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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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エネルギーを必要なことに拡散する。んで、自己を相対化する目をどこかで意識。

そして、何でも良いから労働して誤魔化す。

こだわらない。滞らせない。気にしない。

これが大事。

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今日をきちんと生きる秘訣。

昨日までの連続性がある「線」=「今日の自分」に他ならないんだけど、それはそれとして一旦留保し、切り離して捉えることも肝要だね。

ひとまず決別して、今日は今日、今は今とリセットし直す意識をきちんと持つことが、今を高める秘訣である。

では、そういうことで、今日も今日を今日としてのみ生きよう。
全面否定はダメ。ただし、全面肯定もダメ。

冷静に、ダメな部分は認めて改善し、逆に、今はイマイチでも、まぁ仕方ないやんかと思える「弛み」を持つことも大切だね。

燻りを覚えるうちは、まだ大丈夫。自分を大いに燃やそう。

方法は何でも良さそうだ。自分が良い方向に転がりそうだなと思ったことを、まずは試行錯誤しながら、やってみることだ。

一歩をまずは踏み出すこと。

道を設計してから進むのではなく、歩きながら跡を地面に残し、その歩みを道と呼べば良いし、得てして、人生なんてそんなもん…じゃない?

まぁ、ある程度の大枠とか暫定的な軸だか核だかは必要になる気がするが、そこばかりに囚われて歩みを進めないことは、結果として何だかアホらしいもんね。
若さは固形燃料みたいなモンかね。簡単なことですぐに着火する。そして、固形燃料にありがちな欠点として、燃え尽きて無くなるのも早い。つまり、きちんと自分に対して「焚き付け」にならないと、あんまり意味がない。多分、若者が傷付きやすい理由は、ベクトル不明な衝動的燃焼→火傷、のサイクルが幾多となく繰り返されるからだと思う。皆、傷口をグジュグジュさせながら、それでも懲りずに、また火を着け、そして、火傷を増やす(笑)

何の話だったかな、まぁ要するに、とりあえず歩いてみて、それで考えれば良いんじゃないかな。火傷したなら撤退すりゃ良いんだし、何より、進んでみないと、自分を駆り立てた衝動の是非が分からない。

まぁ、生傷まみれが若さの勲章だね。

皮膚が分厚くなって、「畜生、昔したオイタの部分が痒いな」などと思えるようにきっとなるんだしさ。そのうち、多分。

「こころ」や「たましい」の自己治癒力もきっとあると、僕は信じたい。

そう、信じれなきゃ、とてもじゃないけどやっていける自信などない。

そう、物事はドラスティックには変わらないものだ。これは昨日も書いたが、改めて反復。

結局、小さな小さな事柄の堆積が、後に「革命っぽく見えるソレ」に、ある段階が来たから到達しただけという話である。

例えば、医療保険や年金制度にしても、いきなり「超ヤバイ状態」に陥ってしまったのではなく、然るべき崩壊への、小さな小さな堆積を重ねてきたため、今日のような事態が「ただ結果としてある」だけのことである。

これはもうあらゆることに妥当することで、先の大戦にしても、その後の日本の復興にしても、全てはドラスティックに引き起こされた現象ではない。単なる堆積だ。また、不謹慎を承知で言えば、先の大震災及び、原発事故だって、堆積の結果に他ならない。いきなり起こった不幸だとは言い切れない部分はある。(例えば、日本列島が地震の活動期に入ったんじゃないかという予兆は、十分捉えられていたワケだし、こんな地震大国のプレートの上に、人類がとても制御出来ないエネルギー施設を作ってしまったこと、そして、しばらくは、それで何とかなってしまっていた事実に胡坐をかいていたこと等)

こんな日にこんなことを書く僕は冷淡なのかもしれないが、何のために書いているのかと言えば、「学ぶしかない」、そして、「繰り返してほしくない」から。

何をもって犠牲になられた方々の供養になるのかは分からないが、今回のあらゆる被害を教訓にせずに、同じことを繰り返すことは、少なくとも供養にはならないはず。せめてものことを思うなら、もう二度と同じような地震に見舞われてしまったとしても、今回のように、甚大な被害を出さない方向に努めることだと僕は思う。

今日の午後、犠牲になられた方へは黙祷を捧げます。そして、今も苦しい中にいる人にも、念を送ってみます。意味あるのか分からないけれど。

さて、話は少し戻って、何事もドラスティックに変わらないということを逆手に取れば、結果が悲惨な事になりそうな堆積の中にいるのであれば、回避することは出来る。つまり、少しでもマシな、あるいはもっと違った方向に歩を変えることが可能なのだ。気付いたのなら、やはり、勇気を持って、負の連鎖を断ち切ることだよね。

そして、良い循環の中にある堆積を続ける。

これは個人レベルでも妥当するよね。

ホントに個人的なことだけれども、僕自身、どうしても自分を許すことが出来ない過去の過ちが2つある。
そして、その過ちのせいで、僕の無意識は、僕が幸せになろうとしたり、楽しんだりしようとする最中に、唐突に顔を出し、一瞬にしてこころを黒く支配されてしまう。

