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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今日の朝ナマは有益だった。

二つの大きなことが、改めて明らかになったからだ。
まず一つ、結局、福島の原発が、今実際どうなっているのかを誰も把握出来ていないということ。

二つ、その原発事故に専念するための体制が、相当杜撰で不整備な現状にあること。

政府と東電と専門家が、てんでバラバラにしか機能しておらず、実に惜しいと思う。

そして、このてんでバラバラな事態を招いているのは、言うまでもなく政府だ。
もうぶっちゃけちゃえよ、隠してることを。汚染水の排出を事後報告したことで、国際的に相当顰蹙かってる&信用落としてるんだから、一度、地に落とす覚悟で、今持ってる情報全部出せよ。

国民は皆、何がなんだか分かっていない。そりゃそうだ。何がなんだか分かっていないことを報道してるんだから。

そして、何がなんだか分からないのに、やれライフスタイルを見直せだの節電だのと言われても、そりゃあ皆困惑するわ。

勿論、ライフスタイルや電力の在り方を考え直す良い契機になったことは確か。
しかし、政府は、アカウンタビリティーがあるんじゃないのかね、国民に対して。

つまり、一段飛ばしで、国民に負担を強いようとしたら、そりゃ皆ポカンだわと言うこと。

まぁ、現実問題、電力の供給が不足するのは不可避なのだから、それに国民はフィットしていくしかないよね。

ただ、人間は強いものだと思うから、生きていくためには、どんな状況にも可能な限りフィットしていくだろう。ただ、そのフィットの渦中において、国が今後のベクトルをきちんと示し、十分な議論をすることを忘れてはいけない。

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絶望したら、希望を10挙げてみよう。

そもそもが矛盾しているテーマだが、僕は完璧な絶望などというものは存在しないと思う。同時に、完璧な希望というものも。

何度も何度も言うようだが、常に自らの状況なり感情は、「暫定的なもの」でしかない。

「暫定的なもの」を「絶対的なもの」として、判断することはおかしなことだ。

突き詰めれば、今、僕がこんなことを述べていることも、あくまで、暫定的なものに過ぎない。当然、絶対的なものではない。

ただ一つ言えるのは、僕達はいつだって「暫定的な存在」に過ぎないということ。

「暫定的な存在」が、ああだこうだと考えたり感じたり、あるいは置かれている状況を語ったところで、結局は、それは暫定的に過ぎないということ。

どこにも絶対なんかない。
だから、僕は少なくとも、死ぬ寸前まで、色んなことを留保したり躊躇ったり、何だかよく分からんと感じながら、お茶を濁し続けるのだと思う。

そして、そういうモンかと思うし、それで良いと思う。

結局、人は、「真剣に適当」を繰り返すことが、生きるということなのかもしれないなぁと、暫定的な私は思うわけです。

今日は、病院のハシゴ。

例の如くメンタル+整形外科。

基本的に、メンタルの方は、薬をもらいに行く所と割り切っている。というか、ホントの所、何で自分が通院しているのか、自分でも分からない。

2009年の春~夏にかけて、ボランティア団体を創設したり、バイトも学校も本気出し過ぎた結果、過労で不眠症になり、糸が切れて、無気力症候群になった。

まぁ、これは仕方ない。休息が必要だったんだろうから。しかし、ひと月程休み、ある程度元に戻った後も、ひと月に一回の通院を継続させられている。

こちらは専門家ではないから、通院しなさいと言われたら、ハイハイと言う他なく、惰性で通い続けている。

しかし、病院に通いだしてから、おかしなことになった部分も大きい。

睡眠薬でトリプって、友人に迷惑をかけて自己嫌悪の種を作ったり、抗うつ薬を断薬できない身体になってしまったことなど。

つまり、通院が病気をこさえている部分もある気がするのだ。

しかし、僕はもう調べたり考えたりすることにも疲れている。

消極的な考えだが、「現状、(通院することが)まぁ、良いか悪いかはともかくとして、そして、気持ちに波があるのも仕方ないこととして捉え、それらの惰性が、強ち極度のマイナス状態を生み出していないことなどからも鑑み、まぁ、下手に何かを変えるリスクを冒すよりかは、現状維持でいこうかな」と考えている。
そもそも、何が正常で何が異常かなんて、誰に判断出来ると言うのか。

この世界はそもそも正常なのか?この世界で、いわゆる「病む」ことなく過ごせてる奴は正常か?そして、その逆は異常なのか?

