もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今日は本来なら、大学の卒業式であった。
まぁ、もっとも、私は2単位を残して留年するから、あまり関係はないのだが。 それでも節目に…本来はなるはずだったこの日に、同級生と同じようなテンションでコミット出来ないことは悲しい。 大学時代は、楽しいも辛いもあり、トータルで見たら、プラマイゼロのような日々であった。 熱に浮かされたようにハシャぎまわり、一度、地に叩きつけられ、ようやく本来の自分に戻ってきたというか… 反省することは沢山あった。 僕は心を閉ざし過ぎた。楽しむ前に、自分で勝手に、周囲に線をこさえてしまった。 難しい立場にいた。 もう一度やり直せるとしても、僕は上手くやれる自信はない。 しかし、本当に得るモノは多かった。必ず、今後に活かせる、いや生かせると思う。 僕は、何だかんだで怖れていたのだ。バリアを張らなきゃ、多分、自分を保てなかったんだと思う。 それはプライドの問題がそうさせたのかな。 あとは、気を遣い過ぎたね。これは本当に反省。 たかだか4歳差くらい、自分が心のままに飛び込めば、きっと、何ら違和感なく溶け込めたのに。 でもまぁ、全ては後の祭りだ。 僕は今、人生的には、本当にキツい所にいる。 過去は悔やまれるばかりだし、今の自分を好きになれる要素なんてない。 しかし、ここから始めることはまた出来る。 失敗しても良いじゃないか。 それを今後に生かせるなら、それは失敗ではない、経験だ。 ゼミの最後の集まりくらい、顔を出そうと思っていたが、まさかのインフルエンザにかかるという間の悪さ。 結局、もう一生会わない奴らになっちゃうんだろうな。 悲しい。 悲しい。 しかし、みんなおめでとう。 それだけは言いたい、心から。 僕はきっと、本当は皆のことが好き過ぎたんだと思う。 だからこそ葛藤したし、俺なんかが深入りしたら、悪いんじゃないかと、いつも気ばっか遣っていた。 俺は馬鹿だった。 でも、次に生かせ。 余計なバリアなんか張らなくて良い、自分になっていけ。 一人、スパークリングワインを飲みながら、それでも笑顔になろうとしている。 おめでとう。ありがとう。そして、ゴメンな。 PR
日曜日以来、ずっとインフルエンザで臥していた。
今回は、B型のインフルエンザに初めてかかったのだが、B型は、A型の症状に+下痢や吐き気といった症状も加わり、なかなかに大変だった。 風邪だと思い過ごし、何日間か病院に行くのを渋って、タミフルを飲むタイミングを完全に逸したことも、運が悪かったように思う。(何でも、タミフルは症状の発現から48時間以内の服薬が望ましいそうだ…) 熱はようやく下がったが、まだお腹はピーピー状態が絶賛継続中なので、完全復活はもうしばらく先か… しかし、被災地でも風邪やインフルエンザにかかる人が結構おられるようだが、これは悲惨だなと思う。(特に、インフルエンザは悲惨だろう…) ただでさえ、体力のない乳幼児や高齢者。彼らが、薬や食料、その他あらゆる物質が不足している状況下においてインフルエンザにかかることが、どれほどリスキーなことか。推して知るべしである。 インフルエンザの他にも、麻疹やら風疹やらおたふく風邪やら水疱瘡やら、子どもの伝染病は枚挙に暇がない。 そういった疫病についても、流行らないのを祈る&具体的なサポート体制の構築を願うところである。。。 さて、閑話休題。 放射性物質を含む農作物や食品の問題について。 これはまぁ、誰しもが不安を抱くだろうし、どうしたって購入を控える傾向になるのは分かる気がする。 そりゃあそうだろう。 「放射性物質を含んではいますが、人体に影響はないです」と安全(?)をアピールする一方、「あっ、でも暫定基準値は超えてるんで…」などと正反対のことを言われたら、誰だってこれは、「ホントは危ないんじゃないか」と思うのは当然だ。 