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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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どうもこの季節になると、ヒッキー時代の悪い習慣から、活字や音楽に逃げ込みたくなる。過ごしにくい夏の気配が日毎に薄くなり、幾分、暑い以外のことを考えられるようになると、やっぱり意識は己に向かい、その糾弾から逃れるために、僕は僕以外の世界に逃げ込み息を潜める。

僕は多分、空虚さを満たす手段としてしか活字を欲してはおらず、また音楽も同様に、突き詰めれば、自己肯定のための手段だ。

久しぶりに、平野啓一郎や白石一文、重松清の未読作品を立て続けに読み込み、昔好きだったアーティストの新譜やら追えていなかった音源を立て続けに聴き込んだ。

僕は活字や音楽を悪友だと思っている。

悪い時に、一緒に居てくれたけど、でもやっぱり他の世界を求めていて、本当は完璧には楽しくなんかないんだけれど、それでもインスタントに満たせる、孤独からのささやかな解放は他ではちょっと得難くて、結局は惰性でそこに居続けてしまった思春期。

例えるなら、ヤンチャな奴らが、本当はあんまり満たされないことを各々自覚しつつも、それでも互いの承認欲求や寂しさを紛らわすために、コンビニだかゲーセンだかにタムロしていることと何ら変わることはなく、結局、馴染めていないという点に於いては、ヒッキーだろうがヤンキーだろうが変わる所は何ら無い。ベクトルの違いだけだ。

さて、何の話だったか。

そう、こうやって本を読み音楽に浸り、それで紛らわすこの感覚も今や昔で、あの頃みたいに、逃げつつもどこか真剣でもあった純粋さは今は無く、ただただ、逃避しているという現実から、さらに逃避してやろうくらいの気持ちしか本当な無いのかもしれないが、それでも、やはりこうして昔の悪癖に身を浸すとどこか安心する。

一人でも大丈夫だよとか、一人だからこそ無限の可能性があるんだみたいな、青臭い自己肯定をしてみた当時の強がりな自分を思い出し、そして、今に繋がったことがただ愛おしくもなる。

僕も震える10代ではもうないから、一人でも大丈夫だとか、一人だからこそ○○とかは全然思わない。

やっぱり、一人で生きることは不可能だと思うし、孤立するような事態そのものが生き方の戦略ミスだとも思う。嘘でも調子を合わせることが常識であることも学んだし、言ってはいけないことが沢山あることも学んだ。

でも、やっぱりこうして、嗅覚や視覚、聴覚が記憶している刷り込まれた理性の名残りに触れると、あながち、あの頃の自分は間違ってなどいない、むしろ、君こそ正しいんだと強く思う。

若者はいつだって傲慢であれ。君は何者でもないから、君は何にだってなれる。そして、若さに敵う道理など一つも無い。君は正しい。
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