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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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自然と神なり仏なりを信仰することによる救いにしか、僕が救われる道はないのではないかと思う。

もう限界を感じて止まない。自責の念と虚無感、孤独感に。

理性では、到底、処理出来そうもないし、こころを誤魔化して生きることも難しい。

棚上げという麻酔がある。
しかし、あくまで麻酔だ。
切れた後には痛みが到来する。

鈍感になることを勧める学者もいる。

しかし、鈍感になろうと思って鈍感になれるなら、そりゃあワケはない。それが出来ないから苦しいんじゃないか。

他にも、色々ある。

自らのインナーチャイルドを癒すだとか、自己養育法だとか。

しかし、僕はもう疲れた。
自分にばっかり向き合いたくないのに逃れられない。
無意識が、楽しむこと、幸せになることを拒む。

僕みたいな罪深い人間が、楽しんだり、幸せになったりして良いわけがないと、(無意識で多分)思い込んでいるのだ。

しかし、それでも僕は僕であり、僕からは逃れられない。

両親のことを思うと、死ぬわけにもいかないと思う。
僕が生に後ろ髪を引かれるのは、その一点のみだ。

気持ちは死に向かっていても、きっと僕は死ねない。生殺しは続く。

どうすれば良いのか、どうすれば楽になれるのか、どうすれば許されるのか。

もはや僕には分からないし、そんなこと考えたくもない。疲れた。

死なないために仏門に入った瀬戸内寂聴。

確かに、未だ健在なところを見ると、彼女の選択は、きっと悪くはなかったのだろうし、仏教の教えにも、人を生へと繋ぎ止める力があるのだろう。

自分を生へと繋ぎ止めるものが欲しい。

今こそ、もう苦しくて苦しくて、そして、苦しみ過ぎて、もはやどうにもならなくなっている今こそ、僕は信仰を持つ時期なのかもしれない。

救われたい。安易かもしれないが、もういい加減、楽にさせてくれ。
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