もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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昨日は、留学してたり、就浪してたり、世界一周するから休学してて、今年の春に卒業する大学の仲間と飲んできました。
うーん、皆眩しいぜ! このご時世にも関わらず、商社に国家公務員に超絶有名メーカーにと、僕の友達はおしなべて、不景気などどこ吹く風。皆、優秀です。。。 とまぁ、そんな自虐はネタとしても、僕は彼らと友達になれてホントに良かったと改めて思う。 クソ狭い部屋でクソ狭い世界しか知らなかった自分に、とてつもない「パンチ」をいつだってくれた。 お互いに「もっと成長したい」って気概があったから、とにかく皆、勉強したし(こう見えても僕もナメられたくないと必死で勉強しましたw)、そして、それを叩き台にして、皆で議論をした大学生活。 大学2年くらいまでは、「いつものベンチ」でコーヒー片手に、ほぼ毎日のように、大学が閉門するギリギリまで、空腹なんてすっかり忘れて、ケンケンガクガクをした。そして、大学から追い出された後は、いつもの安居酒屋に移動し、議論パート2を朝まで続けていた。 ホントにこういった日々は、今振り返ってみても、かけがえのない宝物だ。 ただ責任も義務もなく、比較的恵まれた立場から、思う存分、ただただ好き放題言い合えた日々。 面と向かっては照れ臭いから言えなかったけど、僕はホントに皆には感謝もしてるし、何よりリスペクトも止まない。そして、僕みたいなクソ野郎とも真剣に対峙してくれたのが、ホントにホントに…涙が出るくらい嬉しかったんだ。あの頃はホントに、帰り道に涙ぐんだりしていたんだよ。君らが知ったら、キメェ乙とか言うかもしれないけどさ。 頑張って良かった。勉強を。 そして、たまたま話し掛けた相手が君で良かったし、君があいつを僕に紹介してくれて、あいつを僕が皆に紹介して、僕らは仲間になったんだっけ。 必然か偶然かとかは分からないけれど、僕はホントに、嬉しかったんだ、ただただ。 ありがとう。ホントにありがとう。 残念ながら、僕は皆と同じレールに乗ることの意味が分からなくて、というか怖くて、権利を放棄しちゃったから、皆とは少し遅れるけど… それでも、どんな形でも、僕は君達に恥じないように頑張りたい。 大学行って、本当に良かった。あの学部、あの出会い、あの日々。 すべてに感謝しかない。 PR
僕がしたいことは、この社会に対して、ほんの少しでも良いから「風穴」を通したいということだ。
この息苦しくて、同質性を求められて、色んなことに対して、何故かよく分からない制約があるホント心の底からうんざりするこの閉塞社会を変えたい。 「希望がない」と思い込まされているこの現状を変えたい。「はみ出したら終わり」という、この「余裕の無さ」を変えたい。 何で社会の同調圧力で死んだり欝になったりしなくちゃいけないんだ。間違いなく、この現状は異常だ。 だから、はみ出したり排除されたりしてきた「当事者」が、声を大にして少しでも良いから、カウンターパンチをお見舞いしてやらないといけない。 「転んでもタダでは起きない」とはまさにこのこと。 せっかくコケて、少し世の中が違った見え方をしたのなら、それを活かさないでどうする。 同調圧力に屈服して、付和雷同するのは容易いですよ。味方らしき人も沢山いますし。 さぁ、どうする? って話。
昨日も似たようなことを言及した気がするが、もう少し突き詰めてみたい。
何故、態度表明が大切なのか。何故、自分がコミットしたいことを明らかに意思表示することが大事なのか。 多分、それは油断すると直ぐに僕を押し潰そうとする、この国の「同調圧力」に屈しないためだ。ホント、ボヤっとしていると、あっという間に「飲み込まれる」。そしてそれは、非常に息苦しいことだ、少なくとも、僕にとっては。 思えば僕は、もう随分と昔から、この「同調圧力」に悩まされ、終いには「潰されて」きた気がする。 「学校に通うのが当たり前」 「不登校とかは弱い奴がなるものだ」 「この国では、勉強して良い高校→良い大学に行かないと話にならない」 「ふつうはこうだ」 「ふつう、○○歳ではこうあるべきだ」 みたいな。 とにかく、同質性を求められるこの国。「出る杭」になったら、寄ってたかって弾かれる。「自明」とか「当たり前」という空気に洗脳され、ただレールに乗せられる。「レールから外れること=終わり」を意味すると、きっと何となく信じてしまっている。 勿論、この社会で「合理的」に生きようとするのであれば、そういった「空気」を読んで、逸脱しないよう留意することは、きっと有意に働くであろう。と言うか、その文脈をいかに読んで外さないかが、むしろ鍵となる。 それで上手くやれる人、それで良い人は別にそれでも良いんだと思う。 ただ、僕みたいに、それで上手くやれない人は、これはもう、自分で考えるしかない。 だから、僕は、その都度その都度の態度表明こそが大切なのだと考える。 自分を窮屈にしないで自分らしく、「自分という個」を生きるためには、常に自らの声を聞かないといけない。 そして、その声に基づいた態度を表明する癖みたいなのを付けないと、声は圧力の中に消えてしまう。 僕は、この閉塞感に押し潰されて、「僕」を殺したくない。 僕が僕らしく伸び伸びと生きるためには、どうしようもなく孤独で辛いことだけど、とにかくエクスキューズ。自らの声を聞き、常に、この国を覆う「見えないけれど自明な空気みたいなモノ」と闘い続けないといけないのだ。