疑いだせばキリがない。ただ、僕はこうも、暫定的に結論付けている。

「辛いものは辛い。だから、辛いなら、考えうる限りの辛くなくなる措置を」と。

正常とか異常とかは、どうでも良いんだよ。自分が楽しくなったり、楽になれたら、やっぱりそれが一番だからね。

そして、ツイッターの方に、今日のトピックまとめました。さすがに、ブログとツイッターに、重複する文を書くのは面倒。。。

よろしければ、そちらもどうぞ。
今日のトピックその②。

チェルノブイリから25年。
我々は原発事故から何を学ぶべきなのだろうか。

もし仮に、日本が「脱原発路線」を歩むとしたら、20年前の発電レベルに戻るらしい。

我が国の電力をめぐる考え方として、現在、浮上しているベクトルは、大別すると以下の二つ。

まずは、「脱原発」の流れ。
良い契機だから、そもそものライフスタイルを見なおしていこうという考え方。
もう一方は、「いや、やはり、経済的に豊かな暮らしをしたい」という考えに基づく「現状維持」という路線。

では、「現状維持」をするためには、我々はどうすれば良いのか。

3つの路線がある。

まず一つは、言わずもがなな原発維持。確かに、これが一番手っ取り早い。

二つ目は、自然エネルギー(太陽光や風力発電)を利用する路線。ただ、自然エネルギーの発電量はとても少ない。主力な電源にはなり得ないので、この路線には疑問が募る。

三つ目は、天然ガスや石炭の利用。

現在の我が国の供給電力の約半分は、天然ガスや石炭。しかし、これらのエネルギーの利用には、デメリットが二つある。

まず一つ目は、これらエネルギーを得るためには、海外に依存しなくてはならないこと。

二つ目は、これらエネルギーを利用すると、多量のCO2を排出してしまうこと。
結論としては、どの路線を選択するにしても、十分な議論とベクトルが必要だということだと思う。

そして、個人的にある種の運命を連想させる「25」という数字。

チェルノブイリから25年。現在、我が国が掲げている「チャレンジ25キャンペーン」(2020年までに、温室効果ガスを、1990年比で25%削減する宣言)

やはり、我々を取り巻く、エネルギー利用の在り方を見直すべき時にあるのかと思ってしまう。

今日は、ガイダンス→予備校引きこもり→ドトールで一日の仕上げ。

さて、今日のトピックは、やはりホリエモンか。

簡単に振り返ると、2006年1月に、証券取引法違反の疑いで、ホリエモンは逮捕された。

何でも、自社株を売却して得た金を不正に売り上げに計上し、約53億円の粉飾決算を行ったとして罪に問われていた。しかし、ホリエモンは不服として、一審・二審と徹底抗戦したが、本日下された最高裁の判決により、実刑が確定した。

記者会見を見ていて思ったのは、結局、何となく達観している態度に見えたホリエモンは、やっぱり、罪を犯していたのではないかと思う。

仮に、ハメられていたとするなら実に気の毒ではあるが、どうも、そういう風には見えなかった。

真実は我々には分からないが、僕は、ホリエモン自体の考え方はとても好きだし、やはり、日本に対して強い影響力を持つ一人だと思う。

例えば、民間主導の宇宙事業の開発促進などのアイデアは、流石だと思う。

どうか、出所後は、また世間を騒がせてほしいと思う。

出る杭は叩かれるが、叩かれる杭は、逆説的だが、それだけで立派な才能であると思う。



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