もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
先日、NPOのボランティアの学生が、こんなことを言ったらしい。
「ここは居場所ではなく、溜まり場になっている」と。 一応補足しておくと、自分がコミットしているNPOは、不登校やひきこもりの子ども達を対象に、居場所支援という事業を行っている。場所を開放し、そこで大学生のボランティアスタッフが中心となり、子ども達と話したりゲームをしたり、部活動として、各人の関心に応じた課外活動に取り組む。 しかし、現状では、それは居場所ではなく溜まり場にすぎないという。 改めて考えてみよう。居場所と溜まり場は、一体何が違うのか。 まず、自分がイメージするのは、居場所には無条件というニュアンス。つまり、そこに属するのに何の資格もいらないこと。強いて言うなら、あなたがあなただから参加資格あります、みたいな感じか。 一方、溜まり場には要資格なイメージがある。 例えば、ヤンキーの溜まり場に集うためには、ヤンキーであるという資格が必要だ。また、趣味の溜まり場に集うにも、その趣味が好きだという資格がいる。つまり、溜まり場に参加するには、何らかの、コミットのための条件があり、それを充足する必要がある気がする。 つまり、溜まり場にはどこか、場所が人を選ぶ側面があるが、居場所にはそれが無い。 居場所は、言うなれば公共スペースというか、家族的な繋がりみたいな感じか。(まぁ、色んな家族があるんだが) そこにいるのに資格を必要とせず、ただ開かれているというか。場所が場所としてただ在り、個人が個人としてそこに集っても良いんだ、みたいなイメージ。 そう考えたら、居場所には溜まり場的な側面は無いのだが、確実に溜まり場的なニュアンスをも包む寛容さがあり、溜まり場よりはワンランク上等な代物だ。 よって、居場所は溜まり場をも超越する場所であるので、溜まり場だろうと認識されていても、こちらが居場所だと定義する限りに於いては、そこは居場所なので、何と言うか、問題は無かった。 PR ![]() ![]() |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新記事
(12/06)
(07/03)
(06/15)
(05/09)
(04/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
|