忍者ブログ
もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
[127] [128] [129] [130] [131] [132] [133] [134] [135] [136] [137]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今週の主なtweet等。

今日はお疲れの意を込めて、一緒に受けた友達連中と、ワインを飲みながらイタリアンして帰ってきました。試験の話は一切無しにして、久々に本の話や旅の話なんかが出来て楽しかったな。やっぱり、本当の教養は、参考書の中になんか無いよね。既存学問は活版印刷が如し。再現性はあれど所詮インスタント

JIN、昨今にはない素晴らしいドラマだったように思う。来週から、寂しくなるなぁ、日曜日(笑)

やっぱり、自分を理性で誤魔化して正当化しても、そりゃあ結局ウソだよな。欲しいものは掴む。やりたいことはやる。こんなシンプルなことなのに、どうして僕たちは、それをこじらせるのか。

まずは、何を求めているのかを知らないと話にならないな。理性で味付けされて、すっかり去勢されてしまった「己」を、根本から疑う作業が必要だ。確かに自分という存在は多面的だが、究極的には、案外そうでもないことに、薄々気付き始めてるんじゃないのと自分に問いたい。

欲に率直なことは悪いことかな?どうにも社会風潮的に、欲に率直なことは良くないことみたいな刷り込みがある気がする。つまり、外圧が去勢を促進するのだ。足並み揃えて同調しろと。勿論、他者に迷惑をかける自由なんて、そもそも論外だが、僕たちは、その迷惑の基準を、少し勘違いしている気がする。

迷ったり、揺り戻しがあったり、落胆することは当り前。結局、そういったグラグラとした時間の中にしか、きっと答えは無いんだと思う。まぁ、人間ってそういうものじゃないか、多分。

6月の総ランニング距離、111.9km。単純計算で、ウチから群馬県の沼田市くらいの距離。総腹筋回数は、2430回。腹筋一回/秒だとすると、一ヶ月という期間の約40.5分は腹筋に費やしたことになる。何だかアホみたいだが、記録を付けていると、こういう振り返りが出来て少し楽しい。

良い習慣を続けよう。勉強然り、ランニング然り、青汁然り(笑)ようやく覚悟が決まりつつあるな。ウジウジしてても仕方ない。何でも、まずはやってみてから、なってみてから判断を下さないとな。机上の空論よりも、頭上の空論の方がタチが悪いよな。本当にもう口を閉ざそう。今はとにかく、進まないと

結局、朝までコース。飲んだ後、一路奥多摩へ。(運転手は勿論素面)私のみアホみたいに川に入り、全裸で大自然を満喫(笑)夏先取りし過ぎ、大フライングだんであった(笑)とまぁ、週末の夜を満喫しました。寝よう。yfrog.com/gz83ekbj
PR
【真の真などないことは分かってるんだけど、多分結局、それが真なんだわ。】
暫定的に真だと信じてやまない願望なり欲望は、あくまで暫定的なモノに過ぎないことは、よく分かっているつもりだ。

しかし、結局、死の間際に言いそうなことこそが、私の中核をなす真に違いなかろう。

それがどれだけ俗物でしょうもないモンでも良いじゃないか。

アンタ、結局、それが欲しいんだから。

大人になることは去勢されることじゃないぜ。

理性の実をせっかく齧ったのならば、変に現実的な部分で同調することに理性を使うのではなく、欲望を満たすために理性を使えよ。
欲に忠実なことは悪でも何でもない。

日和ってお茶を濁しているうちに、己に内在するエネルギーが枯渇しちまうぜ。
泉の源は千差万別だ。ただ、泉がいつまでも、豊富な訴え掛けを、己に施してくれるワケではなかろうと、薄々感付いている。

