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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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友達とつらつら話していて、タイトルのフレーズが友人の口から出てきて、思わぬ衝撃を受けたので記しておこうと思う。

短所というのは、やはり文字からも見て取れるが、短い所、つまり、標準が100である時に、90だったり80だったりして、標準より短い部分、つまり、足りていない箇所のことをいう。

何となく、多くの人が出来ること、つまり、100が平均値の時に、自分が70とかしか出来ないそれは、やはり短所であろう。

僕らは世代的にも短所=個性みたいな価値観も若干あって、また、多様性それ自体を手放しで肯定もしてしまっている部分もあるが、やはりよくよく点検してみると、大多数が出来て自分が出来ないことは、そりゃやっぱり短所に過ぎない。

例えば、大多数の人は九九が出来ると思うから、出来ない人はやはり、学力的にはウィークですよ、つまり、短所ですよと見做されても仕方あるまい。

また、これは僕なんかにも該当するから認め難いけど、大多数の人はレールから逸れないでレールに生きるから、レールにいられない人はやはり、レールに乗れないことそれ自体を短所と言って差し支えないと思う。

何が正しいのかは分からないが、偏差値の正規分布の中央付近、つまり、偏差値50付近というのは、ただそこに当てはまるという現象自体が、正しいのか間違っているのかはさて置き、現象としては、平均値になる。それは紛れもない事実だ。

例えば、憶測に過ぎないが、どんな人にも友達は何人かいると思う。

だから、友達0人の人はやはり平均値から逸脱=人間関係的には、そこは短所と言わざるを得ず、皆が持っているモノを持てていない事実を受け止め、人並みになる努力をした方が良いと思われる。

多くのことを偏差値50にすることは、自ら凡庸になろうとしている愚かな試みではあるが、実際問題、偏差値50付近にいれば安全ではあろう。何よりそこには人が沢山いる。尺度が近い人間には敵対心を抱かないから、そこでは、協力も得やすいであろう。

皆違ってそれで良いとは思うけど、自らが人様と違う部分を検討もせずに、手放しでそれを是とする意思決定は、何か間違ってるなと思った夜。

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