しかし、これも単に、悪い流れの堆積に過ぎない。

勇気はいるけれど、僕はやっぱり、この流れを変えない限りは、「ありのままの自分」なるものに還ることが出来ない。

ただ手放しで楽しい嬉しい気持ち良い悲しい寂しい辛いなんていう感情を、真っ直ぐ受け止められないのって「辛い」じゃない。そんなんはやっぱり不幸だし不毛だよ。

だから、少し勇気を出して、来週あたりから、またカウンセリングに月一で通ってみるかもしれない。

もう、今度はビビってお茶を濁すのではなく、告白してしまった後、自分が崩壊するかもしれないリスクを背負ってでも…僕はそろそろ勝負しても良いかなと思っている。いや、しなきゃ。

ただ一切が流れるだけで、僕だけが(心理的な)同じ場所から動けない。

勿論、辛い。苦しい。しかし、変えたい、変わりたい。

時は来たのかもしれない。
まぁ、こんなちっぽけなと思われるかもしれないけど、大抵の人は、そんなちっぽけなことに右往左往してしまうもんなんでしょう?多分、分からないけどさ。
だったら、恥ずかしがったり見栄はって、その結果孤立感を強めたり苦しくなるんなら、俺がまずは先陣切ってやる。

メスを入れた瞬間、生臭く真っ黒な血が吹き出るだろう。

僕はそいつと対峙しないといけない。

さて、まぁ重苦しい話は少し置いておくと、昨日、2年ぶりくらいにパーマをかけてみました(笑)

特に深い意味なんてないけれど、毎日天気イマイチで寒いし、花粉は飛ぶわ、勉強面でも今ちょっとブランクで辛く、また、ランニングも雨天のため出来ない日も多いわなんやねんってことで、それだったらまぁ、アタマくらい楽しくしてやろうと思ったワケです。
まぁ、もともとのアタマの中身は楽しく作られている部分ばかりなので、中身のこれ以上の改良はさすがに良いか(笑)

てな感じで二ヶ月ぶりくらいに行き付けの美容師さんにカット&パーマを決め込んでもらい、素敵な「カリフラワーアタマ」の完成です(笑)これをお洒落と取るか、「カーリー」と取るかは、皆様の裁量次第です(笑)
んで、その後今日も働いて、その足でドトール勉強して帰りました。

目が引っ付きそうなので、そろそろウダウダはやめて寝よう。

ひとまず、来週は、可能なら一回、今度こそはきちんと、己の闇を吐き出したい。まずはそこを第一歩にしよう。
やはり、本当に陳腐かもしれないが、「自分らしく」生きるためには、常識や慣習や因習や社会通念をまずは度外視する必要がある。

勿論、全部を度外視したらおかしい人になってしまうので、最低限のルール、例えば、法を遵守する等の倫理観は犯してはいけないだろう。
しかし、自ら自分を縛る「何故か自明とされているムダなこと」にばかり、自分を適合させようとして、自分の可能性を潰してしまっている事例は枚挙に暇がない。

大人…まぁ、何をもって大人とするかは難しいが、ある程度、理性的に物事を判断することが出来る状態にある人を大人だとしたら、「理性でもって」現実を正当化することは容易い。

「生きていくためには仕方ないから」

「これが普通だから」

等々。

大人は、嘘を正当化し、自己合理化を図るのが非常に上手だ。

矛盾のない世界で生きることは難しい。そして、自身は完璧な存在でもないことは百も承知ではある。

しかし、何かやっぱり、息苦しい。こんなんじゃおかしい、何とかしなきゃ、こんなつもりじゃなかった、好きでやってるワケじゃない。誰しもがきっとそんな葛藤を抱えながらも、今日と明日を正当化して、食うために生きている。

別にそれで良いじゃんかと思うけど、まだ、そうは思えない自分がいる。そして、「そっち側」に回ってしまった瞬間に、僕は永久に「今の僕」には戻れないだろう。

僕は弱いから、既得権を批判しつつも、いざ体制側に回ったら、きっと利権を享受するし、すがってしまうと思う。そして、自身の立場を正当化すると思う。

とても怖い。

僕が僕らしく生きていくチャンスがこの手にあるのに、がんじがらめな小さな自分は、どうしてもその一歩が踏み出せず、既存の大きなモノにすがろうとしてしまう。捨てられない。染み込んだ「ジョーシキ」的な一切は僕を離さない。

僕は非力だ。そして、ちっぽけだ。

何年か経った後、僕はきっと、その時手にしたポジションなり経済力に対して満足しているはずだ。

特段大金持ちではないけれど、きちんといっぱしの生活が送れている自分自身に対して、それなりの自尊心も覚えているんじゃないかと思う。

「あれだけ厄介な試験をクリアしたんだから、今の生活なりなんなりは在って当然」

きっと、そう思うだろう。
そして、やりたくもないことに何とか理由をつけて、きっと、日々頑張っちゃうんだと思う。適当にサボったり、適当にやる気を出してみたりしながら。

そして毎日、仕事から帰ってきて酒を飲み、週末は友達と飲み、日曜日は寝て過ごす。長期休暇は、限りなく近い海外を旅行するくらいしか出来ないだろうが、まぁ、そんなもんだと言い聞かせ、5日だか6日の余暇をひとまずは楽しむのだろう。

高邁な理想はいつしか影を潜め、いにしえの「青臭さ」として風化していくのかもしれない。

そんなんやっぱり嫌だな。
うん、嫌だ。

自己葛藤ばかりが僕を支配するが、まだまだ僕は「理性的」過ぎる。情けない話だ。


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