定期的に、己を揺さ振る洪水がある今こそ、僕は真剣に己を生きなくてはと思うのだ。理性のダムを作る前にね。

青臭いことは素直ってことだ。

適応と成熟は別物だと思う。

麻痺して得られる何かより、痛みを伴う体験からくる何かを。

自分を真に満たすのは、結局、暫定的な欲望の源泉。
麻痺させて延命するこの命になど、何の価値があろうか。
先週の主なReTweet等

本当の意味で人づきあいに必要なのは、会話のテクニックやコミュニケーション能力だけではありません。それらは単なる一つの要素です。むしろ重要なのは、他人よりも先に「自分とどうつきあうか?」です【内向型人間の人づきあいにはコツがある】amzn.to/a1ZXNy

あなたのしていることの理由を考えるために立ち止まってはならない。なぜ自分が疑問を抱いているかを考えるために立ち止まってはいけない。(アインシュタインbot)

上杉隆「東電が汚染水処理にまた失敗。3/14に上原春男さんが”じゃじゃ漏れしてる”と警告してた。米仏露企業が支援表明したのに東電は無視。汚染水を海洋投棄すれば公共財産汚し、”国際テロ国家”と同じ扱い。東電は記者クラブと同じ、過去のメンツの為に地球を汚し続ける」#sokotoko


誰かが前に言っていたけど、「女子大生が夜キャバクラでバイトしている」と聞くとふしだらに聞こえるけど、「ギャバクラ嬢が昼は大学で学んでいる」と聞くとまじめに聞こえる。まったく同じ事を言っているのに受け取る印象は正反対。物の価値を向上させるセンスとはこういうことに気づくかどうか。(@maidtrain)

夢って、しょっちゅう叶ってるんだよね。ブータンの人とかは、それを知ってるんじゃないかなぁ。(糸井重里)

ばか(8)利巧な秀才は何重にも予防線を張って何歳で天下りして、などと計算する。ばかは無防備である。何も考えていない。ただ、衝動がある。世間の評価をどう受けるか、など気にしない。ただ突き進む。自分でも、何で突き進んでいるのか、わからねえ。しょうがない。ばかだから。(茂木健一郎)

ばか(9)諸君、おおいにばかになりたまえ。ばかだけが日本を救う。ばかだけが世界を変える。学校では、ばかの成り方など教えてくれない。ましてや大学ではね。ばかになるのは、人生のお祭り。即興で口をぱくぱく動かす。テストの紙なんて飛行機にして、おおいにばかになりましょう。(茂木健一郎)

福井新聞によると、ボクは年度内稼動はむつかしいって。よかった。お仕事したくないよ。できる自信がないよ。だって95年にナトリウム漏れ→事故隠し→担当者さんの自殺…→去年15年ぶりに稼働→たった3ヵ月で事故→東芝さんにシュジュツ発注→担当者さん自殺→昨日シュジュツ、だもん。自信ない。(@もんじゅ君)

"""はったり""はやがて""本物""になる…何かになりたかったら、そのごとく振る舞うこと。行動こそが、最高の自己暗示なのです"【カリスマ 人を動かす12の方法】amzn.to/atvEC1
先週の主なtweet。

またも、通称、セレブ徒歩帰宅。にしても、今日は渋谷から國學院大学まで歩いたり、新宿から新大久保まで歩いたりと、よく歩いた一日だったなぁ。極めつけが地元駅~家まで2キロ。頭も身体もヘトヘトです。

今日も詰め込み時事祭り。最新判例とか、なかなか自分では収集出来ないので、こういう時、予備校行ってて良かったなと思いますわ。帰宅後、ランニング6.5キロ、腹筋160。横浜市まであと一週間。詰め込め!

どうしても王将に行きたい気持ちを抑えられず、わざわざ茗荷谷まで遠征。天津飯(塩だれ)をオーダー。いや~、やっぱり王将、すきすき王将。

ソーラー発電は高コストらしいが、エネルギー供給高度化法に基づき、余剰分の電気を電力会社に買取ってもらえば、案外、トントンというか、いけるんちゃうかと思う。風力だと、さすがに心許ない印象は否めないが、こんなにサンサンと陽が照りつける日には、太陽光発電普及の可能性を思う。

今日も楽しく詰め込みパーティーを大絶賛開幕致します。アホらしいけど受け入れて、こんなアホみたいな事項をなるべく沢山、一つでも多く頭に仕入れてアホに近付こうと思います。

