もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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今週の主なtweet。
結局何だろう。少しの感情の揺れで、気持ちがコロコロ変わる。良くも悪くも。まぁ、そういうモンなんだろうなぁ…何だかんだで。だから、そういった、「脆さ」をある程度、前提条件だとして捉え、まずは自分を受け入れる。そして、人為的にコントロール出来る範囲を拡げる。そのためには日々修練です。 やはり、自己肯定力だな、必要なのは…自己を肯定するには、当然評価機関としての「他者」が必要になるし、それをプロデュースする「場」も必要になるね。何をもってして自己肯定力を高めることが出来るのか。そこを今一度掘り下げないとな。誰しもにある承認要求。それをいかに充足させるか。 まずは、受容する「姿勢」だよなぁ…バイアスを極力排す人為的な努力をした上での他者受容。その人の「ありのまま」をまずは、肯定する。すんげえ難しいだろうけど、まずは良い悪いとかいった「自分のモノサシ」を持ち出さないことだな。無意識の中に無数にあるであろうバイアス。感じたことにQを常に 自己肯定感を上げるためには、「誰かに背中を押してもらうこと」がやっぱり大事だな。うつむいて、「俺(私)なんか居ても居なくても一緒」なんて思っていても、誰かに「そんなことはない。君は君でOK。良くやってるじゃん」みたいな言葉をもらって、何となく気分が浮上した経験は誰しもにあるはず。 そう、人間は結構、現金な存在なんだと思う。少なくとも自分は、かなり現金な奴だと思う。「もう死にたい」とか思っても、誰かに優しい言葉をかけてもらったり、自分の存在を肯定してくれる言葉をもらったら、そんな気持ちが晴れることは多々。だから、逆説的だが、暫定的な感情に惑わされるのは愚だ。 暫定的な感情は、とにかく疑わしいものだ。物理的な要因もかなり影響するしね。子細に点検すれば、単に寝不足でダウナーなだけのこともあるし、空腹でイライラしているだけのこともある。要は、暫定的な感情を形成しているファクターは、案外しょうもないことがトリガーだってこともある。 久しぶりに、爽やか朝ランナー気取り。これまた久々に地元の公園を疾走。金木犀のシャワーの中、艶やかに色付き始めた木々に、季節の一巡を思う。 借りた→『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』清水康之、上田紀行。『NPO実践講座』山岡義典他。 PR ![]() ![]() |
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