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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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自分がこれまで築いて積み上げてきたことを。

加齢に伴う意固地かもしれないが、自分のこれまでを肯定出来ないと、自信なんて到底持てないと思う。

グラグラしてたけど、やっぱりうるせーよと。お前に俺の何が分かる、エラそうな面して説教すんな、浅ましい。

そういうスタンスでいこうぜ。
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※原発のことではない。生きていくにあたり、自分を奮い立たせるための「抽象概念としての燃料」について。

よく、マイナスな感情を燃料にするのは良くない、みたいな文章や言葉を目にするんだけど、綺麗事だけでは頑張れない側面もまた事実だろと思う。

悔しい気持ちや情けない気持ち。あるいは、恨みつらみや怨念。

別に良いんだよ、そいつを燃料にしても。

大事なことは、火を点けること。そして、火を絶やさないこと。

だから、どんどんくべちまえ、あらゆるネガティブ感情を。

このままじゃダメだ、こんな自分じゃイヤだって気持ちだって、ある意味では健全だ。

自分のありのままを肯定することと相反するけれども、若いうちはそれでも別に良いんじゃないか、そんなことも思う。

例えば、受験。

俺は怨念の塊を燃料にしたから、あれだけ頑張れた側面は否めない。

このままじゃくたばんねーぞ、埋没しねーぞってね。
そして、社会から見放された不甲斐なさを、ワンチャン転覆させてやろうって企んでいた。

「お前はもう道を踏み外したから終わってる」

「ひきこもりなんてカスじゃん」

「お前みたいな奴」

こころない言葉にどれだけ傷ついたことか。

今に見てろと思っていた。
そして、100%望んだ結果は出なかったが、恐らく、のらりくらりと生きていたら到底たどり着けなかったであろう場所までこれた。
ネガティブな感情をくれた人間に感謝だ。

こういう部分を無視するのは逆に不健全だ。

より優位な地位なり立場なりを希求することは人間のみならず、動物であるなら「当たり前」の欲望であって、「横一列」なんて桃源郷も良いトコの、とんだおとぎ話だ。

「優しさ」に去勢されるな、優位に立て。それは自然な欲望且つ不可避なのだから。

勿論、内面だけでの話でね。外面はクールにおどけて一段下がる。ニコニコ、誰に対しても公平で謙虚に。
しかし、腹ん中は違うぞと。

それで良いんだよ。
まぁ、当たり前の事なんだけど、物事や状況は、いきなりは反転しないし好転もしない。

徐々に徐々に漸進していくことの方が多いように感じる。

しかし、僕らが変革を望む時、大抵はドラスティックに反転なり好転したシチュエーションをまず想起してしまう。

「時の洗練と淘汰」という観念が抜け落ちている。

勿論、あらゆる困難は直ぐにでも解決させたい。気持ち悪いからね。

しかし、そう変化は急進性を帯びない。得てして漸進的。

そこにいかに耐えられるかという点こそが、美意識なり意味付けの入り込む余地であり、もっと突き詰めると、それが生きていくってことなのかもしれない。

焦るなかれ。早合点するなかれ。

迷い失意に暮れる日々そのものが変革への唯一の道なのだから、ドラスティックな夢想も良いけれど、こう日々のたうち回るこの感じもまた、生きているってことであり、大切に愛でてあげないといけないのではないか。

あらゆることは、生きてみないと「可能性」にすらならない。

生き切って初めて、絶望なり救済なりを、雲の上だか地獄の釜だかの中で評価すれば良い。

生きる過程に評価や判断等不要だ。

まぁ、こんなもんかなと思う。

地元の友達と一年ぶらくりいに会っても、ただお互い生きていくために必死なんだなぁってことだけは共通で、後は昔のまんまか後付け。

変わらない何かを確認し、互いの後付け偽物感を共有し、とりあえず頑張ろうというコンセンサスを出すのが友達か。

よく分からないけれど、酒を飲んだら何もかもうやむやで終わり、明日はまた来る。
大事なことだ。

こころがあって、まず、こころが何を言ってるのか。
息苦ししい、本当はそうじゃない、違う気がする、等々。色んなサインを僕に出してくれているのに、ついつい理性で抑えつけてしまう。まるで巷間のダメ親のような自分のやり方。

しかし、こころをこころのままに保つなど、一見正論に見えるようで、実は馬鹿げている部分も多々内包しているはずで、やはり何と言うか、中庸にバランスを保つことが大事だとも思ったり。

ひとまず、そんなことを思いつつも生きてみなきゃ。
生きる過程で、削げ落ちたり淘汰されていく観念も多々あろう。

僕らは突き詰めたら、こころの周りに付着している鎖を解放するために生きているんじゃないだろうか。

80年くらい生きれるんだとしたら、まだまだ僕なんて若造も良いトコだから、これから、どう変化していけるのか楽しみでもある。

生きなきゃ。決めつけ厳禁。挫折禁止。いくらでも可能性はあるし、僕らは多分、無限の可塑性を内包しているのだから。

未来を信じろ、時の洗練と淘汰を信じろ。そして、今生を信じろ。


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