誰だって、確証のないことは怖い。ましてや、生命や健康に関わることなら尚更だろう。 誰を信じたら良いのか。それさえも分からない。そして、恐らく大多数の国民(勿論、自分も含めて)は、放射性物質についての知識なんて持っていない(と思う)。 つまり、「何だかよく分からないモノ」が、「何だかよく分からないんだけど、危ないらしい」という、極めて漠然とした状態に晒されているワケである。 何だろう、多分、「不安の正体」が見えないから怖いんだと思う。 分からないことは怖い。分からないモノも怖い。 明日は少しでも、「分かる範囲」が広がることを願うばかりである。
今日は久しぶりに走った。
不謹慎かもしれないが、今日は、実に穏やかな天気であったため、心は少し浮上した。 ガソリンの品切れや販売制限のせいで、クルマに乗ることを自粛した人が多いためか、いつも走る公園には、普段の倍くらいの人で溢れ返っていた。 7キロをゆっくりとしたペースで。その後、腕立て120+前腕450。 昨年の6月くらいから走る習慣を取り入れて、11月くらいまでは継続的に、日々の日課としていたが、その後、プツリと止めてしまったので、以後の身体の劣化は見るも無残であった。 春もまた来たし、また続けていこうと思う。 今度は、自分の腑甲斐なさやら罪悪感を燃料にするのではなく、「明るい未来へのイメージ」を燃料にして、自分のために走りたいです。 そう、やっぱり、胡散臭かろうが、思い込みだろうが、ある程度の部分、自分とは創っていくものだ。 自分のコアに耳を済まし、自分の理想をイメージし、それを具体的なレベルで実現していくのだ。 タフかもしれないけど、流される生き方だと、やっぱりつまらないではないか。 自分を創ろう。コントロール出来ないことは手放す。手に負えないことは「肯定的なニュアンス」で棚上げする。 とにかく、前だけを見よう。
ボランティアについて。
ボランティアなどの救援・支援活動をする際、動機や正義感などといったモノは、実は大して重要ではないと思う。 本当に必要なことは、目の前にいる人への、的確なニーズの充足だと思う。 偽悪とか偽善とか、そういうモノは別にどっちだって良い。そもそも、何が偽悪で何が偽善かなんて、一体、誰に判断出来るというのか… そういうことに拘っているようではダメだ。 人助けに動機なんていらない。無視出来ないから無視出来ないで良いじゃないか。 いらんことを考えだすから悪いのだ。 僕は、「結果善」になることは、すべからく良いことだと思い込んでいるので、ボランティアなり何なりは、積極的に出来るならした方が良いと思う。 熱が冷めたら終わってしまうような中途半端な正義感より、淡々と、必要な「こと」や「もの」の提供を。 思いは人を救わない。思いやりが人を救うのだ。 ACのCMでも散々言ってますな。 逆説的だが、人間は現金な存在なのだ。そして、それで良いと思う。 それぞれの段階に応じたニーズの充足が少しでも進むことを、今日も祈ります。
【イデア論】(思想)
イデア論にいく前に、そもそもプラトンとは… プラトン=(BC427~347) ソクラテスの弟子で政治家を志願したが、衆愚政治(ソクラテスの処刑)に絶望し、理想的哲学を展開した。ソクラテスが明確に答えなかった真理(真の知)を探求した。 (イデア論) 世界は経験によって知覚しうる現象界と、事物の本質が存在するイデア界とに分割される。 プラトンによれば、現象界に存在する現実の個物は、イデア界に属するイデアの模倣であり、事物の本質(イデア)は、経験を越えた理想の世界(イデア)に存在する。 さらにプラトンは、様々なイデアの中でも、善のイデアを最高のイデアとした。 人間の魂は、肉体に宿る前からみていたイデアを想起することによって、認識することができるとした。 |
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