もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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日曜日は完全オフにした。
昼過ぎまで寝て、起床後、8キロをゆったりとしたペースでランニング。腕立て、腹筋。 汗を流すと、気持ちの淀みが晴れる。何事も溜め込むことは不健康だ。常に倦むことなく、意識的に循環のサイクルを取り入れたいところ。 シャワーを浴びて、久しぶりに本屋に出向く。 久しく、本を読もうという気にもならなかったので、すっかり活字とはご無沙汰だった。現実的に余裕がなかったことも大きい。 今日の気分の変化は、精神的な余裕を取り戻した象徴かもしれない。 何となく、昨日、村上龍の言葉を引用したことが引き金となり、彼のエッセイを購入。『逃げる中高年、欲望のない若者たち』、刺激的なタイトルだ。 夜はJINなどダラダラと鑑賞し、購入したエッセイを読んだ。 村上龍からは、常に刺激を受ける。攻撃性、挑発的な社会風刺、斬新なストーリー。 間違いなく、僕の10代に影響を与えた作家の一人だ。 同じ村上さんの、春樹からは、僕はクールさや、やり過ごし方を学んだ。 彼の作品の主人公には、「一人でも全然へっちゃらですボク」 的な人が数多く登場するが、それが、とてつもなく斬新だったのだ。 そして、ムダに群れなくても全然OK、孤独でも全く問題ないんだと、自分を肯定出来たことを鮮やかに記憶している。 一方、村上龍からは、現実を学んだ気がする。 強烈な社会風刺の裏には、「お前ら、そんなんで良いのかよ」といった、挑発と警告が常にあった。 よって、社会や常識とされているもの、通念や慣習に対して、懐疑する視点は涵養されたように思う。 今回、購入したエッセイも、何だか痛いところをズバズバ指摘されているようで、読んでいて落ち込んだが、良い意味で刺激にはなった。 確かに、表題の通り、若者に欲望がない気はする。 もっとも、昔の若者を知らないから、比較のしようもないんだけど、少なくとも、自分の周囲でギラギラした若者と言えるに足る人はいない気がする。 それが良いとか悪いではなく、結局、皆、悲しく悟っているのだ。 どうせこの国はもう落ち目だし、政治にも期待出来ない。デカイ夢を描く気力もなく、ほどほどを選んでる感じ。自分より下にいる層を見て(こういう感覚、大嫌いだが自分にもある)、俺はまだマシな方だと、悲しい次元で、自分の存在価値を確認する。 何だろう、皆が皆、そういうわけじゃないんだろうけど、何かそんな空気は確かにある。 この「悲しい悟り」による諦めを打破するには、個の力では、もはや無力でしかないのだろうか。 そんなことはないと思いたい。てか、思わなきゃ何も出来ない。 PR
やはり、人生で何かを為すには、それなりの戦略が必要だ。指をくわえていても、何も降ってこないし、もし仮に、降ってきたとしても、そいつは自分を支える価値にはならないだろう。
とまぁ、思うことがあるのなら、それを推進する具体性が必要だ。 そして、その具体性を実現するためには、言う迄もなく健康が前提となる。 良い機会だし、タバコも酒もひと思いにやめてやろうかしらと思うけど、まぁ、いきなりは絶対ムリだ。 しかし、上記した二つの嗜好品は、間違いなく有害物質だ。 少なくとも、「逃避」目的で嗜むのはやめようと思う。 イライラするからタバコに逃げるとか、やり過ごせないから、酒を食らうとかね。 上手く言えないけれど、なりたい未来がイメージ出来ているのなら、少なくとも、その未来までは生き続けなくてはならない、てか、生きないと始まらない。 となると、そいつを実現するまでに延命するための、可能性を少しでも拡げておくことは、立派な戦略である。 まずは健康留意。少なくとも意識改革。そこから始めよう。 そして、面白いことはいくらでも頭の中にあるよ。 不登校やひきこもりの子のために、「ZOZOTOWN」からヒントを得た支援方法とかね。 皆まで明かすのは野暮なので、それは機が熟したら。 村上龍はこんなことを述べている。 「女以上に興奮させてくれるもの、それを持っていないと、もうアウトだ」と。 まぁ、異論はあれど、限りなく忘れさせてくれる「何か」ってことだわな。 俺にはそれがあるじゃないか。 それは俺の誇りだ。
