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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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「孤立」という現象は、かなりの部分、「仕組み」でもって解消していけると個人的には思っている。

しかし一方、「孤独」については「仕組み」で解消することは難しいだろう。

前者がフィジカルな問題だとしたら、後者はメタフィジカルな問題だからだ。

つまり、「孤立」には「目に見える形」でアプローチする方法があるのに対し、「孤独」には「目に見える形」でアプローチする方法が見当たらないのだ。

「孤立」という現象は、システムの中で起こる。よって、その内部でその都度調整をしていけば、ある程度の部分は解消していける。

しかし、「孤独」については、人がこの世に生まれ落ちた瞬間から背負わされている業みたいなもので、そして何より、「孤独」はシステムをいじろうが何をしようが、根本的に無くすことが出来ない。それは多分、己という存在に課せられた「生きること税」みたいなものだと思う。つまり、生きてる限りは、「孤独」からは逃れられないのだ。

でも、だからといって、諦めない。「孤立」と「孤独」を混同して思考を放棄するなかれ。

つまり、「孤立」がシステムをいじることで解消出来るなら、少なくとも「孤立」は減らせるのだ。だったら、アタマを使って、日本のみならず、この世に遍在する「孤立」の解消に向けて汗を流そう。結構単純な話で、人は誰かと物理的に繋がれていたり、触れ合えていたら、「それなりに満たされる」ように作られているのだから。だったら、そうしようぜってことだ。そして、「孤独」が「生存税」だとするならば、そこにフォーカスしても意味がない。「孤独」からの解放は死ぬ時だ。つまり、死んで初めて「孤独」という十字架から降りれるのだ。

だったら、生きているうちは、「孤独」を解消しようとか思わずに、自明のものとして引き受けるしかない。そして、少なくとも人が「孤立」していない状態というのは人為的に作れるし、且つ、その状態で人がまぁまぁ、救われるのだから、やっぱり注力すべきは「孤立」だ。




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