もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
さすがにこのままではヤバイ。生活を立て直そう。
良くも悪くも、まぁ、そう思えるだけの気力が回復したのであろう。 とりあえず、良い循環を作ること。 では、良い循環とは果たして何なのか。 思い付くままに書き出してみよう。 ①負のサイクルに飲み込まれないこと ともすれば、ああでもないこうでもないと、自己嫌悪や罪悪感に苛まれてしまう。そのサイクルに飲み込まれたら、足が止まってしまう。何も出来なくなる。よって、このサイクルに飲み込まれなくする工夫が必要だ。あるいは、飲み込まれても、うまく逃げ切る方法が。 具体的には、自信を積み重ねること。自己卑下を上回るように、「自分に自信が持てること」を積み重ねていくしかない。例えばそれは、継続的なランニングや勉強、逃げないコミュニケーションなどである。 ②良かった時のサイクルを継続すること 今にして思い返せば、ランニングをやり始めた5月~10月あたりは、調子が良かったように思う。色々、悩みは尽きなかったが、何だろう、それは、「上質な悩み」であった気がする。つまり、ある程度の自尊心がある状態で悩む「悩み」とでも言おうか。極めて根源的なものであったように思う。 さて、話を戻すと、継続的な運動は、心身に良いサイクルをもたらした。ダイエットとしての効果は勿論、体力もついたし、何より、自信がついた。その自信は、継続的に物事をやり続けたことによる、プライドの堆積であった。 結果的に、ランニングから筋トレや、勉強、日常生活を楽しむことにも派生し、物事は、概ね上手く回っていた。 このサイクルを壊したことはデカイ。 また、薬を飲むのをやめたのも大きいだろう。 10月あたりに、「そろそろ大丈夫なんじゃないか」と、自己判断で、スパッと服薬をやめてしまったのが良くなかった。 みるみるうちに、調子が悪くなった。 つまり、まだまだ残念ながら、薬なしでは耐えられるほどには、心は回復していないのだろう。 服薬を中止して、あっという間に負のサイクルに飲み込まれ、深みにハマっていった。 また、カウンセリングをやめてしまったことも大きいだろう。 月に一回、2~3時間ほど、カウンセリングに行っていたのだが、実は、この習慣にもかなり救われていたのだろう。 何となく、自分と向き合うのが億劫になってやめてしまったが、向き合い続けて良かったのだ。少なくとも、話をして悩みなり何なりを言語化し、それに対する何らかのミラーリングがあったことは、非常に大切な時間であったのだ。 つまり、まとめると、良いサイクルは、三点に抽出される。 ①運動②服薬③カウンセリングである。 他に良い方法を知らないが、少なくとも、今の自分にとって、考えられ得る最善のサイクルはこのサイクルである。 これを回し続けていこう。 ③灰色の自分を認め、1でも2でも良いから、アクションすること 言うても自分は、灰色が、どうにも認められないようだ。 もう、これは仕方がないのかもしれない。 綺麗でいたい、純粋でいたいなんて、究極のエゴ且つ、勘違いなのかもしれないけれど、そう思ってんだから仕方がない。 ただ、すぐには綺麗になれないし、いつかは綺麗になれるとも限らない。 ただ、可能性はあるのだ。 前にも書いたけど、生き続ける限り、何事もチャンスはあるし、逆に言えば、死んだら全ての機会を喪失する。 僕は、死にまつわる苦痛自体は、嫌だけど、さして怖いとは思わないが、色んなことを中途半端にして死にたくない。 生ある限り、悪いことしたなぁと思うことに関しては、極力正したいと思うし、誰かを傷つけたことに関しても、きちんとその分を苦しみたいと考えている。 それが、中途半端な形で終わる方が怖い。 何の話だったか、そうそう、つまり、暫定的には灰色であることは仕方ないと、一応、認め、灰色な自分をベースに物事に向き合うことが必要なのだ。 俺は灰色だから、もう何もしたくない、とか、何も出来ないとか何かをする資格がないとか考えずに、「確かに灰色、ある部分は黒いかもしれんけど、未来は何色にでもなりますよ」的な発想を忘れてはいけない。 