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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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先日、NPOのボランティアの学生が、こんなことを言ったらしい。

「ここは居場所ではなく、溜まり場になっている」と。

一応補足しておくと、自分がコミットしているNPOは、不登校やひきこもりの子ども達を対象に、居場所支援という事業を行っている。場所を開放し、そこで大学生のボランティアスタッフが中心となり、子ども達と話したりゲームをしたり、部活動として、各人の関心に応じた課外活動に取り組む。

しかし、現状では、それは居場所ではなく溜まり場にすぎないという。

改めて考えてみよう。居場所と溜まり場は、一体何が違うのか。

まず、自分がイメージするのは、居場所には無条件というニュアンス。つまり、そこに属するのに何の資格もいらないこと。強いて言うなら、あなたがあなただから参加資格あります、みたいな感じか。

一方、溜まり場には要資格なイメージがある。

例えば、ヤンキーの溜まり場に集うためには、ヤンキーであるという資格が必要だ。また、趣味の溜まり場に集うにも、その趣味が好きだという資格がいる。つまり、溜まり場に参加するには、何らかの、コミットのための条件があり、それを充足する必要がある気がする。

つまり、溜まり場にはどこか、場所が人を選ぶ側面があるが、居場所にはそれが無い。

居場所は、言うなれば公共スペースというか、家族的な繋がりみたいな感じか。(まぁ、色んな家族があるんだが)

そこにいるのに資格を必要とせず、ただ開かれているというか。場所が場所としてただ在り、個人が個人としてそこに集っても良いんだ、みたいなイメージ。

そう考えたら、居場所には溜まり場的な側面は無いのだが、確実に溜まり場的なニュアンスをも包む寛容さがあり、溜まり場よりはワンランク上等な代物だ。

よって、居場所は溜まり場をも超越する場所であるので、溜まり場だろうと認識されていても、こちらが居場所だと定義する限りに於いては、そこは居場所なので、何と言うか、問題は無かった。

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