今日はお疲れの意を込めて、一緒に受けた友達連中と、ワインを飲みながらイタリアンして帰ってきました。試験の話は一切無しにして、久々に本の話や旅の話なんかが出来て楽しかったな。やっぱり、本当の教養は、参考書の中になんか無いよね。既存学問は活版印刷が如し。再現性はあれど所詮インスタント

これは…tokyo-jc.or.jp/2011/regular/0…行こうかな、千代田区だし。


今週の主なリツイート等。

064 事実が見えていない 多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。その物にまつわる自分の思いや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。『超訳 ニーチェの言葉』より

022 友人を求める前に 自分を本当に愛するためには、まず自分の力だけを使って何かに取り組まなければならない。自分の足で高みを目指して歩かなければならない。 『超訳 ニーチェの言葉』より

「さみしい」と口にするとき、僕らはその言葉を伝える相手がいることのありがたさに気づいていないのかもしれない。本当に孤独ならば、その「さみしい」という言葉は、ただあてもなく宙をさまようだけだから。(乙武洋匡)

注目すべきは例えば文脈なのだろう。人が知らず知らず癖として使う文脈はその人自身になる。(名越康文)

人間の真の価値は、自分からどれくらい自由であるかで決まる。(アインシュタイン)

「人は誰でも自分の青春を救済するために一生を費やす」~佐々木幹郎を踏まえて全共闘世代のその後を想う。きっと俺は、その意味で全共闘後のたけし世代であり、今はかっての活動家が人生を賭してお笑いになっているのだなぁ。(水道橋博士)

くわ(2)日本人は、子どもの頃からずっと「首輪」をつけて生きている。組織に「所属」するという申し送り事項。「履歴書に穴が開く」ことの恐怖。フリーランスに対する差別。そのことが、ネット文化やグローバル化に対する不適応と、深いところで関係している。(茂木健一郎)

くわ(3)大学生という「首輪」から、会社員という「首輪」へと、「空白」なく送り込まれていく新卒一括採用という制度。何度でもしつこく書くが、国際的に例を見ない愚行である。人権的視点から見ても、日本の恥。この愚鈍な制度を放置している限り、日本の経済界に正義も未来もない。(茂木健一郎)

くわ(4)そもそも、企業は利益を最大化するために合理性を尽くすものではないのか? 組織の人員の構成について、合理的な判断を積み重ねた時に、「卒業見込みの者に限る」という結論が出てくるはずがない。そのような採用政策では、従順な者しか集まらない。人材の多様性が失われる。(茂木健一郎)

くわ(5)日本企業が、iPad やiPhoneのような画期的な新商品を作れないことと、新卒一括採用の愚行は関連している。与えられた枠に対する過剰適応の人材ばかり集めていれば、入れられた水槽の中でいかに泳ぐかという技しか生まれない。結果として、縮小再生産となる。(茂木健一郎)

くわ(6)大学卒業後、ギャップ・イヤーで世界を放浪してきたような人材を、なぜ客観的、正当に評価して、活用できないのか。結局、日本企業の人事担当者は、自分たちには他人を評価する能力がないと認め、その状態を放置しているということでしかない。(茂木健一郎)

くわ(7)新卒一括採用の愚行は、そのベルトコンベアに乗った学生には、文脈への「過剰適応」の罠を用意する。そこから「外れた」学生には、規格外の烙印の哀しみと、生活の方法が見つからぬという困窮を押しつける。結果として社会全体に萎縮効果をもたらし、日本の縮小再生産につながる。(茂木健一郎)

くわ(8)日本企業の採用の実情を聞くと、つまりは18歳の時にどのような入試を通って大学に入った学生か、ということにしか関心がないのだと聞く。その程度の人間観、能力観でしか人材を見ることができないという点に、日本企業の限界がある。国際資本主義の激烈なる競争には勝てぬ。(茂木健一郎)

025 喜び方がまだ足りない もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。 『超訳 ニーチェの言葉』より


忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
リンク
2006年9月~2009年1月
http://blog.livedoor.jp/aniaclub/
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
P R