だから、今や未来に対してまで、卑屈な態度を取ってはいかん。 ますますドツボにハマって、若年性のガンかアル中にでもなって死ぬのがオチだろうから。 具体的には、人や物事に対して、卑屈にならないこと。今の自分が出来るベストで向き合うこと。 ④周りをうまく頼る これは本当に下手くそだと思う。 自分が苦しかったり辛いことを、僕は上手く人に言えないのだ。 ブログでは散々言ってるけど、所詮はブログである。 ネットの世界越しのコミュニケーションである。 対面でないコミュニケーションは、やはり、人類にとって、コミュニケーションだと感じるには、日が浅いと思う。 つまり、まだ対面式のアナログコミュニケーションの方が実感があるのだ。 よって、僕は勇気を出して、対面する人に「自分」を晒さないといけないだろう。 理屈でも経験則でもよく分かっている。 きちんと自分を晒した分だけ、相手からも同じくらいの量の「晒し返し」があることを。 そして、少なくとも僕は、そういう瞬間に救われる。ああ、生きてて良かったなぁなどとも感じる。 また、人はそんなに、少なくとも僕は、強いだけの人や、ハリボテしてる人は苦手である。 根っから強い人は、弱者の気持ちなど知る術もなかろうから、まぁこれは論外として、本当は弱くて震えそうな自分がいんのに、それを隠すためにツンツンしまくっている人は苦手だ。 「あぁ、素直になりゃ楽なのに」などと端から見て思うが、自分がそう思うってことは、自分がきっとそうだからだ。 まぁ、全面解放すんのは無理だし、逆にキツい部分もあろうから、要は上手になる必要があるんだと思う。 今ある型を、少しずつ拡げて拡げてってイメージか。 上手いベン図のバランスを見つけるのだ。 ④強制森田療法 単調で単純な作業は、人間の心身に実は大きく作用する。 単純作業をあなどってはいけない。 掃除、アイロンがけ、何でも良い。 気が塞いだら、何か一つ、これと思う作業を見つけてやろう。 結果的に、清潔も保てるし、良いことである、多分。 ⑤捌け口のチャネルを複数持つ 何でも良い。マイナスのサイクルに囚われても、いかにそこから逃れる、あるいは、発散出来るチャネルを持てるか。これは大事なことだ。 ここに出てくるのが、音楽や映画、読書や料理だ。 ポイントは、抽象概念から逃れること。具体的な世界に、いかに逃れ、また、意識を具体的な場所にフォーカス出来るかにあると思う。 いやいやでも、映画を観たら意識は次第に、映画の世界に入ろう。 また、音が鳴っていたら、煩わしさはやがて、心地良さにもなるかもしれない。 読書も良い。 自然のある場所にでも行って、なるべく没頭してみること。 全面的ではないにしろ、次第に、物語の世界に没入出来るはずだ。 とにかく、煮詰まったら、全く違うことをしたり、環境を変えること。意識を拡散させること。 確かに逃避かもしれないが、落ち込みサイクルに捕まるよりマシだ。僕はもう十分考えた。すぐには解決しなかったり、既に消せないこともある。だから、考えたところで、ムダな部分もある。 それなら、ムダなことをするよりかは、建設的なことをしようじゃないか。 勿論、うまくいかないかもしれない。 ただ、うまくいく可能性もある。 だったら、可能性に賭ける方がまともだし健全だ。 さて、ああだこぅだ言ってきたが、また振り出しだ。 イチからやり直そう。 次はきっと、少なくとも、前よりは、少しうまくやれる。 てなワケで、早速今日からランニングと筋トレを再開した。 溜まったメールやら電話も、少しずつ返していこう。 出来たら、少し素直に。 PR ![]() ![]() |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新記事
(12/06)
(07/03)
(06/15)
(05/09)
(04/16)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
|