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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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社会的問題の解決とは、突き詰めれば、人間がやることの不完全さを補完することである。

「誰しもがハッピーな社会」、「皆が満足する社会」なんてものは、基本的には桃源郷であり、まずあり得ない。

しかし、そこで諦めたり思考停止してはいけないと思う。

「不完全」だからこそ、修正や是正の余地があり、そして、誰かが先陣を切ってやらないと、永遠にその「不完全」は解決されることはない。

だからこそ、せっかく気付いたのならやる。違和感があったりモヤモヤしたりするんなら、それは改善の余地がある領域であることを、充分に示唆して足るものである。

「不完全さ」をゼロベースにして世の中にコミットすれば、仕事は無数にある。そして、誰しもが誰かしらの「役に立てる」余地がある。
やりがいがないことを続けることはしんどい。

しかし、どんなことにもまた、やりがいを見つけることが出来るのが、人間の強みでもある。

例えば、僕は今日までに無数のバイトをしてきたが、その全ては「やりがい」があった。

コンビニでレジ打ちをしている時も、「日本が誇るコンビニエントの一端を担っている構成員だ」という謎の自負が生まれた。また、ファミレスや居酒屋で働いていた時も、「とりあえず、自分がサーブすることで、顧客のニーズを充足することが出来る」という喜びを覚えた。

また、家庭教師やメンタルフレンドなどは、自分の「これまで」を肯定することに繋がり、大変にやりがいがあった。

少々脱線したが、確かに、どんなことをやっても、それなりの充足感を覚えるが、僕はそこを一歩踏み込えた次元で生きたい。

何故なら、既存の産業なり事業は、「既に何らかのニーズに基づき社会から承認(必要)とされていること」だからだ。

よって、そういった産業なり事業に従事すれば、当然のように「充足感」が得られることは、必然である。

しかし、まだ誰も歩いていない道ならどうだろう。

その道が、「社会から承認(必要)とされている」かどうかも分からない。

しかし、それをやることによって、「現実が、良い方向に転がる」という予感がする場合。

それは未知なる挑戦であるが、恐らく、新しい「既存」を生み出す第一歩になる。
つまり、未知を既知に変える試みこそ、「文明を発達させる」ことであり、知的な存在である我々人間としては、文明を押し上げる一端を担うことは、この上ない喜びをもたらすことは自明である。

不可視だけど、その先には喜びが待っている。

既存することをやっているだけでは到達することのない次元が、そこにはあるのであろう。
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都庁セミナーに参加。やっぱり、取り組んでいることのスケールが大きい。さすが、日本国の首都だと言わざるを得ない。

例えば、環境局のCo2排出取引に関する施策は、世界的にも注目されている革新的な取り組みである。また、不登校やニート、ひきこもりに関する取り組みも、内容の充実度や効果の程は定かではないが、少なくとも、「都としての懸念事項」として昇華され、解決したいという姿勢を強く感じた。

やはり、行政からのアプローチでし出来ないこともある。

行政という立場から、国民なり都民なり市民のニーズに応えるのだ。

「別にそんなこと頼んでねーよ」

みたいな声も確かにあろう。

しかし、我々が既に「自明なもの」として享受していることやモノの多くは、実は、ひっそりと行政が主導して取り組んでいる施策である場合も多々。

小さな国家、小さな政府にするのではなく、僕は、多少、個人負担が増大したとしても、政府なり行政からの「サービス」を出来る限り、そして、多くの国民が受けられる社会こそ、少なくとも暫定的には「豊か」な社会であるように思う。

官僚制にはデメリットも多いが、それ以上に享受出来る恩恵もまた多いのである。

例えば、「カリスマ的支配」が行政の世界にも進出してしまったらえらいことになる。

カリスマ性は、確かに革新性を持ち、ドラスティックな変革を起こしたり、従来の価値観を180度転換することもある。

しかし、カリスマ的支配に言えることは、カリスマとは「個人」に依る部分が大半であり、「持続性」に欠けるのだ。

つまり、そのカリスマが亡くなるなり退くなりしたら、「後が続かない」のだ。

よって、批判も多かろうが、僕は官僚制は、とりあえず崩してはいけない砦だと思う。

しかし、世の中は絶えず変化している。永続性に固執すれば、変化に対応することが出来ないし、そもそも、形骸化したサービスなど、それこそ意味もないし、「税金のムダ遣い」である。
よって、変化に応じることは勿論必要だが、僕は、その応じる度合いは、あくまで、「官僚制」を前提にしたものでなければならないと思う。

