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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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これが自分にとっては重要だったのだ。

例えば、勉強なんてしたって、大人になってから意味無いじゃん的な耳タコな発想があるが、少なくとも日本社会に於いては、勉強は相対的な価値を持つ。

就職するに際しても、学歴フィルターなるものが、大っぴらには語られないが、それは確かに存在するのだから。公務員の世界にしてもそうだ。T大閥やら、C大法学部閥やら、表向きには公平な選抜試験でさえ、その内実は勉強歴を問う。くそ下らないが。

つまり、相対的には勉強に価値がある。ふつうに、意味不明なFランの学生を見ると、うわぁと思うし、T大やらK大やらの学生に対しては一目置くからね。

そういうことなのだ。

しかし、それは絶対的ではない。

確かに、ある程度、相対的には価値を持つが、勿論それは絶対ではない。

人間が他者を介さないことには己を知れないことに鑑みれば、相対的な視点は死ぬまで払拭出来ないが、それでもあるでしょ、何つうか、相対的な価値が一瞬で無価値化するような時が。

無条件でリスペクトの対象になるような行為なんかが典型例か。

この辺り、相対的な価値判断から逃れられない自分を認めつつも、絶対的な価値を必要あらばいつでも惜しみなく発揮出来る人間になりたい。

見栄を張る。他者と比べる。

そりゃ仕方ない。

しかし、それが全てではない。

自分の中に、神を持て。

審級を下す者は神的な何かだ。

人の中に生きるには相対的な目だが。

この辺りを上手くやれ。

相対的にも満たされるように、絶対的な何かを目指そう。

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