もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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過ぎたるは及ばざるが如し。
特に、自分に向き合うことを過度にやり過ぎては、やはりイカンと思う。 自分に意識が向き過ぎたら、自意識過剰になる。そして、ありとあらゆる自分の問題点が意識に上るようになる。 表出したそれらの問題点の中には、「避けて通れない」種類のものはあると思う。 しかし、「スルーしても問題ない」種類の問題点も多数あるように思う。 そして、その見分けというのは、渦中にいる時には、分からないものだ。全てが均一で同質なように感じる。 しかし、間違いなく不必要な悩みもあると思う。 やはり、意識的に問題を棚上げすることは得策であるように思う。 勿論、全てを棚上げするのも問題だ。つまり、何事も、冒頭で述べた、過ぎたるは及ばざるが如しなのである。 適度に悩んで、適度に現実にコミットする。適度に勉強して、適度に遊ぶ。 適度は強い。実に強い。 適度に生き続けて、それでもどうしても引っ掛かる問題は、その時にまた考えれば良い。 PR
今日はやや寝坊。昼スタート。
前日の復習をした後に、彩の森をランニング、7キロ。 んで、その後、アウトレットへ。 マンハッタンの、大きめなメッセンジャーバッグとナノユニバースでシャツを購入。 少し毎日が彩りそう。
今日から西武鉄道が通常通り、特急を除く全てのダイヤが正常に戻った。
事態が事態なだけに、文句を言う気にはならなかったが、実際、大層不便ではあったからね… 今日はAM、時事、社会学。午後は予備校とその復習。 んで、夜は久しぶりに大学の友達と飲んだ。言わずもがなHUBで… その友達も公務員志望なので、あれこれ情報交換が進んで良かった。どうにかして今年中に決めたいところ。 そして、久しぶりに「社交」もしてみた。 隣に可愛い金髪チャンネーがおったので、悪癖発動。 イタリア系カナダ人とアイルランド系アメリカ人だったのだけど、予想に反してなかなか深い話が出来て良かった。原発をめぐる話とかね。 やっぱり、こんな地震の多い国にも関わらず、原発があること自体、彼女達は信じられないと呆れておったが、冷静に考えたらそうだよな… しかし、原発に取って代わる代替エネルギーがない我が国。 人や自動車の動力をエネルギー源にする発電方法もあるみたいだが、それもまぁ、微々たるモノでしかないのは事実。 頭良い人、何か良い策ないんですか。具体的に何も出来ないのは歯がゆい。 しかし、今日は久しぶりに新宿なんかに出てみたけど、確かに暗いは暗いんだけど、別に差し迫った支障があるかと問われたら、何とかなると感じたのも事実。 結局は慣れの問題かと思う。 「そういうモノだ」と皮膚感覚で捉えられるようになれば、この暗さにも慣れるはず。大体、今までが明る過ぎたのだと思う。 とまぁ、消極的な考え方かもしれないけど、最低限、必要な明るささえキープ出来れば、余剰な電気はいらないと思う。ヨーロッパの諸国は、夜は暗いからね。そういう道もあるし、仮に新しい道を歩むなら、今こそ転機だと思う。 もうイケイケドンドンの時代じゃないだろ。成熟した社会の在り方として、エネルギーの自発的調整を採用することは、何か新しいモデル・ケースになるはずである。 考えてみよう。新宿の過度だとさえ感じるネオン、六本木のギラギラした明るさ。 これからの時代に、本当に必要?
【社会学】
19C末~20C前半に活躍した、フランスの社会学者デュルケムは、自殺の社会的要因を分析した。そして、自殺を、?アノミー的自殺?宿命的自殺?自己本位的自殺?集団本位的自殺の4つに類型化した。 ?アノミー的自殺 社会的規則や規制がない状態においておこる、自殺の形態。集団や社会の規範が緩み、より多くの自由が獲得された結果、膨れ上がる自分の欲望を果てしなく追求し続け、実現出来ないことに幻滅し、虚無感を抱き自殺に至るものである。 つまり、無規制状態下で、自らの欲望に歯止めが効かなくなり、自殺してしまうもの。不況期もそうだが、好況期にも自殺率は高まる。 ?宿命的自殺 集団・社会の規範による拘束力が非常に強く、個人の欲求を過度に抑圧することによって起こる自殺の形態。少し古いが、許されぬ恋の末路である、心中などがそれか。 ?自己本位的自殺 過度の孤独感や焦燥感などにより、個人が集団との結びつきが弱まることによって起こされる自殺の形態。個人主義の拡大により増大。個人の孤立を招きやすい環境だと、より自殺率は高まる。農村部より都市部。既婚者より独身者など。 また、デュルケムは、宗教の違いによる自殺率も指摘している。 例えば、厳しい戒律を持つユダヤ教徒は自殺率が低く、一方、個人主義的な宗教観であるプロテスタントは、カトリックやユダヤ教徒に比べ、自殺率が高いらしい。 ?集団本位的自殺 集団の価値体系に絶対的な服従を強いられる社会、あるいは、諸個人が価値体系・規範へ自発的かつ積極的に服従しようとする社会に見られる自殺の形態。 献身や自己犠牲が強調される伝統的な道徳構造を持つ未開社会、あるいは、その延長線上の軍隊組織の自殺(殉死)など。特攻隊の方々もそうかもしれない。
今日あたりからボチボチ復活して日常に戻った。
午前中は、時事。午後は、ドトールに移動し、社会学。双方とも暗記科目なため、実に機械的な一日であった。頭を使わない単純暗記は、苦痛であるが、また、楽でもある。 夕方に切り上げ、電話一本。夜はサッカー観戦。 やはり、華のあるKING。KINGの全盛期を知る世代は、今日のカズダンスに涙さえしたことであろう。 さて、原発問題。 福島県民は、本当に可愛そうである。 関東地方に電気を供給するための原発が、自分の県に置かれているだけでも迷惑至極なのに、さらに、風評被害で野菜が売れないときたら、これはもう悲惨とか言ってお茶を濁すのではなく、国が責任を取らなきゃダメだろう。 野菜の買い上げとか、損失分の補償などしてあげなきゃイカンと思う。 また、僕はよく分からないのだけど、関東地方の自治体は、福島県にお金を払っているのだろうか?原発置かしてくれてありがとうの意味でのお金を。 お金で解決、というワケでは勿論ないが、もし仮にお金が払われていないとしたら、これはちょっと問題な気がする。 てか、根本問題なんだけど、東京湾上に広大な埋め立て地でも作って、何とか原発置けないものかね? いや、でも、仮に東京に地震が来たら、液状化の問題とかがあるのか… メルトダウンが起きたら、半径300キロメートルの範囲は人が住めないらしい。 そして、プルトニウムの半減期が2万5000年… これはまぁ、要するに、原発絡みの事故=まず、あってはならないってことだと思う。 しかし、その「まず」が起きるリスクが否定出来ないことは今回良く分かった。 そりゃ人間のやることだし、天災は過去の経験則を、時として覆すからね…だから、備えても備えきれない部分があるよね。 何はともかく、恩恵を享受している身なので、何とも言えないのだけど、何か原発について、新しい道や案を出しても良い契機なんじゃないかとも思う。 |
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