ここが崩れたら、今日の多様な行政サービスは破綻する。

時代を革新する「カリスマ」達と行政が、上手に手を結ぶことが、ある意味では、変化への行政が出来る対応なのではないか。

これからは、間違いなくソーシャルビジネスの時代が到来すると思う。

つまり、「解決したい社会問題」をきちんと捉えた個人なり組織が、台頭してニーズの充足をしていくことであろう。

その際、そういったカリスマと行政がタッグを組むことが出来たら、解決出来るニーズの幅はさらに拡がることであろう。

そのためのお手伝いを、是非、行政でしたいものである。

そして、将来的には、僕も社会的ミッションを解決するために動いていきたい。
両輪を知るのだ。
空虚かもしれぬが、目標を設定した。ブログ越しだが、人の目に曝すことで僕の目標は具体的なベクトルを持つことであろう。

28歳 都庁か政令市、市役所に合格する

試験が終わったら、鬼のように英語とPCリテラシーを上げる。具体的には、TOEIC700点超え(現在、560点)。PCに関しては、基礎的なプログラミングスキルを身に付ける。(現在、名ばかりMOS資格保持者に甘んじているだけ)

そして、ハーフマラソン完走と、可能な限り、世界を歩きたい

29歳 とりあえず、人より社会に出るのが遅れているから、ふつうの新人の1,5倍働く。あとは貯蓄。

30歳 29歳と同様。とりあえず、29歳と30歳の二年間で、大学の同級生でストレートで社会に出た連中位には追い付きたい。また、貯蓄も続ける。

31歳 通信制の大学(心理学部)に入学する。週末はフル勉強、平日も10分でも20分でも勉強しよう。また、NPO関連のセミナーや勉強会にも可能な限り顔を出す。

32歳 31歳と同じく。そして、大学を卒業する。

33歳 大学院(心理系)に入るための貯蓄を開始。週末は英語の勉強と文献読み込み。また、可能な限り、勉強会やセミナーには継続参加。

34歳 33歳と同じく。

35歳 大学院に入る。出来れば、立正、立教、大正、ICUのどれかに。時間をやり繰りすれば、授業にも出られるはず。

36歳 35歳と同じく。修士を取る。

37歳 博士に行く貯蓄を開始する。週末は勿論勉強。セミナーや勉強会にも可能な限り参加。

38歳 博士課程に入る。

39歳 勉強を無茶苦茶やり込む。この年に博士を取る。また、臨床心理士資格も取る。

40歳 ボランティアで、休日に「無償カウンセリング」を開始する。誰か師事出来る方がその時にいれば、その人に師事して働く。

41歳 40歳と同じく。経験を積む

42歳 経験を積む

43歳 カウンセリングの研鑽と並行して、本格的に起業の勉強を始める。

44歳 43歳と同じく。

45歳 44歳と同じく。また、起業に向けて、具体的に動き始める

46歳 雀の涙ぐらいであろうが、退職金を元手に起業する。カウンセリングをベースにした、学習支援&フリースペースの二つの機能を備えたNPOを始める。

47歳 軌道に乗せる。

48歳~ 僕が解決したい「ミッション」は、きっと毎年毎年生まれて消えることはない。だから、永続的に続ける。死ぬ当日までやる。
寒い日だった。

家に帰って、ベッドに横たわると、何やら足元に違物感を覚えた。

何だろうと布団をはぐると、そこには「湯たんぽ」があった。

とても温かいなと思った。
the Hiatusの新譜を聞き込んで1週間。

Souls feat.Jamie Blake

http://www.youtube.com/watch?v=N_u713rfC6g&feature=youtube_gdata_player

素晴らしいの一言。ランニングしながら、車の中で、とにかく、「a world of pandemonium」に溺れています。

And every time you look beiind

And feel the memory

Oh it swells in you it swallows me

And takes our souls to see

And every time you look beiind

And feel what used to be
Oh it swells in you it swallows me

And takes your soul to me

(Souls/the Hiatus feat.Jamie Blake)

さて、11月は、74キロ走って、2770回腹筋をした。

色付いた木々を愛でながら、気持ち良く走れた日が多かったように思う。

三島由紀夫はこんな言葉を残している。

「空虚な目標であれ、目標を目指して努力する過程にしか人間の幸福は存在しない。」

なるほど。

空虚空虚と唱えても、どうせ今生は一度。空虚かもしれぬが、虚を打開する望みもまた、虚の中にしかないのかもしれない。

走りながら虚を感じよう。


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