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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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結局、人は外圧が無いと「変われない」のではないかと最近思う。

例えば、江戸時代の日本が、あっという間に近代化したのも、列強という外圧があったから。

また、「ITテクノロジーの進化」という外圧は、人々を情報化の名のもとに支配することに成功している。

結局、思うのだ。人は案外、変化することが嫌いなものだ。分からない未知の領域に進むリスクを、大抵の人は取らない。何故なら、怖いから。そして、既存の成功体験や成功モデルに固執し、思考を止めてしまう。

まぁ、当たり前っちゃ当たり前だ。分からないことは怖いからね。

でも、変化することを厭っていたら、僕はやっぱり、「損するんじゃないか」と思う。

別に、「得するのが美徳だ」とは思わないけれど、「損するのが美徳だ」とも思えない。

そして、ある種の時代のベクトルというか空気みたいなものには、ある程度の普遍性があり、そして、何より不可逆性を持つ。もう車載電話なんて誰も使いたくないし、ダイヤルアップからネットに繋ぐなんて馬鹿馬鹿しくて誰もやりたくないよね、そんなこと。

さて、話は少し逸れてしまったが、結局、僕はドラスティックな変化というものは、結局、外からの大きな力以外あり得ないと思うのだ。

それが良いか悪いかは僕にも分からない。

ただ、下手に老朽化したシステムなりロールモデルにすがるくらいなら、思い切って外圧に身を委ねて、とりあえず変わってみる、みたいな選択も、僕はアリだと思うのだ。

そんなに今のモデルやシステムは大事かな。意固地になってる理由は、ただビビってるだけとか面倒臭いとかそんなんだろ、得てして。

ある意味、不登校の子とかにも同じことが言えるのかもしれない。

勿論、休養は必要だし、何にも属さず、自分と向き合う時間も必要だし、何というか、「機が熟す」のを待つというのも大切だとは思う。

しかし、人を動かすのは、結局、強い外からの力だ。
振り返ってみても、僕もそうであった。

「そろそろ大学でも行っとかないとヤバイ」という社会一般からの外圧。「少しでもアタマ良いと言われている大学行かないと不利だ」という、「そうは言っても、まだまだ学歴社会な日本」からの外圧。(もっとも、これは卒業してから考えは変わったが…)
また、ある種の形式的なイベントも外圧足り得る。

例えば、「卒業式」、あるいは、「新学期」。「成人式」なんかもそうだね。

そう、結局のところ、やはり、外からの圧力なくしては、僕らは変化を厭い、殻に籠もりがちになってしまうことは、ある意味必然的であるのだ。
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