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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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都庁セミナーに参加。やっぱり、取り組んでいることのスケールが大きい。さすが、日本国の首都だと言わざるを得ない。

例えば、環境局のCo2排出取引に関する施策は、世界的にも注目されている革新的な取り組みである。また、不登校やニート、ひきこもりに関する取り組みも、内容の充実度や効果の程は定かではないが、少なくとも、「都としての懸念事項」として昇華され、解決したいという姿勢を強く感じた。

やはり、行政からのアプローチでし出来ないこともある。

行政という立場から、国民なり都民なり市民のニーズに応えるのだ。

「別にそんなこと頼んでねーよ」

みたいな声も確かにあろう。

しかし、我々が既に「自明なもの」として享受していることやモノの多くは、実は、ひっそりと行政が主導して取り組んでいる施策である場合も多々。

小さな国家、小さな政府にするのではなく、僕は、多少、個人負担が増大したとしても、政府なり行政からの「サービス」を出来る限り、そして、多くの国民が受けられる社会こそ、少なくとも暫定的には「豊か」な社会であるように思う。

官僚制にはデメリットも多いが、それ以上に享受出来る恩恵もまた多いのである。

例えば、「カリスマ的支配」が行政の世界にも進出してしまったらえらいことになる。

カリスマ性は、確かに革新性を持ち、ドラスティックな変革を起こしたり、従来の価値観を180度転換することもある。

しかし、カリスマ的支配に言えることは、カリスマとは「個人」に依る部分が大半であり、「持続性」に欠けるのだ。

つまり、そのカリスマが亡くなるなり退くなりしたら、「後が続かない」のだ。

よって、批判も多かろうが、僕は官僚制は、とりあえず崩してはいけない砦だと思う。

しかし、世の中は絶えず変化している。永続性に固執すれば、変化に対応することが出来ないし、そもそも、形骸化したサービスなど、それこそ意味もないし、「税金のムダ遣い」である。
よって、変化に応じることは勿論必要だが、僕は、その応じる度合いは、あくまで、「官僚制」を前提にしたものでなければならないと思う。

ここが崩れたら、今日の多様な行政サービスは破綻する。

時代を革新する「カリスマ」達と行政が、上手に手を結ぶことが、ある意味では、変化への行政が出来る対応なのではないか。

これからは、間違いなくソーシャルビジネスの時代が到来すると思う。

つまり、「解決したい社会問題」をきちんと捉えた個人なり組織が、台頭してニーズの充足をしていくことであろう。

その際、そういったカリスマと行政がタッグを組むことが出来たら、解決出来るニーズの幅はさらに拡がることであろう。

そのためのお手伝いを、是非、行政でしたいものである。

そして、将来的には、僕も社会的ミッションを解決するために動いていきたい。
両輪を知るのだ。
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