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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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若いということは、まだ何も持っていないことと同義。

有り余るエネルギーと時間。そして何より、キリのない性欲。

金や地位は確かに無いかもしれない。

しかし、その代わりかは分からんが、寝食を二の次にしてでも色んなことに没入出来る「スタミナ」がある。

そして何より、若者の世界は狭い。

それを拡げるために、若者は行動するのだろう。

具体的に世界を歩き回る若者もいれば、思索に耽り、内的な深度を拡げる若者もいる。

動的、静的に関わらず、彼らは皆動く。世界を知るために、拡げるために。

そしてある時に気付く。世界はつまり己だと。

僕は、外見的な部分に関しては、いつまでも若くはありたいと思っている。しかし、世界=己にしか過ぎないと既に知ってしまった。よって、もう若者ではない。

僕の若さは、ただ内的な深度を深める作業に消えた。

己と世界をリンクさせたいという無意識があったのだと思う。

そして何より、きちんと生きたいと思っていた。

ただレールに乗って、振り落とされないようにすること一点のみに汲々として、自分の頭で物事を考えられないような人間になるのは嫌だなと思っていた。ただ人の多い場所にいて、数の優位な立場に身を浸し、そこから世界を見ることには抵抗があった。

だから、きっと引きこもったんだと思う。

引きこもり、どうすればきちんと世界と繋がれるのか、自分の命を意味あるものとして使えるのか、考えたかったんだと思う。

そして、そのために必要そうなことは全てやってきた気がする。

沢山の本を真剣に読んだし、数少ない友達と話す機会があらば、真剣に会話をした。真剣にアーティストの紡いだ歌詞を聴き込み、大真面目にタバコを吸って酒を飲んだ。

その結果、やっぱり見えてきたことが、暫定的ではあるが僕の世界だし、何より、それが「己」に他ならないのだ。

一度足を止め、次はどの列車に乗るのか。あるいは、列車に乗らないのか。

決めることが出来ることこそが若さのゴールではないのだろうか。

本当の出発点は、自分で道を選んでからじゃないと、当たり前だが現れないものだ。

家庭のあれこれ、義務教育から続くレールでのあれこれの一切は、僕を新しい出発点へ導くための儀式だったように思う。そう、全ては儀式だったのだ。

そう思えば、過去は意味を持ち、儀式を経た洗練されたモノへと昇華する。

次のステージは、絶対に経験しないと、これまで生きてきた意味が無い。だから、死ぬな。





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