これが大事だよね。言ってみたら自分の軸になる部分だからね。ここが曖昧だと、何かボンヤリと流されて、結局何やねんという話になるし。
自分がコミットしたい対象を明確にするということは、自分の態度を明確にするということでもある。 んで、自分の態度を明確にするということは、自分がその問題に対して“関わりたい”という意思表示をするということである。 人はそんなに忍耐強くない。 分かりやすい意思表示に基づく外形を形成しなければ、基本的にはスルーされるか、分かりにくいと言われて終わるのがせいぜいだろう。 シンプルに。分かりやすく。 基本的に、人間はヤヤコシイ、そんな簡単に理解なんて出来ないのはデフォとして、それなら、どうやって分かりやすく、理解してもらえるようにするのか。そこに力を入れる。 つまり、ちょっと見ただけでソレが何なのかが分かる、という所を目指すべきなのだ。 これは、日常生活に於いても応用可能で汎用性が高い。 「さぁ、何でしょうなぁ、ちょっとよく分かりませんなぁ…」とお茶を濁すのではなく、暫定的なモノで良いから、自分はこう思うってのを意思表示しないとね。分かりやすく。
昨日は、僕が以前作っていたボランティア団体のメンバーの一人と会って来た。
彼は今、広島でPSWをしており、関連した仕事に就けた喜びと同時に、現場の憤りや、地方の「旧態依然さ」(これは何となく分かるが…)を嘆いていたが、ひとまず、元気そうで何よりであった。 そう、3年前、僕は自らが立ち上げたボランティア団体をNPOにしようと奔走していた。 しかし、結果から言うと失敗した。メンバーをまとめきれなかったことと、全ての仕事を「一人で」処理しようとして潰れてしまったからだ。 勿論、この失敗から学んだことは枚挙に暇がない。 例えば、「ミッション」を明確にすることの重要さ。(ここが曖昧だと、メンバーが疑心暗鬼に陥る) また、人にもっと上手に頼っても良かったということも学んだし、逆に言えば、メンバーに役割を与えないということは、メンバーからしても「信頼されていないんじゃないか?」という猜疑心を生むことになることを後から学んだ。 まぁ、僕もただ猪突猛進で若かったので、ある意味では仕方ない結果なのかとも思っている。 さて、そんなこんなで、昨日は久しぶりにNPOやら不登校問題なんかの色々な話をしたのだが、何となく、前向きな気持ちになることが出来た。 僕は、年々すっかり日和ってきて(笑)、気が付いたら流されて就活をし、挙げ句の果てには公務員になろうとしている… しかし、これもまぁ、仕方がないと言えば仕方がない。 旧態依然のレールがあって、そして、多くの人がそこに乗り込んでいく様を、ただ漫然と眺めていてられる程に、僕は強くは無かった。 何より、新卒カードがなくなることが…恐かった。(もう失効したが…笑) てな感じで、こう「当たり前」とされる大きくて強い価値観を無視することが出来ず、それに乗っかりたくはないんだけど、乗らなきゃ、いや、やっぱり何か違うだろっていう葛藤を繰り返し、気付けば、卒業だけして、卒業した後は後で、「既卒にはもう公務員くらいしか道がない」という、何か知らんがそうなっているルールみたいなのに縛られて、窒息しそうになっていた。そして、今もまだ首は絞まっている… しかし、もっと自由に考えなきゃなと昨日は思い直しました。 もう色んなことは崩れつつあるのだ。 新卒→大企業→バンザイって時代でも無いし、新卒→公務員→一生安泰って時代でも無い。 そんな崩れかかっている「神話」にまだすがろうとして、そして「それしか道がない」なんて思い込むのは錯覚で、むしろ、その思い込みが、僕の(というか若者の)可能性を逆に消している。 働き方にも多様性があり、むしろ今は、従来の「おーそりてぃー」だけじゃフォロー出来ない部分にこそ「課題」があったり、これまで接点がなかった領域と領域の掛け合わの中に、新しい何かを見つけていく時代なような気がする。 そして、一応、僕が今、ならんと頑張っている公務員の事務職も、視点を変えたら、そこで身に付くであろう能力が、他の領域できっと活かせる。 例えば、そこで身に付けた「お役所書類に強い」というスキルは、NPOの仕事にも活かせるだろう。また、書類に限らず、行政の仕組みに詳しければ、何かと強みにはなるはずである。 さて、話は昨日に戻り、彼が去りぎわにこんなことを言っていた 「またいつか、それぞれのフィールドで経験積んで、一緒に何かやろうよ」と。 そう、皆、目指している場所は一緒だ。実現するかは分からないが、志向している思いは同じ。それが何となく嬉しかった。 そして、志向さえすれば、いつか道は繋がるように思う。 僕も、件のボランティアの失敗の後、関連するNPOなりフリースペースなりを結果として渡り歩いてきた。 別に次になる職が、一見、自分の関心から大きく外れるように感じられても…見方を変えたら、活かされる道はあるのだ。志向さえ忘れなければ。 だから、頑張ろう。やっぱり、頑張りたい。こんなクソみたいな時代の価値観に潰されて、こんな所で終わりたくない。 |
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