もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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昨日も似たようなことを言及した気がするが、もう少し突き詰めてみたい。
何故、態度表明が大切なのか。何故、自分がコミットしたいことを明らかに意思表示することが大事なのか。 多分、それは油断すると直ぐに僕を押し潰そうとする、この国の「同調圧力」に屈しないためだ。ホント、ボヤっとしていると、あっという間に「飲み込まれる」。そしてそれは、非常に息苦しいことだ、少なくとも、僕にとっては。 思えば僕は、もう随分と昔から、この「同調圧力」に悩まされ、終いには「潰されて」きた気がする。 「学校に通うのが当たり前」 「不登校とかは弱い奴がなるものだ」 「この国では、勉強して良い高校→良い大学に行かないと話にならない」 「ふつうはこうだ」 「ふつう、○○歳ではこうあるべきだ」 みたいな。 とにかく、同質性を求められるこの国。「出る杭」になったら、寄ってたかって弾かれる。「自明」とか「当たり前」という空気に洗脳され、ただレールに乗せられる。「レールから外れること=終わり」を意味すると、きっと何となく信じてしまっている。 勿論、この社会で「合理的」に生きようとするのであれば、そういった「空気」を読んで、逸脱しないよう留意することは、きっと有意に働くであろう。と言うか、その文脈をいかに読んで外さないかが、むしろ鍵となる。 それで上手くやれる人、それで良い人は別にそれでも良いんだと思う。 ただ、僕みたいに、それで上手くやれない人は、これはもう、自分で考えるしかない。 だから、僕は、その都度その都度の態度表明こそが大切なのだと考える。 自分を窮屈にしないで自分らしく、「自分という個」を生きるためには、常に自らの声を聞かないといけない。 そして、その声に基づいた態度を表明する癖みたいなのを付けないと、声は圧力の中に消えてしまう。 僕は、この閉塞感に押し潰されて、「僕」を殺したくない。 僕が僕らしく伸び伸びと生きるためには、どうしようもなく孤独で辛いことだけど、とにかくエクスキューズ。自らの声を聞き、常に、この国を覆う「見えないけれど自明な空気みたいなモノ」と闘い続けないといけないのだ。 PR ![]() ![]() |
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