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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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は、考えなくても良いんじゃないかと思う。

と言うか、大抵の人は、本当に切羽詰まったり追い詰められたりしないと、考えなくても良い部分については、特に「深刻には」考えていないはずである。

例えば、自分も含めて健康でピンピンしている若い奴は、三大疾病やその医療費について深刻に考えてはいないと思う。

いずれは、そういった疾病に絡め取られる日は、恐らくやって来るのだろうが、それでもやはり、どこか他人事。当事者意識はない。
また、親がある程度若ければ、彼らの介護や末期ということを思いこそすれど、特にアクションはしない。
これもまだ、近くて遠い当事者ではないからだ。

つまり、人は当事者にならないと深刻になれない。
そう遠くない未来に、恐らく訪れることが分かっていても備えられない。

そして、恐らく、備えなくても良いのではないかと思う。

何だろう、備え過ぎたら、楽しくないから。今が楽しくなくなってしまう。

まぁ、そりゃあそうだろう。

愉快とは良い難い未来に備える行為が、楽しいはずもない。

人間、「老病死」からは、基本的に遠ざかった場所にいたいという本能?みたいなのがあるからね。電車で咳き込む他人がいるだけで、どことなく不快や不安な気持ちになる。

そう、僕らは備えられないし、備える作業をするのも辛い。

しかし、それはいつかやってくる。

でも、当事者にならないと、それは出来ない種類のものかもしれない。

だったら、今を生きることだ。

「何の障害もない時期」

などというのは、実は人生の中の刹那であるかもしれないのだから。

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