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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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さすがにこのままではヤバイ。生活を立て直そう。

良くも悪くも、まぁ、そう思えるだけの気力が回復したのであろう。

とりあえず、良い循環を作ること。

では、良い循環とは果たして何なのか。

思い付くままに書き出してみよう。

①負のサイクルに飲み込まれないこと

ともすれば、ああでもないこうでもないと、自己嫌悪や罪悪感に苛まれてしまう。そのサイクルに飲み込まれたら、足が止まってしまう。何も出来なくなる。よって、このサイクルに飲み込まれなくする工夫が必要だ。あるいは、飲み込まれても、うまく逃げ切る方法が。

具体的には、自信を積み重ねること。自己卑下を上回るように、「自分に自信が持てること」を積み重ねていくしかない。例えばそれは、継続的なランニングや勉強、逃げないコミュニケーションなどである。

②良かった時のサイクルを継続すること

今にして思い返せば、ランニングをやり始めた5月~10月あたりは、調子が良かったように思う。色々、悩みは尽きなかったが、何だろう、それは、「上質な悩み」であった気がする。つまり、ある程度の自尊心がある状態で悩む「悩み」とでも言おうか。極めて根源的なものであったように思う。

さて、話を戻すと、継続的な運動は、心身に良いサイクルをもたらした。ダイエットとしての効果は勿論、体力もついたし、何より、自信がついた。その自信は、継続的に物事をやり続けたことによる、プライドの堆積であった。

結果的に、ランニングから筋トレや、勉強、日常生活を楽しむことにも派生し、物事は、概ね上手く回っていた。

このサイクルを壊したことはデカイ。

また、薬を飲むのをやめたのも大きいだろう。

10月あたりに、「そろそろ大丈夫なんじゃないか」と、自己判断で、スパッと服薬をやめてしまったのが良くなかった。

みるみるうちに、調子が悪くなった。

つまり、まだまだ残念ながら、薬なしでは耐えられるほどには、心は回復していないのだろう。

服薬を中止して、あっという間に負のサイクルに飲み込まれ、深みにハマっていった。

また、カウンセリングをやめてしまったことも大きいだろう。

月に一回、2~3時間ほど、カウンセリングに行っていたのだが、実は、この習慣にもかなり救われていたのだろう。

何となく、自分と向き合うのが億劫になってやめてしまったが、向き合い続けて良かったのだ。少なくとも、話をして悩みなり何なりを言語化し、それに対する何らかのミラーリングがあったことは、非常に大切な時間であったのだ。

つまり、まとめると、良いサイクルは、三点に抽出される。

①運動②服薬③カウンセリングである。

他に良い方法を知らないが、少なくとも、今の自分にとって、考えられ得る最善のサイクルはこのサイクルである。

これを回し続けていこう。
③灰色の自分を認め、1でも2でも良いから、アクションすること

言うても自分は、灰色が、どうにも認められないようだ。

もう、これは仕方がないのかもしれない。

綺麗でいたい、純粋でいたいなんて、究極のエゴ且つ、勘違いなのかもしれないけれど、そう思ってんだから仕方がない。

ただ、すぐには綺麗になれないし、いつかは綺麗になれるとも限らない。

ただ、可能性はあるのだ。
前にも書いたけど、生き続ける限り、何事もチャンスはあるし、逆に言えば、死んだら全ての機会を喪失する。

僕は、死にまつわる苦痛自体は、嫌だけど、さして怖いとは思わないが、色んなことを中途半端にして死にたくない。

生ある限り、悪いことしたなぁと思うことに関しては、極力正したいと思うし、誰かを傷つけたことに関しても、きちんとその分を苦しみたいと考えている。

それが、中途半端な形で終わる方が怖い。

何の話だったか、そうそう、つまり、暫定的には灰色であることは仕方ないと、一応、認め、灰色な自分をベースに物事に向き合うことが必要なのだ。

俺は灰色だから、もう何もしたくない、とか、何も出来ないとか何かをする資格がないとか考えずに、「確かに灰色、ある部分は黒いかもしれんけど、未来は何色にでもなりますよ」的な発想を忘れてはいけない。
だから、今や未来に対してまで、卑屈な態度を取ってはいかん。

