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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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寂しいから、誰かと繋がりたいと思える。寂しいから、一人では到底生きてなどいけないことを知る。寂しいから、己がよく見える。

かといって、安易に寂しさを満たそうとする性急さは単なる怠惰であって、そのインスタントな行動の帰結がたかが知れていることを十代のうちに僕は学んだ。太宰じゃないけど、人の中で感じる孤独より、はるかに一人で感じる孤独の方が上等だってことを。

そして、繋がりとか仲間とかって、多分、錯覚なんだろうとも悟った。

しかし、その錯覚の先にしか安楽の地もまた無いのだろう。そう、お互いの錯覚に名前を付すことにより、錯覚の差異は一つの概念として成立し、到底埋めることなど出来ない溝を露呈することにはなるのだが、その溝の対岸には、一応、人がいる。何より、錯覚は統一性を持つ記号になるのだ。だから、僕らは寂しさを和らげることに成功する。

もうそれで良いじゃない、それを前提にして、しゃらくさいことは言わんと、やっぱり人と繋がろうと模索した二十代。何だかんだで楽しかった二十代。

そして今、僕はやっぱり、人と繋がりたいと思う。出来れば生のままで。

バカだと思われようが非難されようが、やっぱり極力開きたい。そう、自己開示を限りなくして在りたい。飾りたくもないし、虚で己を守りたくもない。

ただ己を開き、ただ人がやってきて、ただそこに何か関係性がある、みたいな感じに極力したい。

それが三十代のテーマ。

恐らく、大多数とはまた逆行するだろう。

見栄の張り合いレースには、良い加減うんざりだから…もっとも、そのレースからは逃れられないんだろうことも痛感しているけれど、それでも、やっぱりそういう場所からはなるべく離れたい。

もうこれ以上寂しい人間になりたくない。
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