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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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何事も、そう簡単に結論は出ない。

何故なら、僕たち人間は、頭でっかちな有機体であるからだ。

心や身体にまで、頭は介入してくる。

心が欲することを、頭がコントロールする。

つまり、この理性の力と、心の望むこと、さらには、人間=一動物として捉えた上で、身体の本来性を活かすという各々バラバラなことを、いかにして矛盾なく繋げるかということが大切である。

矛盾なく繋げるためには、頭で処理してはダメだろう。

頭は、ともすれば、mustやshouldしか言わないからだ。

常に、欲求やら何やらを、このmust、should攻撃で抑え込もうとする。

それが人間だと言ってしまえばそれまでだが、俺はこれでは苦しい。

心が欲することがあって、身体が欲することもある。
何で、頭ばかり優先して、心と身体は、いつもなおざりにされるのか。

そりゃ鬱にもなるわ。

具体的な事柄に当てはめたら、心はイライラや不満を感じているにも関わらず、理性が私にキレたり爆発することを制御する。「社会的にマズいですよ」とか何とか言いながら。

それで結果的に、私は涼しい表情を装うが、フラストレーションは処理されたワケでもないから、それが葛藤になる。蓄積する。

身体と理性の関係もそうだ。

ホントなら、もっと駆け回ったり、決闘したりしたいんだと思う。動物としての人間である「私」の中に、DNAとして刷り込まれているから。

しかし、理性は、自由に駆け回ることや、決闘を否定する。「場所をわきまえなさい」だの、「良い歳こいて何が決闘だ。捕まりたいのか?」なんて言いながらね。

これも葛藤を生む。

しかし、全面的に理性を否定することなどは、もはや出来ない。

この高度に洗練された、情報化&スーパーマニュアル化社会においては。

去勢されないと、そのコミュニティには参加出来ないからだ。

しかし、理性に全て支配されるのは癪だ。と言うより、そのやり方じゃ、もういい加減しんどいでしょ?ってことに気付いてしまったからだ。

心の声や、身体の疼きを無視してはならない。

理性支配型コントロールから脱け出さないと、鬱も治らないし、一生籠の中の鳥だよ。

主体を取り戻すには、まずはそこから。

全面的に理性に勝とうとか、そういうことじゃなく、理性優位の状況を認識し、それを意識すること。

何をするにあたっても、確認することだ。

これの出どころは、理性?心?と。

意識するだけでも、少しは違うだろう。

少なくとも、理性優位主義は、自分を幸福にしないことを、改めて噛みしめることだ。
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