もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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久しぶりに、少し邪念が入らず、まとまって勉強出来た。
これが継続出来たら良いんだけどなぁ… メンタルさえ飼い馴らせれたら、俺はどこにだって行けると思うし、何だってやれると信じてる。 メンタルもっとタフにしたいな…切実に。 傷は傷、罪は罪。 でも、「それでも前に進むんだ」っていう割り切りが痛切に欲しい。 一筋縄ではいかないだろう。 でも、訓練と歳月で、何とか出来るはず。 とにかく今はドン底最低だけど、しのがなきゃね。 とにかく、くそ辛いけど、ひとまずは延命が目標。 次の目標は、とにかく、混乱してても、現実を忘れないこと。イチミリでも進むこと。自信を回復させること。 言うは易い。要は勇気と諦観と開き直りだ。 自己受容の日が…いつかホントに来たらいいな。 PR
気を取り直して、韓国旅行記の続きです。
2/13(日) 9時起床、10時には明洞に向けて出発。 まずは腹ごしらえ。明洞餃子という有名店に入る。 事前に韓国フリークの友人から、「かなりオススメ」と大プッシュされていたので、かなり楽しみにしていたのですが、その期待を裏切らないクオリティ。 餃子の入ったうどんとシューマイを頼んだのだけど、どちらも絶妙。ボリュームもかなりのもので、付け合わせも沢山出てきて大満足。値段も960円くらい。安い… その後、ロッテホテルに板門店ツアーの申し込みをしに行き、ロッテデパートやらをフラフラした後、カフェでお茶をする。 そこで少し休んでから、明洞聖堂を散策し、漢江に移動。フェリーに乗れるようなので、チケットを購入。1時間の漢江周遊コースで、値段は1000円弱くらい。 やはり大陸系の河である。幅が日本のそれとは違う。 歴史的な音声ガイドも付いていて、なかなか興味深く、面白かった。朝鮮戦争時の砲弾の跡がある橋が見れたりね。 んで、フェリーに乗った後は、再び明洞に戻って、プデチゲなる鍋を食べる。 最近、韓国で流行っているジャンク料理らしく、もとは徴兵中に兵士達がよく食べるらしい、お手軽体育会系鍋?といったような代物であるみたいだ。 スパム、ウインナー、サラミやお餅、ラーメンなどをとにかく放り込んだ、なかなかパンチのある鍋であった。 ジンロを飲みつつ(にしても、韓国のお酒の選択肢は、基本的にはビール・マッコリ・ジンロしかないんだなぁ)、それを食し、二軒目は河岸を変え、少しお洒落なバーに行ってみることに。 ギネスを飲みながら、あれこれ真剣に語り、またもタクシーで宿に戻る。 宿でまたも、ビールを飲みつつ語り合う。酔っ払いながらも、あぁ来て良かったなぁとしみじみ思えた良い夜になった。やっぱり、海外で少し開放的にならないと、話せないようなこともありますよね。何か自然と素直になれるというか。。 最後に、辛ラーメンを食して、2時頃切り上げ就寝。翌日は世界遺産巡りと市場巡りである。
ちょっとここ最近、かなり追い詰められていたなぁ…と自省しております。
でも、「棚上げしてきたいくつかのこと」に、好むと好まざるとに関わらず、僕は気付いてしまったのだから。 勿論、そのせいで、今は本当に辛い。もう一生救われたり、真の意味で俺が幸せになれるなんて思えない。 勿論、歳月を経て(要は何とかやり過ごして)、後々振り返って、「何でこんなことに悩んでたの?」なんていう日が来るかもしれない。 罪を告白し、自分が傷つけた人に許され、何より、僕自身が人を欺きまくって今日までの日々が、もしかしたら…意外とサラっと許される可能性もあるんだと思う。 でも、そんな都合の良い解決は青写真の極みだ。何より、調子が良すぎだろう。 全てを許して…そりゃ欲しいよ。真っ白に戻りたい。 卑屈になったり、嘘を隠し通すのは辛い。後悔先たたずだが、それでも…僕は恐れている。それ相応の糾弾なり、信用の失墜や非難を受けることが。 真っ白でいたい、なんて思うのは、甘えなのかな。 僕は本当は、アホだし不器用だし、未熟だったし、今もそうだし、それでも…偽善かもしれないけど、本当はこの自責の念から解放されて、笑いたいんだ。飾ることなく。僕の本当のサラな部分を分かって欲しいし、そうやって自己開示した分だけ、皆が好意をより持ってくれるだろうと確信している。そりゃそうだろ? 強張ってバリアーを張り巡らせてビクビクしてる奴なんか、基本的には信用されないし、何考えてるから分からないって思われて、僕は益々孤立を深めるだけ。 そして何より…嘘ついてるのが辛いんだ。本当は皆ともっと仲良くしたいのに… 良い歳こいて、恥ずかしいだろ?ホント。 でもね、本音なんだよ。 俺は確かにミスを沢山したし、倫理的にヤバイこともしてきた。社会的対人能力が、低くはないけど、どうにも下手くそと言うか、うまくやれない。ホントの自分を曝すのが怖い。 何故なら、「裁かれる」と思ってしまうから。 ホントはね…きっと皆、許してくれるのは分かってるんだ。「お前、そんなこと気にしてたの…早く言えよ!友達なんだから」なんて言ってくれそうなのは分かる。あるいは、「いやいや、そもそも私、そんなことすっかり忘れてました。」なんていう拍子抜けのリアクションが返ってくることも。 でもね…これらの諸問題を、俺は早急には解決出来るとも思わないし、それは卑怯だと感じるんだ。 確かに辛いよ。 