「変われない」のではないかと最近思う。

例えば、江戸時代の日本が、あっという間に近代化したのも、列強という外圧があったから。

また、「ITテクノロジーの進化」という外圧は、人々を情報化の名のもとに支配することに成功している。

結局、思うのだ。人は案外、変化することが嫌いなものだ。分からない未知の領域に進むリスクを、大抵の人は取らない。何故なら、怖いから。そして、既存の成功体験や成功モデルに固執し、思考を止めてしまう。

まぁ、当たり前っちゃ当たり前だ。分からないことは怖いからね。

でも、変化することを厭っていたら、僕はやっぱり、「損するんじゃないか」と思う。

別に、「得するのが美徳だ」とは思わないけれど、「損するのが美徳だ」とも思えない。

そして、ある種の時代のベクトルというか空気みたいなものには、ある程度の普遍性があり、そして、何より不可逆性を持つ。もう車載電話なんて誰も使いたくないし、ダイヤルアップからネットに繋ぐなんて馬鹿馬鹿しくて誰もやりたくないよね、そんなこと。

さて、話は少し逸れてしまったが、結局、僕はドラスティックな変化というものは、結局、外からの大きな力以外あり得ないと思うのだ。

それが良いか悪いかは僕にも分からない。

ただ、下手に老朽化したシステムなりロールモデルにすがるくらいなら、思い切って外圧に身を委ねて、とりあえず変わってみる、みたいな選択も、僕はアリだと思うのだ。

そんなに今のモデルやシステムは大事かな。意固地になってる理由は、ただビビってるだけとか面倒臭いとかそんなんだろ、得てして。

ある意味、不登校の子とかにも同じことが言えるのかもしれない。

勿論、休養は必要だし、何にも属さず、自分と向き合う時間も必要だし、何というか、「機が熟す」のを待つというのも大切だとは思う。

しかし、人を動かすのは、結局、強い外からの力だ。
振り返ってみても、僕もそうであった。

「そろそろ大学でも行っとかないとヤバイ」という社会一般からの外圧。「少しでもアタマ良いと言われている大学行かないと不利だ」という、「そうは言っても、まだまだ学歴社会な日本」からの外圧。(もっとも、これは卒業してから考えは変わったが…)
また、ある種の形式的なイベントも外圧足り得る。

例えば、「卒業式」、あるいは、「新学期」。「成人式」なんかもそうだね。

そう、結局のところ、やはり、外からの圧力なくしては、僕らは変化を厭い、殻に籠もりがちになってしまうことは、ある意味必然的であるのだ。
土日はあれこれ忙しく、なかなか充実。石井の試合→朝まで久しぶりに飲んだりなんなり。

いやいや、好きなことに真っ直ぐって羨ましいなぁと、リンクにいる友達を見て強く思いました。

結局、老後がどうとか年金がどうとか、あざとい計算をしてしまうから、僕は小物なんだなぁと痛感したり。まぁ、そういったビジョンでもって人生を設計するのも悪くはないんだろうけど…

何だか、友達の眩しさに圧倒されてしまった。それはつまり、真っ直ぐで気持ちが良いということですね。過去も未来も関係なく、今にのみ向き合ってる真っ直ぐさ。そういう境地で生きていられる友達が、心底羨ましかったです。

まぁ、何はともあれ、興行も大成功だったみたいで何より。予想外に上がりが出たとのことなので、埼玉人は近々たかりましょう(笑)
さて、んで、今日は学部時代のひっさしぶりの友人と話したりして、こちらもこちらで刺激を受けました。僕の卒業した大学の学生の、恐らく標準的な進路を歩んでいる彼ら。

どちらも大変そうだが眩しい。

まぁ、色んな道があって生き方があって、皆違って面白い。そう、だから面白い。

そして大切なことは、だからこそ、自分も自分でOKってことだと思う。均一化したり標準化されることに意識を注ぐのではなく、ただ、今在る自分を肯定することだ。

だから、自分だけはOKを出している、肯定的な道を歩こう。ケチばっかりつけたり、ダメ出しばっかりの道では、自分が可哀想だからね。
ちょっと脳だかこころだか知らんが、少々疲れ気味なので、今日は休もう。

自分と向き合う作業は辛い。しかし、向き合わないと僕は前には進めない。

誤魔化せない性分なんだろうな…本当に厄介極まりない。

エネルギーがどんどん無くなっていくのが分かる。そう、僕はすり減っている。
大事なことの周囲をうろうろするだけで、大事なことには怖くて介入出来ない。
焦らなくて良いとは思うんだけど、結局、そこが足を引っ張るから、僕の現実はクリアーではない。

しかし…生き続けるっていうのは、そういうものなのだろうか。染みのない綺麗な世界で生きたいと思う僕は、頭おかしいんだろうか。

こころの声に、あえて蓋をして聞こえないフリをすることは辛い。それを続けると、意識と身体がどんどん解離していくのが分かる。そして、気が付いた時に、意識があって現実があって身体もあるんだけど、その全てがちぐはぐというか、一つの統一性のある「自己」として、物事を認識できないのだ。

まぁ、まだまだ僕はまだまだ。

ただ、問題の核心はきちんと捉えることに成功している。漠然と辛いわけではない。

あとは…タイミングと勇気とさらなる成長が必要。

問題と本当にサシで決着を付ける時に備え、今は基礎体力を付けて、備蓄をして、自己が崩壊しないように頑張ろう。そう思えば、生き続けることには意味がある。僕は大概適当な部分も多いけど、魂レベルの事柄については、誠実でありたいし、誠実にしてから死にたい。

ムダに苦しんでいるワケではないんだから、胸を張って明日も明後日も苦しもう(笑)十字架を背負いながら、辛気臭そうな顔をしながらでも、それでも生き続けることが唯一、救済への道なのだから。

僕は人生を無駄にしているのか。

ある意味ではそうかもしれない。

しかし、多分、必要な業を与えられているんだと思う。

これをいつの日か突破することが出来たら、(勿論、試験に受かる云々のしょうもない次元の話ではない)僕はどういう風に、世界を感じることが出来るのだろうか。楽しみでもある。そう、楽しみにしておこう。
そして何事も、ドラスティックには変わらないものだ。必ず予兆なり堆積があってのことだと思う。

だから、劇的な変化を期待してはいけない。辛抱強く、根気良く。そして、気長に、そして、さらに願わくば、気楽に。


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