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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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やはり、本当に陳腐かもしれないが、「自分らしく」生きるためには、常識や慣習や因習や社会通念をまずは度外視する必要がある。

勿論、全部を度外視したらおかしい人になってしまうので、最低限のルール、例えば、法を遵守する等の倫理観は犯してはいけないだろう。
しかし、自ら自分を縛る「何故か自明とされているムダなこと」にばかり、自分を適合させようとして、自分の可能性を潰してしまっている事例は枚挙に暇がない。

大人…まぁ、何をもって大人とするかは難しいが、ある程度、理性的に物事を判断することが出来る状態にある人を大人だとしたら、「理性でもって」現実を正当化することは容易い。

「生きていくためには仕方ないから」

「これが普通だから」

等々。

大人は、嘘を正当化し、自己合理化を図るのが非常に上手だ。

矛盾のない世界で生きることは難しい。そして、自身は完璧な存在でもないことは百も承知ではある。

しかし、何かやっぱり、息苦しい。こんなんじゃおかしい、何とかしなきゃ、こんなつもりじゃなかった、好きでやってるワケじゃない。誰しもがきっとそんな葛藤を抱えながらも、今日と明日を正当化して、食うために生きている。

別にそれで良いじゃんかと思うけど、まだ、そうは思えない自分がいる。そして、「そっち側」に回ってしまった瞬間に、僕は永久に「今の僕」には戻れないだろう。

僕は弱いから、既得権を批判しつつも、いざ体制側に回ったら、きっと利権を享受するし、すがってしまうと思う。そして、自身の立場を正当化すると思う。

とても怖い。

僕が僕らしく生きていくチャンスがこの手にあるのに、がんじがらめな小さな自分は、どうしてもその一歩が踏み出せず、既存の大きなモノにすがろうとしてしまう。捨てられない。染み込んだ「ジョーシキ」的な一切は僕を離さない。

僕は非力だ。そして、ちっぽけだ。

何年か経った後、僕はきっと、その時手にしたポジションなり経済力に対して満足しているはずだ。

特段大金持ちではないけれど、きちんといっぱしの生活が送れている自分自身に対して、それなりの自尊心も覚えているんじゃないかと思う。

「あれだけ厄介な試験をクリアしたんだから、今の生活なりなんなりは在って当然」

きっと、そう思うだろう。
そして、やりたくもないことに何とか理由をつけて、きっと、日々頑張っちゃうんだと思う。適当にサボったり、適当にやる気を出してみたりしながら。

そして毎日、仕事から帰ってきて酒を飲み、週末は友達と飲み、日曜日は寝て過ごす。長期休暇は、限りなく近い海外を旅行するくらいしか出来ないだろうが、まぁ、そんなもんだと言い聞かせ、5日だか6日の余暇をひとまずは楽しむのだろう。

高邁な理想はいつしか影を潜め、いにしえの「青臭さ」として風化していくのかもしれない。

そんなんやっぱり嫌だな。
うん、嫌だ。

自己葛藤ばかりが僕を支配するが、まだまだ僕は「理性的」過ぎる。情けない話だ。
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