愚痴や批判はやめよう。
人に左右され過ぎるのは愚かだ。 希望はある。目標もある。 それの追求。やり方はいくらでもある。
今日は色々と思う処があり、色々書きたいんだけど、例の如くラリってんので、また翌日自己嫌悪に陥ること必須なので、また明日書こうと思う。
まぁ、僕はもう、脱皮の時期にいるんだと思う。 着ている服のサイズが合わないんだよ。(体型のことじゃないよ) 悲しいんだけど、孤立もまたよしだ。 またそっから道敷いて、わくわくしながら孤独を歩いていくよ。 希望があるだけ…自分の核に基づく未来のイメージがあるだけ、僕は幸せだとは思う。 まぁ、これ以上言うと、翌朝、自己嫌悪の塊になりそうだから、やめます、お休みなさい。
【憲法の私人間適用について】(憲法)
なかなかヤヤコシー気もする、この概念。具体的な例を設けて考えてみよう。 (事例) 飛ぶ鳥を落とす勢いのAKC48というアイドルグループがいました。そのアイドルグループをプロデュースしているのが、冬元たかしさん。彼は、かつて「オワンコクラブ」というアイドルグループのプロデュースを手掛け、大成功を収めました。ついでに、そのグループで一番可愛い(?!)女の子と結婚までしちゃいました。 さて、そんな冬元氏が、ある日、こんなことを言いだしました。 「やっぱアレだね、20歳を過ぎたら、もはやアイドルだなんて言えないね。よって、現在、20歳を過ぎているメンバーは全員クビ。よって、これからは、ベニ野友美をセンターに据える。あっさんや、こじなつはリストラ!お疲れ」 この発言を受けて、あっさんや、こじなつは激怒しました。 「年齢で差別するなんて、憲法違反だわ。このルールを撤回しないなら、冬元さんならびに会社を訴えるわ!」と。 さぁ、冬元さんならびに会社と、あっさんや、こじなつの間でも、憲法が適用されるのでしょうか… まず、憲法はもともと、国民と国家の関係を定める規範なので、憲法の人権保障も、本来は、国家権力との関係で問題になるもの。 よって、国家権力とは異なる会社のような「私的な」組織と、そこに属する個人との関係に対しては、当然に憲法の人権保障が及ぶワケではない。 一般人VS会社のような私人間においては、憲法ではなく、民法の【私的自治の原則(契約自由)】が適用されると考えられてきた。 しかし、現代になると、私的な組織の中にも、国家権力並に強大なものが現れ、これを単に私的組織として、憲法の適用外だと考えると、憲法の人権保障も、その存在意義が薄くなってしまう。 そこで、私人間にも憲法が適用出来ないかという考えが登場してくる。 その考えには二通りあって、一つは、直接適用説。 つまり、憲法を私人間に直接適用してしまえというもの。 例えば、事例に当てはめると、ハタチ以上のメンバーは全員解雇という新ルールは、法の下の平等にダイレクトに違反して無効と主張出来る。 しかし、これでは、私人間で自由な契約を認める、私的自治の原則が害されてしまう。 よって、現在では、憲法の人権規定の価値を、私法の一般条項(民法1・90条)を通じて、間接的に適用するという間接適用説が主流となっている。 事例に当てはめると、会社の新ルールは、憲法14条に反する不平等なものだから、民法90条により無効になると、憲法を間接的に適用し、あっさんや、こじなつは主張出来るワケである。 参考文献 『よくわかる憲法』中谷彰吾 |
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