でもね、俺はやっぱり、事情や未熟さからの致し方なさ、あるいはノリでやってしまったことだとしても、やっぱりそれを許せない。 だから、やっぱり背負って行くしかないんだと思う。 辛いよ、ホントに。ホントに辛い。罪悪感は1日に何百回と僕を責める。 でもね…それで良いような気がしてきた。 ここで、色んな過去の過失と、唐突に詫びて回ったり、カミングアウトすることこそ、自己中の極みでしょう… 俺だけ真っ白でいたいだけじゃん。ズルくない。 そういうのを、偽善っていうんだろうな。俺は俺のことしか考えていない。だから、早急に、解決しようとは思わない。(勿論、本心はね、それは言わずもがなだよ) 昨日も書いたけど、俺は自分がしてきたことは、全て決着をいずれは自分でつけないとダメだと思っている。 クソ辛いのは知ってる。 でもね、プラスに考えたら、チャンスでもある。 今、ここで立ち止まってしまったから、それまで忙しさにかまけて忘れてた(というか、意識下に表出しなかっだけ?)、あらゆる「棚上げしてきた」問題と、対峙せざるを得なくなった。 だから、これは神が俺に与えた試練だ。 月並みだけど、俺なら乗り越えられるし、意味があるから、「今」このタイミングで、その問題が表出したのだと信じてる。 勿論、一筋縄ではいかないのも承知。事実、僕はもう2年にわたって、毎日が阿鼻叫喚、地獄のような自己嫌悪と自責の念にハマってしまい、状況は悪くなるばかりだ。 でもね…俺は背負っていく覚悟をしたよ。 俺は自分を誤魔化すことは出来ない。そんなに強くない。 もしかしたら、死ぬまで解決しないかもしれないし、いくつかの人間関係は壊れたりするかもしれない。 でもね、俺はもう嘘をつきたくない。救われたい。 真っ白でいたいなんてエゴの極みだし、ワガママなのも知ってる。 でも…その方が、お互いが幸せになれると僕は信じてる。 限りなく飾らず、罪も嘘も虚無も曝け出してさ…そういう関係に囲まれて、僕は生きていきたいよ。 でも、業は抱え続けるよ。 許して欲しい。でも、僕は許されたいと思う反面、苦しみ続けることも、ある意味では、必然罰だと考えている。 難しいな。偽りなくコレを書いてるつもりでも、少しカッコつけてるな。 笑ってくれよ。俺は自分も楽になって、相手も楽にして、俺はバカだけど、バカなりに、やっぱり真っサラでいたいんです。見栄とか嘘とか知ったかぶりとか、いじめの構造とか、付和雷同とか、もう何だろう。嫌なんだよ。 俺らで変えていかないと、一生このままだぞ。 したり顔のバカ大人になんかなりたくないよ。 俺はバカ呼ばわりされても…皆とやっぱり、手を取り合って生きていきたい。 笑ってくれよ。残念ながら、マジなんだよ…
自分ではにっちもさっちもいかない。
大きな何かにすがって、(ある程度は)許されたい。 それが今行き着いた答え。 しかし、完全に許されることは望んでいない。 「苦しみ続けること」は、僕に課せられた業でもあると思うから。そこから下りるのは卑怯でしょう。因果は応報してくれ。それについては反論も反抗もする気はない。 しかし、目先の延命の為に、僕には当面の救いが必要なのだ。 死ぬことが、一番簡単で卑怯な選択肢なのだから。 信仰を持つとか、そういう次元の話ではない。 ただ救いが欲しいのだ。 仏教でも神道でもキリスト教でもイスラム教でも何でも良い。 長く続いている宗教は、普遍的な価値を持っているはずだ。 勿論、危ないものを避けるリスク回避は当然行う。 その点については、僕は慎重だ。 深淵を覗いちまったんだから、それ相応に生き延びていくしか途はないだろう。 もう後戻りは出来ないし、するつもりもない。 これが自分なんだから。
自然と神なり仏なりを信仰することによる救いにしか、僕が救われる道はないのではないかと思う。
もう限界を感じて止まない。自責の念と虚無感、孤独感に。 理性では、到底、処理出来そうもないし、こころを誤魔化して生きることも難しい。 棚上げという麻酔がある。 しかし、あくまで麻酔だ。 切れた後には痛みが到来する。 鈍感になることを勧める学者もいる。 しかし、鈍感になろうと思って鈍感になれるなら、そりゃあワケはない。それが出来ないから苦しいんじゃないか。 他にも、色々ある。 自らのインナーチャイルドを癒すだとか、自己養育法だとか。 しかし、僕はもう疲れた。 自分にばっかり向き合いたくないのに逃れられない。 無意識が、楽しむこと、幸せになることを拒む。 僕みたいな罪深い人間が、楽しんだり、幸せになったりして良いわけがないと、(無意識で多分)思い込んでいるのだ。 しかし、それでも僕は僕であり、僕からは逃れられない。 両親のことを思うと、死ぬわけにもいかないと思う。 僕が生に後ろ髪を引かれるのは、その一点のみだ。 気持ちは死に向かっていても、きっと僕は死ねない。生殺しは続く。 どうすれば良いのか、どうすれば楽になれるのか、どうすれば許されるのか。 もはや僕には分からないし、そんなこと考えたくもない。疲れた。 死なないために仏門に入った瀬戸内寂聴。 確かに、未だ健在なところを見ると、彼女の選択は、きっと悪くはなかったのだろうし、仏教の教えにも、人を生へと繋ぎ止める力があるのだろう。 自分を生へと繋ぎ止めるものが欲しい。 今こそ、もう苦しくて苦しくて、そして、苦しみ過ぎて、もはやどうにもならなくなっている今こそ、僕は信仰を持つ時期なのかもしれない。 救われたい。安易かもしれないが、もういい加減、楽にさせてくれ。 |
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