ますますドツボにハマって、若年性のガンかアル中にでもなって死ぬのがオチだろうから。

具体的には、人や物事に対して、卑屈にならないこと。今の自分が出来るベストで向き合うこと。

④周りをうまく頼る

これは本当に下手くそだと思う。

自分が苦しかったり辛いことを、僕は上手く人に言えないのだ。

ブログでは散々言ってるけど、所詮はブログである。
ネットの世界越しのコミュニケーションである。

対面でないコミュニケーションは、やはり、人類にとって、コミュニケーションだと感じるには、日が浅いと思う。

つまり、まだ対面式のアナログコミュニケーションの方が実感があるのだ。

よって、僕は勇気を出して、対面する人に「自分」を晒さないといけないだろう。
理屈でも経験則でもよく分かっている。

きちんと自分を晒した分だけ、相手からも同じくらいの量の「晒し返し」があることを。

そして、少なくとも僕は、そういう瞬間に救われる。ああ、生きてて良かったなぁなどとも感じる。

また、人はそんなに、少なくとも僕は、強いだけの人や、ハリボテしてる人は苦手である。

根っから強い人は、弱者の気持ちなど知る術もなかろうから、まぁこれは論外として、本当は弱くて震えそうな自分がいんのに、それを隠すためにツンツンしまくっている人は苦手だ。

「あぁ、素直になりゃ楽なのに」などと端から見て思うが、自分がそう思うってことは、自分がきっとそうだからだ。

まぁ、全面解放すんのは無理だし、逆にキツい部分もあろうから、要は上手になる必要があるんだと思う。
今ある型を、少しずつ拡げて拡げてってイメージか。
上手いベン図のバランスを見つけるのだ。

④強制森田療法

単調で単純な作業は、人間の心身に実は大きく作用する。

単純作業をあなどってはいけない。

掃除、アイロンがけ、何でも良い。

気が塞いだら、何か一つ、これと思う作業を見つけてやろう。

結果的に、清潔も保てるし、良いことである、多分。
⑤捌け口のチャネルを複数持つ

何でも良い。マイナスのサイクルに囚われても、いかにそこから逃れる、あるいは、発散出来るチャネルを持てるか。これは大事なことだ。

ここに出てくるのが、音楽や映画、読書や料理だ。

ポイントは、抽象概念から逃れること。具体的な世界に、いかに逃れ、また、意識を具体的な場所にフォーカス出来るかにあると思う。

いやいやでも、映画を観たら意識は次第に、映画の世界に入ろう。

また、音が鳴っていたら、煩わしさはやがて、心地良さにもなるかもしれない。
読書も良い。

自然のある場所にでも行って、なるべく没頭してみること。

全面的ではないにしろ、次第に、物語の世界に没入出来るはずだ。

とにかく、煮詰まったら、全く違うことをしたり、環境を変えること。意識を拡散させること。

確かに逃避かもしれないが、落ち込みサイクルに捕まるよりマシだ。僕はもう十分考えた。すぐには解決しなかったり、既に消せないこともある。だから、考えたところで、ムダな部分もある。

それなら、ムダなことをするよりかは、建設的なことをしようじゃないか。

勿論、うまくいかないかもしれない。

ただ、うまくいく可能性もある。

だったら、可能性に賭ける方がまともだし健全だ。

さて、ああだこぅだ言ってきたが、また振り出しだ。
イチからやり直そう。

次はきっと、少なくとも、前よりは、少しうまくやれる。

てなワケで、早速今日からランニングと筋トレを再開した。

溜まったメールやら電話も、少しずつ返していこう。
出来たら、少し素直に。
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